キンセンカの涙 | ナノ


87:彼は嘘をつかない

行きます、なんて断言してしまって早速後悔する。

バスの中でさえ出来れば一緒に座るのは勘弁願いたい、なんて思っていたくせに、完全に一緒に観光する方がハードル高いじゃないか。


「みょうじは行きたいところがあるか」


マップを手にしながら、赤司征十郎は微笑を浮かべて話しかけてくる。
周りの学生たちの視線を気にしながらも、同じようにマップに目を通した。


「えっと…私は京都はよく分からないので、赤司君が行きたいところにしましょうよ」

「俺は何度か京都に来たことがあるから、みょうじに合わせるよ」

「あ、そうなんですか。旅行とかで?」

「実家の別宅が京都にあるからね」

「…別宅ですか」


凄いな。本当に別宅とかあるのか。世界が違う。

…と思ったのだが、よくよく考えれば私の義両親も彼方此方に別荘を持っていた。殆ど行ったことはないし、あまり実感は湧かないけれど。

結局、適当にぶらつこうかという事で話は落ち着き、周りの視線から逃れるようにその場を発った。
少し歩いていると、すぐ近くに大きな神社が視界に入った。名前は知らなかったが、どうやら有名な神社のようだ。


「ちょっとあそこ行ってみませんか?」

「ああ、構わないよ」


彼の様子からして、その寺にも訪れた事がありそうだったが、殆ど有名どころは網羅していそうなので遠慮しない事にした。

如何にも京都らしい、雅な雰囲気が漂っている。
観光客もそれなりに多く、同じ制服を着た帝光中生もちらほら見かけた。


「ここってどんな神様がいるんですかね」

「厄除や必勝の雷の守り神が祭られているらしい」

「…へー」


やばい、この人速攻で答えてきたんだけど。緑間顔負けの物知りようだ。


「必勝の神様なら、参らないわけにはいきませんね」

「何か神頼みしたい事でもあるのか?」

「この前、黒子とシュート対決したら負けちゃったんで」


そう言うと、赤司君は「なるほどね」、なんて笑っていた。
最近よく笑い顔を見かける気がする。


「シュート練習なら、俺も付き合うよ」


ぎょっと、目を見開いた。何を言ってるんだ、この人。
あなた忙しいでしょ!と突っ込みたかったのだが、わざわざ好意で出てきた言葉をすぐ否定するのは申し訳ない気がした。


「…機会があったらよろしくお願いします」

「ああ」


社交辞令だよな、と思いながらも神社内を巡る。まだ紅葉は見かけられないが、緑が多くて心が落ち着く。
意外にも境内が広く、心行くままに歩を進めていると、おみくじが目に入った。


「この神社で引いたことあります?」

「いや、ないな」

「折角なので引きましょうよ」


やっと未経験要素が出てきた事にホッとしながら手を招く。
彼も特に遠慮することなく財布を取り出した。

巫女さんから軽い説明を受けた後、200円を投下する。
最初にどうぞ、と赤司君から譲られたので、こそばゆく感じながらもくじを引いた。
その後すぐに赤司君もくじを手に取る。


「44番…凄い嫌な予感がする。赤司君は何番ですか?」

「1番だな」

「…随分縁起が良いですね」


やっぱりこの人、何か持ってるよなあと実感しながら、年老いた神職の人に番号を告げた。

少し待てば、すぐに番号に対応した紙を手渡される。
折角なので、同時に結果を見ることにした。

せーの、と私の掛け声と同時に紙を開く。


「…」

「…どうした?」

「だ、大凶って。私初めて見たんですけど…」


私の言葉に、赤司君は興味を持ったのか私の紙を覗き込んだ。


「俺も初めて見たな」

「で、ですよね…そんな出るものでもないですよね…」


わずかに震える手を何とか抑えながら、2人で文字を追う。
書かれていることも、まあ、ずたぼろだった。


『願望:素直にならなければ何も叶わない
 病気:危ない
 失物:戻らない
 待人:既に来ている
 旅立:利なし
 学問:努力しても無駄
 争事:負ける
 恋愛:もう遅い』


