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鶴丸国永は言葉通り、本丸内を出来るだけ多く案内してくれた。手入れ部屋や炊事場、広間。どこも清潔感が漂っている。しかし炊事場で遭遇した燭台切光忠以外の刀剣男士が見当たらなかった。
「他の奴等なら居ない」
私の思考を読み取ったように、彼は前方から言葉を投げかけた。
「遠征部隊は明日まで戻ってこない。他は殆ど出撃している。そんな訳で暇していたのさ」
「なるほど」
小さく頷けば、彼は手すりに片手を置いて足を落ち着かせた。
「さて、屋内は殆ど案内してしまったな。あとは主の部屋くらいか。他に行きたい場所はあるかい?」
「…先ほど仰られた裏庭、というのはそれほど広いのですか」
「ああ」
「……それなら本日は止めておきます。明日にでも覗いてみますね。案内して頂きありがとうございました」
最後まで丁寧な対応を努めた為か、彼は特に意に介した様子も見せず此方を見ていた。
ふと、彼の顔を改めて見て用意していた疑問を思い出す。
せっかくなので投げかけてみることにした。
「そうだ、鶴丸国永様。この本丸にて何か不便等御座いませんか?」
「…不便、か?」
「気を悪くさせたのなら申し訳ございません。ここの審神者殿は大変優秀な方ですが、彼女も人ですので目の届かない部分があるのかもしれません。彼女に言い辛い事があれば政府の方で対応できる場合もありますので、気兼ねなく声を掛けてくださいね」
用意していた答えをそのまま伝えただけだけれど、何故か鶴丸国永は意味深に視線を右下に持って行き、そのまま笑みで返事をしてきた。
さて、これで良いだろうと今度こそ踵を返して部屋に戻ろうとしたけれど、遮るように彼が言葉を続けて投げかけた。
「…監査者殿は霊力が感じられないが、もしかして全く備わっていないのか?」
「え? ああ、はい。そうですよ」
「随分不用心だなあ。大丈夫か?」
「心配には及びません。対策はきっちり取っていますから」
彼の言う通り私は全く霊力がない。…というより、政府側の人間だとしても一部を除いて霊力を持っている人間は居なかった。
もし潜在能力があるとすれば、真っ先に審神者候補となりうる。特にお国の元にいる政府の人間は目が行き届きやすい。
昔は政府側も霊力が無いといけない制約があったが…前述した通り深刻な審神者不足で皆そちらに連れて行かれた。
しかし、霊力の無いというのは自衛手段が無いということだ。審神者のように結界を張る事も出来ないし、付喪神より優位に立てる事はない。
その為、本丸に訪れる際は伝達手段豊富な端末や、霊力が込められたグッズ(最初はインチキかと思った)等が配布される。
…まあ今回は危険度が低いという事で、大した物は支給されなかったけれど。
「それじゃあ、私は審神者殿の部屋に訪ねてみますね」
「ああ、無理やりくっ付いてきて悪かった。外からの客人なんて滅多に居ないからな。良ければまた話し相手になってやってくれ」
軽い口調で手をひらひらと振る彼に会釈をしながらその場を去った。
親しみ易い、とは思ったけれどやはり一人で見廻ってみたかったというのが本音である。
此方を好意的に見ているのか、それともやはり警戒心を抱いているのか。あの様な対応だと何方なのか分かり難い。
とりあえず先ほど口にした通り、今度は女審神者さんの部屋へ訪れることにして、
彼女との会話も十数分程度で終了し、再度本丸内を廻った後客室へと戻った。
1日目はこんなもので良いだろうとPC端末を開いて本日の報告書類を作成する。
一通り作成した後、政府へと連絡するための端末を厳重に保管された箱から取り出す。
ここの神域と人間世界とでは特別な電波を発する端末でないと連絡できない。これを無くしてしまえば、孤立無援になってしまう。
「もしもし、聞こえますか」
酷い雑音が続いた後、ようやく目的の人物である同僚の声が耳に届いた。
『聞こえてるよ。調子はどう?』
「さっき報告書類送りましたけど、とりあえず問題は無いっぽい」
『まあそこの審神者、優秀だしな』
「美人だしね」
『やっぱりそうなんだ。俺も直接見てみたいなあ』
雑談を軽く交わした後、本丸の様子について簡単に説明した。…といっても、先ほど口にした通り問題ない様子だったのでこれも数分程度で終わってしまう。
他に何か気になる事はないだろうかと、今日あった出来事を一度振り返る。
