―――奇跡を、見たことがある?
火神は黄瀬との会話を思い出していた。今になってやっと、あの時の言葉の真意に気が付いた。
黄瀬は、「開花しなかった」と言った。出来なかったとは言わなかった。
彼はその意志でもって、溢れようとする才能を抑え込んだ。ただ、一人ぼっちになった小さな女の子の傍にいるために。
火神は自チームのベンチに目を遣った。今黒子の胸元で握られている手は、先ほどまで黄瀬の手と固く繋ぎ合わされていた。
二人は答えを見つけたのだろう。もう何も心配ない。黄瀬を阻むものは何もない。
火神は確かに今、奇跡を見ていた。


抜かれる。自分が。
走っても詰まらない距離に、青峰は強迫観念にも似た焦りを覚えた。
黄瀬の背中を追う日が来るなんて思いもしなかった。傲慢だと言われれば否定はしないが、黄瀬の能力も実力も、知っているつもりだった。
自分の能力以上のものは模倣できない。そうだったはずだ。少なくとも、中学時代の彼は。
結局追い付くことは叶わないまま、黄瀬の手を離れたボールはゴールを揺らす。会場中が歓声に沸く中で、青峰の血は煮えるように熱くなった。
全力で戦えることの喜びも、今まで力を隠していたことに対する苛立ちも、全て闘志に代えて黄瀬の前に立ち塞がる。
黄瀬は同等のキセキだと、認める。今の黄瀬を抜くことは出来ないだろう。でも同等ならば、もう彼を抜かせはしない。
「俺と並ぶだけじゃ、勝てねぇよ」
黄瀬が不在の間に出来た点差は、そう簡単に取り戻せるものではない。
青峰を止めるだけでは駄目なのだ。それでは誠凛は、勝てない。
「だから、言ったじゃないスか」
ボールを持った黄瀬は、微塵も揺るぎはしなかった。滑らかな体重移動は、鏡を見ているかのようだ。
青峰はつられるように、同方向の足に体重を乗せた。
「青峰っちに無いもので、俺が勝つ」
抜きにくる。抜かせない。青峰がカットしにかかったボールは、突然逆方向へと消えた。
「ナイスパス、黄瀬」
ボールを受け取ったのは、火神だった。
それは、はじめからそこにいることが分かっていたかのような、完璧な連携だった。
思わぬ伏兵に、さすがの青峰も反応できない。ただ呆然と、ゴールにボールが叩き込まれる様を見届けるだけだった。
「バスケは一人でやるものじゃない」
毅然とした声に振り返る。黄瀬は、青峰を強く見据えた。
「これが、俺たちのバスケっス」
その姿に、かつて自分の一番近くにいた少女を思った。


2013/10/6

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