「黒子テツナです。よろしくお願いします」
頭を下げた黒子への反応は、無い。妙に長い沈黙に顔を上げた黒子は、眼前に整列する部員たちを見上げた。
呆けたようにぽかんと開かれていた彼らの口はふるふると震え、テンションは一気に爆発した。
「マネージャー!」
強豪校のようだと歓声をあげる。脱雑用より何より彼らを喜ばせたものは、「女手」だった。
誠凛高校バスケ部の女監督は、不満げに腰に手を当てた。
「女手ならここにもあるじゃない。―――目を逸らすなっ!」


黒子が部に馴染むのには、一日もいらなかった。
小さな生き物がくるくると動き回る姿に、部員たちの頬は緩みっぱなしだった。
―――可愛いなぁ。
黒子は良く働き、良く気が付いた。人間観察を得意としているというのも頷ける。
痒い所に手が届くとは、まさにこのことだった。
「どうぞ」
「お、サンキュ」
差し出された飲み物を受け取った日向は、ほとんど無意識にそのふわふわの髪に手を伸ばした。つい撫でてしまってから、「これはまずいか」と気付く。
しかし黒子は嫌がる素振りもなく、無表情を崩すとはにかんでみせた。
―――天使か…!
一人また一人と、部員たちは陥落されていく。
黒子の存在は殺人ドリンクからの解放以上に、大きなものを部にもたらした。


―――火神グッジョブ。
言葉はなくとも雄弁に語る生暖かい視線から逃れるように体育館から出た火神は、水飲み場で洗い物をする黒子を見つけた。近付けば、彼女の方から声をかけてくる。
「誠凛は良いチームですね」
黒子は手を止めない。雑用をこなす彼女は、それでも楽しそうだった。
「皆さんのために出来ることがあるのは嬉しいです。バスケ部に入って、良かった」
跳ねる水がきらきらと光を反射し、彼女を彩る。黒子は火神を見上げて微笑んだ。
「ありがとう、火神くん」
正直、なぜ黄瀬が黒子を選んだのか疑問だった。
いくらでも選択肢はあるだろう彼が、なぜあえて目立たない平凡な子を選んだのか。今なら、分かる気がする。
微風が黒子の髪を揺らす。目に入りそうになった髪を濡れた両手の代わりに直そうと伸ばした手は、不意に捕らえられた。
「…黒子っちに、触んな」
ギリギリと締め上げる力に加減などなく、向けられるものは敵意なんて優しいものではなかった。
横を見た火神は、どす黒い何かを立ち昇らせる黄瀬を認めた。
「こんなとこで何してんスか、黒子っち」
ぺいっと火神の手を棄てた黄瀬は、黒子に向き直る。黒子は出しっ放しだった水を止めながら答えた。
「私、バスケ部に入ったんです」
「え…なんで…」
「バスケが、好きだから」
黒子は水を拭った手で黄瀬の手を取った。
今度こそ、この手を引く。引きずり落とすためでなく、引っ張り上げるために。
「黄瀬くんは、バスケが嫌いですか?」
「そんな…!」
黄瀬は一度言い淀んでから、つかえる思いを吐き出した。
「そんなわけ、ないじゃないスか」
黒子は表情を緩めて頷くと、包むように黄瀬を抱き寄せた。
「…また、一緒にやりましょう」
逆らわずに落ちた頭が肩の上のでこくりと動く。
黒子と火神は視線を交じらせ、笑い合った。


2013/3/15

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