「勝った」
登校するなり後ろの席に告げれば、頬杖をついた黄瀬は横目で火神を見た。
「試合。お前、最後まで見てなかっただろ?」
同点ゴールと共に選手交代でコートから消えた黄瀬は、試合終了を待つことなく会場からも消えた。
彼がちゃんとバスケをやってくれた時間は1Q分もない。けれどその数分は、試合の勝敗を決める大きな分岐点となった。
「お前のおかげだ。ありがとな」
黄瀬から返答は無く、いつも不機嫌そうな顔は窓の外へと向いた。火神もなにかを期待していたわけではなく、ただお礼を言いたいだけだった。
だから、前を向こうとした時にかけられた声に驚いた。
「一つ、いいスか」
頼み事をされるなんて、思ってもいなかった。ぎこちなく頷くと、黄瀬はこちらを向く。
開いた口は何かを堪えるように一度結ばれてから、小さな声を発した。
「…もう、バスケの話はしないで欲しい」
傷付き疲れたような様以上に、吐かれた願いが理解出来なかった。
あれだけのセンスに恵まれながら、彼はバスケを突き放す。
一人ストリートコートに立つ姿を見つけたのだ。バスケを嫌っているはずがない。それなのに。
不可解な思いは、彼への興味に変わった。
誰よりも高く翔べる彼を地に押さえつけるものは何なのか。知りたくなった。


黄瀬の世界は狭い。
なんでも器用にこなしてみせる彼は、他人を必要としない。
だが、黄瀬を目で追っていた火神は例外に気が付いた。
おそらく、狭い世界を独り占めしているのであろう唯一の存在は、人間離れした薄い存在感の女の子だった。きっと黄瀬が近くにいなければ、卒業まで認識出来ずにいただろう。
「…黒子?」
黄瀬がいない時を見計らって、隅の自席に佇む彼女に声をかける。
「ちょっといいか」
ゆっくり顔を上げた黒子は、瞬くみたいに頷いた。


教室の外へと連れ出したのは良いが、何と切り出せばいいのか。
静かにこちらを見つめる硝子色の瞳は黄瀬とは違った意味で無感情で、火神に言葉を迷わせた。
「黄瀬くんを試合に連れて行ったのはあなたですか?」
空気が詰まるような沈黙の果てに口を開いたのは黒子だった。
「そう、だけど…」
彼女は声にも顔にも色を着けないから、酷く感情が読みにくかった。元々火神は気持ちの起伏を敏感に感じ取れる方でもない。
「怒ってんのか?」
素直に疑問をぶつければ、黒子は驚いたようだった。
僅かに見開かれた大きな目は、不意討ちのように穏やかに細まる。
「…いいえ」
少し口端を上げるだけで、彼女の雰囲気はがらりと変わった。
柔らかな空色に話し辛さは氷解し、問いはすんなり口から出た。
「黄瀬とはどんな知り合いなんだ?」
「中学時代、同じバスケ部でした」
「あいつはなんでバスケをやらねぇんだ?」
問いを重ねると黒子は目を揺らし、伏せる。
「…私のせいです」
ぽつりと落ちた呟きは降りだした雨のように重く、立ち込めた雲で空は陰った。

2013/3/7

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