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それから特に問題もなく日は重なり、6日目を迎えたお昼過ぎ。
「おーい、監査者」
襖の外からまたもや聞き覚えのある声が聞こえてきた。
半ば呆れながら襖を開ければ、また何か企んでいそうな鶴丸国永がいる。
この6日間で何かとこの神様と関わる機会があった。2日目に渡したギャルゲーもどうやらマドンナ攻略完封してしまったみたいだ。信じられない。
将棋もあれから何度か付き合った。今だに彼には勝てていない。
今日もまた将棋に付き合えと言ってくるのだろうか。書類を作成する時間が欲しいけどな…なんて表情が強張るのを必死で隠しながら、なんとか穏便に対応する。
「如何なさいましたか?またギャルゲーの攻略聞きに来られたのですか」
「いや、あの遊戯ならもう全ての女人と結ばれたぞ」
「…え!てことは、隠しも終わらせたんですか」
「ああ。あれは一段と難しかったなあ」
先にやられちゃったよ。信じられない。私まだやってないのに。悔しい。
「…じゃあ、他に何か私に用があったのですか?」
本当は蹴り飛ばしてやりたいが、もちろんそんな事はしない。
それにしても、今度はなんだろうか。
将棋だろうか。それともゲームだろうか。トランプも二日前にやった。もしかしてこの前の隠れんぼの続きかもしれない。
「鬼ごっこをしないか」
「は?」
彼の口から出てきた言葉は予想外のもので。思わず素で返事をしてしまった。
しかし特にこの神様は気にした様子を見せずに、小さく頷く。
「とりあえず部屋から出てきてくれ」
手招きをされながらそう言うものだから、何を言っているんだと首を傾げながらも客室から出る。
ふと、鶴丸国永から何か変な臭いがした。
思わず鼻をつまみたくなるような強い臭いだ。
思えば彼は両の手を後ろにやって何か隠しているようだった。
「なんだ、気になるのか」
彼の両手に気にとられていた事を指摘され、にやりと此方の様子を伺っている。
ゆっくりと前に差し出されたものは、茶色い塊。臭いの元凶はこの物体のようだ。
凄く嫌な予感がしながらも、おずおずと問うてみる。
「それは…」
「馬糞だ」
「ばっ…!?」
直ぐに後退り、鶴丸国永から距離をとる。私の反応に気を良くした彼は頬を緩ませた。
何を、考えているんだ、この神様は。
「ああ、安心しろ。手袋はちゃんと着けているぜ」
いや、そういう問題ではなくて。
「ほーら、逃げなきゃ投げても構わないって解釈するぞ」
どうしよう、意味が分からない。鬼ごっこに付き合えって事だろうか。
たとえ神様相手だろうと、喜んであの物体を迎えるほど菩薩並みの器は生憎持ち合わせていない。
冗談…と思いたいところだが、相手は神様だ。人間ではない。私の常識と彼の常識を一緒にしてはいけない。
尋常じゃない汗を背中で感じながら、踵を返して廊下を駆け抜けた。
暫くして、後方から追いかけてくる足音が耳まで届く。
何だっていうんだ。何故そこまで遊びに付き合わせたいんだ。外部の人間がそこまで珍しいのか。あんな白い装束でよく馬糞を持ってこようとしたな、恐ろしい。
半分泣きそうになりながら、ほぼ夢中で駆け抜けた。やばい、帰りたい。
いつの間にか、あの裏庭に辿り着いていた。やはり、身を隠すとすれば、薄暗いこの空間を自然と選んでしまうもので。
…私、仕事でやって来てるのに、何やってるんだろう…。
なんて自分自身と鶴丸国永を軽く恨みながら辺りを見渡した。
そこには、舗装されていない土道に生い茂った植物、どこか息苦しさを感じる籠った空気。そして…
「…?」
見たこともない、小さめの納屋が視界に映った。
…おかしい。もう何度か裏庭を探索したけれど、あの様な納屋は一度も見かけなかった。広いといっても、さすがにあんな建物に気づかない程不真面目に視察していたつもりはない。
しかし何故だろう。目を凝らさないと今にもその納屋は消えてしまいそうな気がした。
そんな正体不明な建物に怪しげに思うはずもなく、駆け足でそこへ向かう。…が。
「監査者様!!!!」
小さな森の中で、絶叫が鳴った。その声量に私自身の足は自然と止まり、ゆっくりと後ろを振り向く。
そこに居たのは、息を切らした審神者さんだった。
彼女の瞳には今朝までの穏やかさは一切感じられず、ただならぬ様子が伺えた。
「そ、…その納屋には、近づいてはいけません…!」
「え…」
首を振りながら、彼女はこちらへ一直線で向かってくる。
彼女と納屋を交互に見比べながら、とりあえず落ち着かせようとやんわり宥めた。
「どうかしましたか?」
「駄目です。そこには、そこには……」
「…ここには何か良からぬモノがあるのですか?」
「…はい」
顔を真っ青にさせ、今にも倒れてしまいそうな彼女の背中をゆっくり撫でる。何が彼女をここまで恐れさせているのだろうか。