その中からふと、一点だけ気になった事を端末越しに相手に伝えた。
「そういえば、ここの本丸の審神者さんの報告書類って確認できる?先月の」
『先月?』
「そう。できればチェックが通った後のデータベース形式じゃなくて、原本のままのやつ」
『何か気掛かりでもあるのか?』
「いやね、ここの本丸、短刀が一振りもいないんだよね。先月で報告したと彼女は思ってるらしいんだけど、一応確認ね」
『へえ…少し時間が掛かると思うけど、それでも構わないか?』
「うん。そっちも忙しいだろうし、時間が空いた時にでも確認してくれたら助かるな」
『分かった。確認したらまた連絡を入れる』
「よろしくお願いします」
『一応言っておくが油断はするなよ。お前は詰めが甘いところがあるからな』
「気をつけるよ」
その言葉を最後に、端末の発信モードを切る。
それと同時に、襖の外から声を掛けられた。
「監査者様。夕餉をお持ち致しました」
どうぞ、と口にすれば襖が開き、女審神者さんが人の良い笑みで私と顔を合わせた。
横には美味しそうな和食がお盆の上で湯気を立てている。
「わざわざお持ちして頂きありがとうございます」
「燭台切光忠が腕をふるって作られたものですので、きっと監査者のお口に満足出来ると思います」
この人は私をお偉いお方だと思っているのだろうか。実際には政府の下っ端に過ぎないのだが。
ここまで丁寧に扱われた事がないので少しむず痒い。
「…そういえば、出陣された付喪神達はまだ帰還されないのですか?」
「ええ、おそらく夜遅くになると思います」
「なるほど」
ありがたくお盆ごと夕食を頂き、彼女が部屋を後にしたのを確認して鞄の中から先ほどとは違う機器を取り出す。
取り出した2cm角の立方体を夕食の上にかざした。一応、これが毒味となってくれている。
私自身は霊力が全く無く、穢れなんてものは全然感じ取れないのでこういった端末に頼るしかない。
彼女を疑うような真似をしたくはないが、用心に越した事はない。
特に警告されるような反応は無かったので、ありがたく夕食を口にした。超美味しかった。
その後、お風呂も用意してもらい身を清めた後で寝巻きに着替える。襦袢では落ち着かないので、私はいつも学生時代に愛用していたジャージを着込んでいる。
流石にこんな姿を晒すわけにはいかないので、今日はこれ以上客室から出ないつもりだけど。
今日はもう寝るかな、と既に用意された布団に足を向けると。
…この部屋には障子が用意されており、外の景色を楽しむことができるのだが。
いつの間にかその障子が開かれていて、白い頭の人が此方を眺めていた。
…びっくりした。お化けかと思った。
「…驚かせないでください」
「なんだ。そういう割に今度は反応が薄いじゃないか」
昼間に見せた時と同じような表情で鶴丸国永は笑みを浮かべる。
「これでも遠慮した方なんだぜ。本当は部屋に何か仕掛けるつもりだったが、流石に女人の部屋に無断で立ち入るわけにはいかないからな」
「…」
どうしよう、この刀。なかなか心臓に悪い。
「邪魔してもいいかい?」
「えっ」
ちょっと待て、と思わず心の中で叫ぶ。
いくら客人が珍しくて当人が暇だからといって、主以外の人間にこうやって声を掛けるものなのだろうか。
正直この刀剣男士達が何を考えているのかなんて、私には全く分からないけれど。
少なくともこれまでの経験で、ここまで監査者である私に関わりを持とうとしなかった。他の本丸にいた鶴丸国永ももちろんこれに当てはまる。
私の返答が長引いたとしても、彼はそれが分かりきっていたようにじっと此方を見つめていた。
…なんというか、ここまであからさまだと逆に気になってしまう。
もしかして、何らかのサインかもしれない。
そう気になりだすと止まらなくなり、結局彼を部屋に迎えることにした。流石にあの女審神者さんの領域内で何か起こるとは思っていない。
襖から改めて部屋に入ってきた鶴丸国永は私の格好を一望すると珍しそうに口にした。
「君もそういった格好をするんだな」
このジャージを指している事にはすぐ予想がつく。彼らにとっては珍しい服装なのかもしれない。
「この格好、動き易くて良いんですよ」
「ああ、燭台切や一期一振も言っていたな」
「…!彼らもジャージを着ているんですか」
「まあ、似たようなやつをな。じゃあじって言うのか」
変な名前だなあ、なんて口にしながら彼は今度は私の部屋を一通り見渡した。
