▼ 3
翌日、目覚ましが鳴り響くのをなんとか止め、日が出る前に布団から這い上がった。
正装に着替えた後、客室から外の空気に触れる。早朝特有の冷たい空気が眠気を更に覚ませた。
鳥のさえずりを心地よく感じながら、廊下をゆっくり歩く。この早朝の徘徊も政府から命じられたものである。
どうやら穢れというのは朝になると顕著になるらしい。本丸内にそういった空気はないかどうか、調査する事になっている。
といっても、やっぱり霊力のない私は機械に頼るしかないのだけれど。とりあえず穢れを探知する計測器は問題無い事を示している。
うん、問題無い。
残りの日数も平和に過ごせそうだなと庭を眺めながらふと足を止めていると。
「監査者殿」
すぐ後ろから凛とした声が嫌に鼓膜に響いた。
肩を大きく震わせながら後ろを振り向けば、随分近い距離に三日月宗近が立っていた。
まて、全く人の気配がしなかったんだけど。いや、人じゃないか。
驚きを隠そうとしない私に対し、あちらは少し気を良くしたような顔で言葉を続けた。
「今朝は随分早いな。何か入用か?」
うっすらと目元を細めた目の前の人物に、ぞくりと背中が冷えた。ここまで綺麗な顔立ちだと、かえって不気味さが引き立てている。
人を惑わせる力がありそうな眼差しを思わず避けるように目線を右に向け、小さく頷いた。
「朝の見回りです。気を悪くさせたのなら申し訳ございません。敷地内をあまり出歩かれたくないかもしれませんが、ご了承ください」
少しだけ、冷たい口調になってしまったのを自覚しながらも何とか相手の問いに応える。
駄目だ、私にとってこの人は心臓に悪すぎる。写真越しなんかで見れば眼福だなぁって思うだろうけど、生はキツい。
「そんな事は気にしておらん。それより…」
正直さっさとこの場を去りたいのだが色香を漂わせる声色はそれを拒む力があった。
「昨夜は随分遅くまで鶴と遊んでいたようだな」
により、と効果音が聞こえてくるような表情をこの人は私に向けてきた。
一瞬だけ、笑顔の仮面が取り外され真顔になってしまう。なんだ、その誤解を招くような言い方は。
私の反応を見て、あちらは更に気を良くしたように「はっはっは」なんて笑っていた。何がおかしいのだろうか。
「…三日月宗近様は誤解していらっしゃるようですね。確かに昨日の晩は鶴丸国永様と将棋いう遊戯をしていましたが。三日月宗近様が意図されるような出来事は何もありませんでしたよ」
「何を言う。俺は監査者殿が言うように、『遊んでいた』なと確認をしただけだ。深読みをしたのは其方ではないか」
「………そうですね」
硬い笑いを返してやったが、それに反して彼方はまだ柔らかい笑みを浮かべていた。
なんだこの人。なんていうか、いい性格してるわ。
…いや、元はと言えば、時間を忘れて男性と遅くまで共に部屋にいたのが間違いだった。
そういった意図をまったく考えていなかったとしても、周囲からすればそのように見えたのかもしれない。しかも此方の立場が上とはいえ、客人の分際で。
軽率だったな、と頭の中で自分を叱咤しながら何とか相手の目を見つめながら口を開く。
「申し訳ございません。ご無礼をお許しください」
頭を下げて礼を申したけれど、やはり三日月宗近は表情を変えることなく、小さく首を振っていた。
「いや、少し揶揄い過ぎたかな。気にするでない」
そうやって笑ってはいたけれど、彼の瞳にはどこか冷たさが宿っていた。気にはなったけれど、恐らく深入りしてはいけない眼差しだなと直感した。
「…監査、というものは本丸を見て周るだけなのか?」
「……?」
先ほどの雑談とは少しだけ纏う空気が変わったような気がして、思わず首をかしげた。
やはり、外部の人間の動向が気になるのだろうか。それだとしても直接聞いてくる事には驚きだ。
「そうですね…審神者へのカウンセリングも兼ねていますけれど、本丸の視察に時間を当てる事もあります」