「ここに何があるのか、教えていただけますか?」
はっきりと語尾を柔らかく、子供に言い聞かせるような口調で彼女に尋ねた。
何か口にしたそうな…けれど苦虫を噛み潰したような顔で小さく首を振る。
「言えません」
その言葉と同時に、審神者さんは目元を濡らせてゆっくり顔を上げた。
「理由を聞いても?」
「……この納屋には、前の審神者の呪いが掛けられているのです」
「呪い…?ですか?」
先ほどとは違って、少し大きめに彼女は頷いた。
前の審判者…とは、いわゆるブラック本丸を作り上げた張本人ではあるけれど。どうして今になってあの人の話が出てくるのだろう。
それに、呪い云々の話はまったく聞いたことが無い。
無い、けれど今それを追求しても仕方のない事だ。とりあえず彼女の話に耳を傾けることを先決した。
土の上に座り込んでしまった彼女と同じように、自分も膝立ちになって相手が口を開くのを待つ。
「……私が初めてこの本丸に訪れた時、強い穢れと共に前審神者の怨念のようなモノが纏わり付いていました」
「お、怨念…ですか」
「…おそらく霊力を宿している方ならしっくりくると思うのですが、強い負の感情を抱きすぎると、念がのこりその場に呪縛されるのです。何故、この本丸に怨念が存在したのかは定かではありませんが、この本丸に何かしらの執着があったのかもしれません」
その為に私のような霊力者の家は念を除去できるように修行をする、と彼女は言う。
「あの納屋にはその前審神者の念が込められています。今は私が何とか押さえ込んでいますが、監督者様のような霊力の無い方ですと、最悪死に至ることも…」
いや、ちょっと待ってくれ。
「…それは、政府に報告は…」
「していません。このような念は言霊としてより強くなります。多くの人に関われば関わるほど、あの怨念は力を増すのです」
どうしよう。頭が痛くなってきた。
「…」
「この場で嘘を取り繕っても、隠しきれないと思いました。騙すような真似をした無礼を、どうかお許しください」
そう口にすると、彼女は手をついて頭を下げようとした。
慌てて彼女の動作を止めて、小さくため息を漏らす。
なんだか信じきれない話だが、彼女の様子からして取りあえず尋常じゃないものがあの納屋にあることは分かった。
「申し訳ございません…誰にも迷惑を掛けぬよう、この身を削って念を除去しようとしたのです……あと、少しなのに…」
小さく嗚咽を漏らし始めた彼女を宥めながら、なんとか肩を貸して立ち上がらせる。
あの納屋、気にはなるけれど今は彼女を冷静にさせるのが先だ。
…それにしても、どうしたものだろうか。話を聞く限り、政府に報告しないと大変不味いものだと判断できる。
しかし、彼女の言葉の言う通りであれば、多人数相手に口にするのは駄目…みたいだけれど。
小さく頭を掻きながら本丸を目指した。
……ふと、視線を感じて左方に目を向けると、鶴丸国永がじっと此方を見据えていた。
そこには、あの愉快そうな表情が一切感じられず。顔のどこの部分も動かさず。ただじっと、白い装束の神様は此方を見つめていた。
…そんなこんなですっかり日はどっぷりと浸かってしまった。
審神者さんに先月の報告書について注意しなければいけなかったのだが、彼女は部屋で休んでしまっている。そっとしておいた方が良いかもしれない。明日にその事は告げることにしよう。
…それよりも、あの納屋である。彼女はずっと、政府に報告しないでくれと頭を下げていた。一応こちらも曖昧に頷いてはいたけれど、見なかった事に出来るはずがない。
もうすぐ念は消え去ると審神者さんは断言したが、そういった事例があったという事実が重要なのだ。
お風呂を済ませて客室に戻って暫く悩んだ後、連絡用の端末を取り出した。
もうすぐ定期報告の時間なので、あちらもすぐに応答する。
『…お、今日は早いな。どうだった?』
今朝も耳にした同僚の声を聞いて、少し冷静になる。直接口にする事は出来なくても、それらしい事は伝えられる。
「少し面倒事が起こりそうかもしれない」
『……なんだ』
私の言葉を聞いて、あちら側の空気が変わったような気がした。本丸内でのトラブルに敏感になるのは政府末端職員の性とも云える。
「言葉にすると危険が増すから、あまり口にしてはいけない…って忠告されているんだけど、とりあえず報告だけしておこうと思って」
『…?どういう事なんだ』
「此方としても詳しく説明したいところだけど、審神者の身に危険が掛かる可能性があるから何も言えない。本人は問題無い、って言い張っているけど何かあったらそっちに帰る前に要請出すかも」
早口にそう伝えるが、相手は意図が測りきれないといった空気を醸し出している、気がする。しかし私がふざけている様子ではないと察知すると、深いため息を端末越しに吐いて強めの言葉が返ってきた。