「君の荷物は随分と多いな。そこまで必要なのか?」
「ああ…これは、」
政府から支給された対策グッズが殆どではあるが、それ以外にもこの鞄を圧迫しているものがあった。
せっかくなので取り出して見せてみることにする。
「これ、知ってますか?」
取り出したのはボードタイプの将棋簡易セットだ。それを差し出すと、彼は興味深そうに駒一つ一つを手に取った。
「将棋か。実際に指した事はないな。碁なら少しは嗜んだが…同じようなものか?」
「通ずるものはあるかもしれませんね。駒の一つ一つに役割があるんです」
そう口にすれば彼は更に関心を寄せたようで、駒の説明を求めてきた。
こういった遊戯を持ってくるのはいつもの事である。正直、刀剣男士の方々と何かしら会話に行き詰まったら活用できるかも…なんて軽い理由で持ち歩いていたけれど。まさか本当に日の目を見る機会があるとは思わなかった。
と言っても、私も将棋の腕は初心者同然ではあるけれど。
「この駒は前に一つしか進めなくて、この駒は縦と横に一直線に進めます」
「へえ…」
成れば10種類以上もある駒を彼は一つ一つ興味深そうに聞いている。こんな反応を示されちゃあ私だって少し嬉しくなるもので。
一通りルール説明を終えればすっかり鶴丸国永は駒の役割を覚えてしまった。
「それでもって、相手の王将の駒を取れば勝ちです。次の一手で王将を取れる状態を『王手』って呼びます」
「なるほどな。面白そうじゃないか」
嬉々としてそう口にする彼は、期待を込めた眼差しを私に向けた。
…まあ、こんなに楽しそうにルールを聞いていた時点で予想はしていたけれど。
「…一局、対戦してみますか」
「おお!是非ともそうしてもらいたいな」
「といっても、私も初心者と同じようなものですから。期待はしないでくださいね」
そう告げながらボードに駒を並べる。鶴丸国永は駒の配置も覚えてしまったようだ。さすがというかなんというか。
とりあえず一度対局してみたのだが、これも予想通り。めちゃくちゃ強かった。初めてって嘘じゃないの?
「これで『王手』…か?」
「…負けました」
頭をがくりと下げながら、やはり神様には勝てないよなあとしみじみ思う。
「鶴丸国永様はお強いですね。完敗です」
「いや、此方としても随分楽しめた。随分奥が深い遊戯だな」
そう口にしながら未だに駒の配置を眺める彼に対し、これだけ見ると只の好青年だよなあなんて失礼な事を考えた。
それよりも、随分気に入ってくれた事が少しだけ意外だった。
「それ…差し上げましょうか?」
なんとなく思いついた言葉に、彼は分かりやすく反応を示した。
「いいのか?」
「ええ、私はもう殆ど指しませんし。是非他の方と対局してみてください」
使われる方がこの将棋ボードの為にもなるだろう。あまり昔の遊戯に詳しくないが、囲碁は知っていると言っていたし、きっと将棋も他の付喪神達に気に入ってもらえるはずだ。
とりあえず将棋ボードを片付けて手渡そうとしたけれど、彼は少し待てと私を制してきた。
「もう終わるのか?」
「はい?」
「せっかくだ。もう少し対局しようじゃないか」
鶴丸国永は再度駒を並べようとする。ハマっちゃったのかな、なんて心の中で小さく笑いながらため息を漏らし、彼に付き合うことにした。
三局もすればすっかり夜も更けてしまい、そろそろ就寝しないと明日に響いてしまう時間となって。
流石に鶴丸国永もこれ以上は続きを促すことはしなかった。
「随分楽しい時間を過ごせたぜ。遅くまで付き合わせて悪かったな」
「いいえ、此方こそ久しぶりに対局できて楽しかったです」
そう口にしながら今度こそ将棋ボードを手渡そうとしたけれど、またしても彼は受け取ろうとしなかった。
「それは君が去る時に受け取る。また付き合ってくれても構わないだろ?」
「はあ……よろしいです、けど」
思わず間抜けな返答をしてしまったが、鶴丸国永は特に気に留めた様子も見せず、部屋から去ってしまった。
…今更ではあるけれど、こんな刀剣男士と遊戯で楽しんじゃって良いのだろうか。今までこんなにも外部の人間である私に関わろうとして来た刀剣男士は居なかった。
……この事は報告書には伏せておこう。何か情報が聞けるかもなんて目的があったとしても、遊んでいたなんて上司に知られたら後が恐ろしい。
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