パチパチと音を立てて燃える篝火が、暗闇の中でぼんやりと周囲を照らし出している。地面に尻餅をつき、膝を抱えてぼーっとそれを眺める。不寝番の担当時間はとっくに過ぎていたが、天幕に戻る気にはなれずにいた。
 ふと、隣に坐る男に目をやる。交代にとやって来た先程は、明日の行軍に響くから早く寝ろと諌められたが、私が聞かないでいると諦めたのか、以降は口を堅く閉ざしていた。
 火光の赤が差すその横顔は、伏せられた視線のせいか、どこか憂いているように見える。それが何故か無償にもどかしくて、唇を噛みしめる。
 この人は今何を考えているのだろう。明日の行軍のこと? これからの戦いのこと? はたまたキアランとリキアの未来のことか。平常の彼がそうであるように、他の仲間たちは寝静まっているこんな時にも。果たして、本当にそうなのだろうか?
 そして彼は今、一体誰であるのだろう。有能で厳格なキアラン騎士隊長なのか、相棒の騎士の傍で平常より穏やかな表情を見せる月並みの青年なのか。それとも。

「……ケントってさ、リンディス様のこと好きなの?」

 言い終わると同時に、ごほっ、と咳き込む声が聞こえた。一度では収まらず、気管に唾が入ってしまったのか、何度も咽び続けている。
 流石に心配になって大丈夫? と顔を覗き込むと、丁度収まったらしく口元に手をやったまま私の問いには答えることもなく驚きの目を向けた。

「ナマエまで何を言っている! 私は別にそのような……」
「え、誰か他にも言われたの? セイン?」
「そうだ!」

 不服そうに訴えかける様は、本気で自覚がないらしい事実を物語っている。それとも、この家臣の鑑のようなこの男は、主君に対してそういった感情を抱くことが不純だとでも思っているのかもしれない。これはよくない傾向だ。

「そりゃ、主君として尊敬してるのは分かってるよ。そのうえで、ってこと。本当に、何も感じてないの?」
「…………自分でも、よくわからない」

 諭すような口調で尋ねると、先ほどとは一転、消え入りそうな言葉が返ってきた。

「無意識に目で追ってしまったり、お顔が浮かんだりすることはある。しかし、それが臣下としての心配ではないとどう判断するんだ?」

 尋ねる男の顔は至って真面目である。その身も蓋もない問いに、私は正直毒気を抜かれてしまった。恋情とその他の好意の違いが分からないなど、まるで初恋もしたことのない子どもだ。もっとも、相手が相手だからこそのことで、従前においては一般的な感覚を持っていたのかもしれないが。それくらい、この男にとって主君は特別な存在だということを私は知っている。

「……じゃあ、質問を変えるわ。この部隊の男性だれかとリンディス様がいい雰囲気になったら、どう思う?」
「リンディス様を任せられる人物ならば、私は祝福するが」
「そういう『騎士として最善』みたいな答えはいらないよ。本気でそう思ってるなら別だけど」

 突き放すようにそう言い放つと、彼は一瞬顔を強張らせた。そして、火のほうに向き直ると、口元に拳をあてて考え込みはじめた。しばらくそのまま唸っていたが、やがて重い口が開かれた。

「……いい気はしない、かもしれないな」

 その刹那、私の心臓がきゅう、と何かに掴まれた気がした。一瞬では収まらず、胸中はずきずきと痛む。
 それでも、同時に私は安堵していた。

「……し、しかし! それでもまだ完全な材料には――」
「大丈夫。そのうち分かると思うから」

 まだ納得しきれない様子の男を尻目に、私はそれだけ言って立ち上がった。後ろについた砂を払う。

「私、戻るね。おやすみ」
「! ああ……」

 一方的に告げると、男は戸惑っていたようだったが、お構いなしにく野営地のほうへ向く。どういうわけか、私はその場をできるだけ早く離れたいと思っていた。
 早足で歩き出すと、すぐに、ナマエ! と後ろから呼び止める声がした。振り向かずに足を止める。否、振り向けなかった。背を向けたまま言葉を待つ。

「その……色々とすまない。感謝する」

 背後からたどたどしく紡がれたの礼の言葉に、私は口を開かず、その代わりに振り向くと大げさに微笑んでみせた。そしてすぐさま踵を返した。
 何も言えなかった。言おうものなら、泣いてしまいそうだった。おそらく、笑顔も悲痛なものだったと思う。しかし、彼には何も気づけない。彼が今頭の中をいっぱいにしているのは、私のことでではない。
 それでも結局、涙は出なかった。私にとっても大切な二人であるのは事実だから。そう自分に言い聞かせ、胸を差す痛みからひたすら目を逸らしながら、天幕へ向かう足を早めた。