『よく分からないが、何か問題があるならじっとしておくんだ。審神者の身を案じるのは勿論だが、危険を冒してまで首を突っ込んでいいわけじゃない』
「分かってるよ」
あちらが心配になる気持ちもわかる。私だって逆の立場だったら同じ事を言っていただろう。
端末の電源を切り、しばし悩む。
どうしてもあの納屋が気になってしまう。何故、今まで見かけなかったのに今日の昼間になって発見できたのだろうか。
…彼女は他に、何か隠しているんじゃないんだろうか。
あまり疑うような真似をしたくないが、状況が状況だ。そうも言って居られない。
流石に納屋に突入しようとは思わないけれど、少なくとも昼間発見した時のあの距離までなら問題ないだろう。
あの時は慌てて部屋から飛び出したので、政府から支給された道具等は一切持っていないかった。
とりあえず何か役に立ちそうな道具一式を懐に収め、客室を後にする。
日はもうすっかり暮れているため、薄暗い裏庭に赴くのは気が引くけれど仕方がない。明日の最終日は昼前に本丸からさる予定で一度じっくり調べる時間はないだろう。
思考を巡らせながら廊下に出て角を曲がろうとした時、すぐ目の前に白い人物が現れた。
あまりにも前触れのない登場に、思わず「わっ」と声が漏れる。
またまた行く道を遮っていたのは鶴丸国永だ。また馬糞を持ってきてないよな、と警戒心を露わにして後ずさったけれど、相手は笑いながらこちらを手招きした。
「安心してくれ、もう馬糞を押し付けたりしないさ。風呂にもちゃんと入ったぜ」
嗅いでみるか?と両手を広げた相手をやんわり断り、後ずさりした分だけ相手に近づく。
「……鶴丸国永様。お昼の件は失礼いたしました」
結局鬼ごっこの件は私の方から投げ出した形になってしまった。といっても、あちらも気にするなと小さく首を振ったけれど。
「主の容態を気遣ってくれて助かった。次の機会にまたやるか」
「…そうですね」
曖昧に笑みを浮かべながら、相手の目をまっすぐ見つめる。
次の機会、がもう無いはずなのに少しだけ寂しいと思ってしまう。やはり情が湧いてしまった結果だろう。
神様相手におこがましいけれど、関わった時間が長い分だけ思入れも深くなる。
しかし、此処でその想いを引きずるのは絶対に間違っている。それくらいは身を弁えているつもりだ。
それにしても、あちらは明らかに私に用がありそうな顔持ちだ。流石に1週間もすれば分かってきた。
「こんな遅くに何処か用でもあるのか?」
「ええ、あの納屋に少し気になる事があって。…ああ、でも流石に突入したりしませんので」
近づいてはいけない、という女審神者さんの言葉を念頭にそう口にしたけれど。
それでも鶴丸国永は目線を少し私から外して言い退けた。
「…今あそこには近づけないと思うぜ」
「…え」
呟くように出てきた言葉に、思わず首を傾げる。けれど彼の口から続きの言葉は出てこなかった。
それよりも、と鶴丸国永は改めて私と向き合って口の端を少しだけ上げる。
「ちょっと付き合ってくれないか。君に話したい事がある」
「え、…いや、あの」
正直、寄り道せずに納屋に向かいたいところだ。
私が渋った様子を見せれば、あちらとて無理に誘うような性格では無いと思っていたけれど、何故か今日に限って引き下がるような様子は伺えない。
「明日にはもう帰るんだろう?年寄りの願いを聞いてくれないか。時間はそう掛からない」
そこまで神様に言われてしまえば、流石に付き合わない方も悪い。
わかりました、と小さく頷けば何処かホッとしたような顔持ちで私を見ていた。
「場所を移しても良いか。付いてきてくれ」
「構いませんけど…何処に向かわれるのですか?」
私の問いに彼は笑みで受け流しながら口を開こうとはせず。
訪れたのは手入れ部屋だった。
「…?」
客室や誰かの部屋ではなく、どうして此処に訪れたのだろうと首を傾げる。
鶴丸国永は道具一式が置かれている場所に座り込んで、何かを漁り始めた。
「…あの」
「君は手入れをした事があるか?」
投げられた質問の意図は解らない。
「…いえ、無い…ですけど」
当たり前だ。私は審神者ではない。霊力が無い私が手入れ出来るはずがない。
随分間抜けな返答を返せば、あちら小さく喉を鳴らして笑っていた。
「せっかくだ。一度経験してみればいい」
そう告げながら、彼は私に道具一式を押し付けてきた。
いや、使い方は流石に知っているけど。実際に私がやる必要などない。
「出来ませんよ。私に霊力が一切無いのはご存知でしょう」
「そうつまらない事を言うな。ほら、何でも経験してみるのは悪くないぞ」
それ、やってみろと私に道具を使うよう促す彼は、やはり何時もより強引なような気がした。
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