ラムの村を発って数日。
 アルム以外の人間にはとんと興味を示さないエフィを除き、村の友人たちはルカという名の騎士とすっかり打ち解けていた。当面の目的地である南の砦へ向かい、緊張感は保ちながらも時折は談笑もしながら足を進める一行の雰囲気は和やかだ。
 その反面、私は未だ彼に対する懐疑心を捨てられずにいた。
 いくらその赤い鎧の騎士が柔和な人柄をしていて、私たちへの態度が友好的だといっても、どうしても幼い頃の嫌な思い出が蘇るのだ。横暴で嗜虐的なソフィア騎士……あの俗悪な笑い声は今でも頭の片隅にこびりついて離れない。
 私たち平民を家畜と同等にしか見ていなかったあの下郎のように、解放軍とやらの兵士達も、何か事があれば自分たちを捨て駒のように切り捨てるのではないか――貴族達にとって私たち平民の命などその程度の価値しかないのではないか、と。
 ある日の野営の準備中、ぽつりとそんな話をグレイにしたこともあるが、「お前は昔っから疑り深すぎるんだよ」と一蹴されて終わってしまった。





 目を閉じてもどうにも眠れず、むくりと起き上がる。
 ふと隣を見やると、エフィがこちらに背を向けて規則正しい寝息を立てている。
 今夜の寝床は、今はもう使われていないであろう古い砦だった。辛うじて基礎は残っているが、屋根は穴ぼこで壁も隙間だらけのそれはむしろ砦というより廃墟に近い。
 外と変わらず入り込む冷たい風に少し身震いしながら、なるべく音を立てないように立ち上がると、入口へと向かった。誰かが交代での不寝番に当たっているはずだった。
 近頃のソフィアの治安は悪く、このような場所で休んでいれば野盗に寝込みを襲われて身ぐるみでも剥がされる可能性もある。そうなればとてもじゃないが旅など続けられないため、夜間の見張りを立てなければいけなかった。
 私とエフィに関してはその役目は免除されていたのだが、どうせ眠れないのだからその分の時間かわりに寝てもらったほうが効率的だ。自分たちだけが仕事をしていない罪悪感もあり、私は再び寝ようと試みることもなく交代を申し出ようと思い至ったのだった。
 ゆっくりと足を進めていくと、暗闇の中に、獣避けの焚き火が揺らめいているのが見えてくる。
 だが、その側に腰掛けている人物は、私の想像していなかった者だった。
「……ナマエさん?」
 近づく足音で気がついたのだろう、振り返って私を見やるのは、私たちを解放軍に受け入れた騎士だった。いつもの穏やかな声で、どうかしましたか、と柔らかく微笑みかけられた。
 だが、その穏やかな表情とは逆に、私はさっと背筋が寒くなり、一気に血の気が引く感覚を覚える。
「き、騎士さま……!?」
 今この状況でここにいるということは、すなわち彼が寝ずの番をしているということだ。
 それを私達がやらずに済んだのは、女だからという理由からだった。「僕らが交代でやるから」とアルム達から言われたとき、この騎士は当然に除外した上での処置だと思っていたのに。その彼らにしても、今ここにいないということは彼に仕事を任せて休んでいるというわけか。一体何をやっているのだろうか。
 身分も年齢も立場も上の人間に見張りをやらせ、自分たちはのうのうと休んでいたなんて……考えて目眩がしそうになった。
 焦る私を尻目に、普段通りの落ち着いた様子で彼は私の疑問に答えてくれた。
「私も解放軍の一兵士です。少し長くいるというだけで、アルムくん達となんら変わりはありませんから」
 それでも最初はなかなか折れてくれませんでしたけど、と苦笑する。
 その言い方から、今の状況は目の前の彼から申し出によるもので、幼馴染たちは一応はそれを謹んで断っていたのだ、という情景が浮かんだ。それに少しは安心したが、それでもやはり居たたまれなさは消えなかった。
「で、でも……あなたは貴族で私たちは平民ですよ……?」
「この情勢ですからね。我々の軍は貴族も平民もありませんよ。合流してもらえばわかると思いますが、平民でも戦果を上げれば相応の立場に就いている」
 そして彼はゆっくりと片手を差し出して、自分が座っている隣の地面を指し示した。
 その動作があまりにも自然すぎて、そんなつもりで来たのではないし失礼にあたるのでは、と頭の端では理解していながらも、私はそのまま吸い込まれるようにして腰を下ろしてしまった。
「ついでに言っておくと、私は正確には騎士ではありません。私が参加したのは解放軍が立ち上がってからで、ソフィア騎士団には所属していませんでしたから」
 淡々と語られるそれを聞いて、私は単純に驚き、思わず隣を見た。目前の篝火が、その端正な横顔に影を浮かび上がらせていた。南の果ての村民である私でも知っているほどの重鎮であるソフィア騎士団のクレーベ卿に重用されているようだったから、てっきり正規兵出身だと思い込んでいた。
「……ですから、できればその呼び名はやめていただけると有難いのですが」
 不意に焚き火を見下ろしていた視線がこちらに向けられた。目が合う。一瞬どきりとしたが、そこにはいつもと同じ微笑みがたたえられていた。
 そうだ、いつも彼は笑っている。
 初めて会ったときからどこか気にかかっていた、一見友好的なようで、踏み込ませはしないという厚い意思の壁を感じる様相。何よりそれがあったから、私はこの青年を信じきれなかった。
 それでも今は、休息中の夜だからか、それとも二人だけだからなのか。もしくはそうあってほしいという自分の願望でしかないのかもしれないが――ほんの少しだけ開けることを赦してくれているような。
 そんな空気を感じて、なぜだか顔が熱くなる。
「わ、わかりました…………ルカ」
 喉につっかえさせながら、なんとか言葉を紡ぐと、何かくすぐったそうに目を細めた。
 初めて彼の『笑顔』を見られたと思った。