これで良いんだ。
言い聞かせて、黒子は携帯を閉じた。ずるずると壁に凭れて座り込む。
部員たちが出払っている部室は、静かで薄暗い。
短い間だったけれど、このチームでマネージャーをやれて、幸せだった。部室には楽しい思い出だけが詰まっている。
だから、ここで終わりにしたかった。
あたたかい思い出はきっと自分を救ってくれると思った。けれど。
薄闇は、黒子の傷を覆い隠してはくれなかった。
寂しい。悲しい。
時計は無情に時を刻む。秒針は蝕むみたいに心を削る。
もうすぐ、試合が始まる。
時計と自分の内側ばかり見ていた黒子は、ドアの閉開音をどこか遠くの出来事のように聞いた。
「黒子っち…!」
「…黄瀬くん…?」
息を切らしながら呼び掛ける黄瀬は、酷く現実感が無い。だって、彼がここにいるはずが無い。
「…試合、は…」
「行くよ」
黄瀬は強く言い切り、黒子の手を握る。
「一緒に、行こう」
また、都合の良い夢を見ているのだと思った。まだ、彼を諦めきれないのだと思った。
奪うことしか、できないくせに。
黒子は首を振って手を解いた。
この手は取れない。取ってはいけない。彼と一緒にバスケをすることは、出来ない。
黄瀬は、逃げようとする黒子を体ごと抱き止めた。
「消えないで。どうか、傍にいて」
泣きそうに掠れた願いが、耳元に落ちる。
「同情で、良いから」
すがるように強く抱かれる。
同情なんかじゃないのに。好きだから、傍にいたいのに。黄瀬は、信じてくれない。
黒子は目を閉じた。冷たい雫が頬を伝う。
信じてくれないのは当然だった。黒子が黄瀬を信じていないのに、信じてもらえるはずがなかった。
才能を開花させた彼は遠くへ行ってしまう。なんて、どうして疑ったりしたのだろう。
黄瀬は、黒子を選ぶ。
何度選択を迫ったって、彼はバスケよりも黒子の手を取る。それは、何があったって変わるはずがないのだ。
今だって、黒子を連れ出すためにここに来てくれたのだから。
ぱたぱたと、涙は落ちて止まらない。黄瀬の背に回す腕を上げかけて、躊躇う。
彼の手を取って良いのだろうか。誰に許しを請えば良いのだろうか。
こんなにも黄瀬が好きなのだ。どうしても、傍にいたい。
―――だったら、そう言えば良いだろ。
黒子は目を開いた。火神の声が、聞こえた気がした。
あの眩しい友人は、いつだって自分の背中を押してくれる。
今度こそ、黒子は強く黄瀬を抱き返した。
自分は諦めてばかりだった。黄瀬のことも、青峰のことも。
声が届かないというのなら、届くまで、叫べば良かったのだ。
「黄瀬くんが、好きです」
顔を上げて、想いを伝える。
「同情なんかじゃなくて、傍にいたいです」
きっと、離れる以外にもできることがある。
彼が望むのなら、自分はなんだってできる。
「一緒に、連れて行ってください」
どんな困難にも、共に立ち向かうから。
黒子の決意を受けて、黄瀬は抱擁を解く。両手で黒子の頬を包み込む。
重なり合った口付けが、二人の答えだった。


2013/4/25

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