短編小説



□ 逃れられない
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ある日の出来事。


薩摩藩邸に引き取られて随分と経ったわたしは、毎朝の剣道の稽古の後に庭を掃除するのが日課となっていた。


大久保さんには『小娘の手を借りるほど、人手には困っていない。余計な事はするな』って言われて。
初めは『世話になる身で何もしないのは悪いって思ってやったのに!』って憤慨した。


あの時は、帰れるのかどうか不安で、体を動かしていないと涙が溢れてしまいそうだったから、大久保さんのイヤミに反発して庭の掃除を続けようと心に決めた。


けれど大久保さんは、わたしが庭の掃除したり誰かの手伝いをする事に関して、文句もイヤミも言わなかった。


今思えば、あれは大久保さんなりの気遣いだったんじゃないかと思う。
肩身の狭い思いをするだろうわたしを気遣った言葉なんじゃないかって。
遠回しに『別に何もできなくても、追い出したりしないから、安心しろ』って意味だったんじゃないかって。


最近、大久保さんのイヤミにしか聞こえない優しさに気付くようになってきたから、きっとそうだっていう確信がある。
でも、正面きって口にしようものなら、大久保さんは反論する余地も与えずイヤミを言うに決まっているから、わたしは絶対に聞かない。


あの人は、照れ屋だから。


そういえば最近、帰れるのかどうかという心配はあんまりしなくなってしまった。
なんでだろう……。


「小娘」


この聞き慣れた呼び方に思い当たる人は一人しかいない。
わたしがその声の方を振り返ると、そこには予想通り大久保さんがいた。


「それが終わったら、茶を淹れてくれ」

「あ、はい。分かりました」


わたしが返事をすると、大久保さんは何も言わずに去っていく。


いつもだったら、何かイヤミの一つでも言ってから行くのに、どうしたんだろう。


大久保さんがイヤミを言わなくなるのは、大抵なにか大事な話がある時。
どんな大変な事があっても、彼はわたしに愚痴一つこぼしてくれないから、少し不安に感じてしまう。


わたしは、掃除して集めたゴミを片付けた後、急いでお茶を淹れ、大久保さんの部屋に向かった。






「大久保さん、お茶をお持ちしました」

「ああ」


部屋の中から素っ気ない返事が聞こえてきて、わたしは静かに部屋に入る。
襖を開け、まず目に入ったのが大久保さんの顔だったから、驚いてしまった。


部屋に入る時は大抵、彼は文机に向かって何か書きものをしていて、わたしが最初に見るのはその背中だったから。


大久保さんの前には座布団が敷かれていて、彼は両手を袖の中に入れて座っていた。


「誰か、お客さんがいらっしゃるんですか?」

「違う」

「え?」

「神無、そこに座れ」


顎で座布団を示し、何が何だか分からないけど、言われるままわたしはその座布団に腰を下ろした。
小娘じゃなくて名前で呼ぶ時は、イヤミを言わない時と同様、何かあるもんだから、わたしの表情は自然と硬くなる。


大久保さんは暫く何も言わず、袖から手を出し、わたしが淹れたお茶を一気に飲み干す。


これもおかしい。
大久保さんは、お茶がぬるくならない程度にゆっくりと味わって飲むのに。


益々不安になってきて、何を言われるのかと心配になる。


もしかして、わたし何か大久保さんの気に障るような事してて、藩邸を追い出されるのかな……。


まだ何も言われないうちから、そんな事を勝手に想像して涙が零れそうになってきた。
すると、お盆に湯飲みを戻した大久保さんが漸く口を開いた。


「神無」

「は、はいっ」


なんだろ、何言われるんだろ……。


大久保さんの顔もまともに見れないで視線を彷徨わせていると、彼はふと後ろの文机の方を向いて、何かに手を伸ばす。
片手で取ったそれを両手に持ち直した大久保さんは、目の前にあったお盆を横にどけて、代わりにそれを置いた。




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