特に隠すような事でもないので、素直にそう告げれば、相手は何かを思惑するような顔つきで間を置いた。
何か気になることでもあるのだろか。
「敷地内は全て視察し終えたのか」
「いいえ、裏庭の方にはまだ訪れていません。広いそうですので今日に見て周ろうと思いまして」
「そうか。まあゆっくり見て行くがよい。主自慢の庭だ」
その言葉を最後に、三日月宗近は去って行ってしまった。
なんというか、ここの神様達は裏庭がお気に入りなのだろうか。昨日も鶴丸国永が裏庭がどうのこうのと言っていたし。
そこまで言うくらいなら、少しゆっくり見て周るとしよう。
客室に戻ると数分もしないうちに女審神者さんがやって来る。私が既に起床していたのは知っていたらしく、朝食を持ってきてくれた。
こんな朝早いというのに、もう朝食が用意されているのか。びっくりだ。
「おはようございます。お食事を用意いたしました」
「ありがとうございます。ここの本丸の朝は早いんですね」
「ええ。もう1刻ほど前に第1部隊が出撃しております」
早すぎるだろ。
出来れば鶴丸国永以外の人物にも、少し聞き込みなるものをしてみたいと思っていたけれど、今回の滞在では難しいかもしれない。
まあ、刀剣男士への聞き込みがメインではないので政府の目的としては問題無いけれど。
それじゃあ今日も予定通り、本丸内の見回りと審神者さんとのカウンセリングに時間を当てることにしよう。
なんて計画を頭の中で組み立てながら、ふと先ほどの三日月宗近との会話を思い出した。
「審神者殿」
「はい、なんでしょう」
「昨夜、鶴丸国永様と少し会話させて頂きました」
立場的には報告する義務などないが、それよりも滞在している身として、一度審神者さんに告げる必要があるなと思った。
彼女の反応はというと、少しだけ困った表情を浮かべながら小さく頷く。
「はい、承知しております。昨夜は鶴丸が無礼を働き申し訳ございませんでした」
なんて告げると同時に、彼女は頭を下げてきた。
まてまてまて、こんな反応は予想していない。昨夜の事を知っていたのか。やはり彼女の領域内ではお見通しという事だろうか。
「い、いえ、頭を上げてください。むしろ此方の方が立場も弁えず遅くまで…」
「鶴丸が無理に監査者様を夜遅くまで付き合わせたのだと伺っております。今後はこのような事が無いよう、私の方から厳しく言いつけておきます」
「…」
しまった、逆に気を使わせてしまったパターンだ。
自分の立ち回りの悪さに嫌になりながら、とにかく顔を上げてくださいと口にした。
これ以上、彼女の気を使わないように、今後はもっと自分の行動に気をつけなくては。
今まで刀剣男士と深く関わる事がなかった為、加減が分からなかったけれど。用心に越した事はない。
美味しい味噌汁を口にしながらそう決意したのに。
「よっ、もう朝食は済んだのか?」
さっそく来たよ。何なんだよこの神様。
「…おはようございます」
「ああ、おはよう。なあ、昨夜ふと思ったんだが君は他にも遊戯道具を持ってきているのか?」
…最初はちょっと警戒されて周囲に居たのかと思っていたけれど、多分そうじゃない。
もう完全に興味本位で私というイレギュラーな人間に関わろうとしている。
完全に玩具を欲している少年だ。
「…無い事はないですよ」
そう告げながら、何か彼の暇つぶしになるような道具は無かったのだろうかと考え込む。出来れば対戦型じゃないやつ。
そうなると一つしかない。近代化の産物にどんな反応が返ってくるのか少し興味が湧きながら携帯ゲーム機を渡した。
「…?なんだこれは?」
「携帯ゲーム機です。ここが電源で…」
「おお!光ったな。どうなっているんだ、この箱は」
「私もよく分かりません」
そう告げながらスタート画面まで行き着いた。
『ドギマギ!メモリアル!あの子のハートを射止めたい!!』
「喋ったぞ!」
しまった、と思わず顔を伏せた。違うソフトを入れておくべきだった。
prev / next