「ひ、酷い…」

「ここまでくると逆に清々しいな」


こんなに酷い結果があっても良いのだろうか。
なにもかも全否定されているんですけど。マシなものと言えば待ち人くらいだろうか。

こういった占いに対して、良い結果は信じて悪い結果は信じないという、都合の良い考えを持っていたのだが…。

これは木の枝に結ばないといけないな、と紙を丁寧に折りたたんだ。
手を動かしながら、此方を見ている赤司君と目を合わせる。


「結果はどうでした?」

「中吉だったよ」


大吉じゃないのか。意外だ。


「殆ど良い結果だったけれど、一つだけ注意されていたな」

「へー、何をです?」

「…」


特に意識もせず問うてみたのだが、何故か赤司君は口を閉ざしてしまった。
予想外の反応に首を傾げながらも、特に深く追及せず。一緒に結ぶか尋ねてみる。


「いや、俺は記念に持って帰るよ」


…記念に持って帰る概念が彼にもあったのか。

なんて失礼な事をまた思ってしまっていた。


木の枝にしっかり結び付けた後、神社を後にして再び通りを歩いた。
観光客を対象とした店が立ち並び、外国人も多く見かける。

その中から、小奇麗なお店に少し立ち寄ってみた。
特に何かを買うつもりはなかったのだが、とある陳列棚が視界に入る。


「随分きれいなストラップですね」

「…?…ああ、本当だ」


煩すぎない、シンプルな装飾でカラーバリエーションも豊富だ。
折角なので少し眺めてみることにする。


「こういったカラフルな物を目にすると、バスケ部思い出しますよね」

「…まあ、確かに色鮮やかだからね」

「赤司君の赤と…青峰の青と、黄瀬君の黄色と…緑と紫もありますし、桃井さんのピンク色もありますね」

「折角だから皆に買っていくかい?」

「赤司君。値段を見てください。値段を」


飄々と言いのけた彼に対し、値札をしっかりと指す。
一つ当たり、1500円する。小奇麗で上品だなと思ったら、値段も立派だった。

10分の1だったら皆に買っていったかもしれないが。


「山田さんは少し茶髪が入ってるから、この茶色ですかね。この色も良いですね」

「…それじゃあ、みょうじはこれかな」


様々な色のストラップを吟味していると、赤司君が1つのストラップを手に取った。
全体は黒く、薄く紫色の線が一本だけ引いてある。

陳列棚に並べられている中でも、一番綺麗だなと思った。


「私が黒髪だからですか?」

「それもある」

「なら殆どの人が当てはまっちゃいますよ」


そう笑いながらも、そのストラップに何故か目が離せなかった。
こういった小物に惹かれるのはいつ以来だろう。

せっかくなので1つ買っていこうかなと、財布を取り出した。
すると、すぐ近くに居たお店の人が人当たりの良い顔をこちらに向けてきた。


「此方のストラップは縁結びの神様のご利益が込められています。恋人たちに人気なんですよ」


そう告げながら、私だけでなく赤司君にも笑顔を配った。


止めておこう、と即断し乾いた笑いを漏らしながら、陳列棚から徐々に離れる。
私の様子に、赤司君は不思議そうな目で見ていた。


「買わないのか」

「冷静になって考えると要らないなと思って。お土産効果に充てられました」

「そうか」


それからお店の中を一通り見て回ったのだが、結局何も買わずに出ることにした。
集合時間まで後1時間ほど残っている。


「少しどこかで休憩するか」

「あ、賛成です」


殆ど歩きっぱなしで少し足が疲れてしまっていた。
部活でそれなりに鍛えられたと思っていたのだが、たぶん私の疲れが彼に伝わってしまったのだろう。

こういった気遣いが出来る人って本当に凄い。

すぐ近くにあった大きなお茶屋さんに入る。
学生服にも関わらず、お店の人は顔色一つ変えずに案内してくれた。
小さな席に向かいあって座り、可愛らしいメニュー表を手に取る。


「やっぱりお茶ですかね。お団子もありますねー」

「それじゃあ、お茶2つと団子で良いかな」

「そうしましょうか。…あ、見てくださいよ。こんな時期に湯豆腐まであるんですね」


お茶屋さんにしては珍しいメニューで関心を示していると、今までメニュー表を見ようとしなかった赤司君が、ずいっと此方に顔を寄せてきた。

あまりにも急で驚いてしまい、危うくメニュー表を落としかける。


「湯豆腐があるのか」

「え…あ、はい」

「折角だから頼もうか」


え、頼むの?と口をポカンと開けている最中に、彼はお店の人を呼んだ。


「お茶2つと団子1つ、それと湯豆腐を」

「湯豆腐はお2つで宜しいですか?」

「みょうじも食べるか?」

「…いや、私は良いです…」

「1つで」

「畏まりました」


着物を着た店員さんは、伝票を書き記した後、丁寧にお礼をして去って行った。
その直後、予め用意されていたのか直ぐにお茶が運ばれる。

本場のお茶に少し期待しながら、一口啜ってみた。


「…美味しいですね」


私の反応に、赤司君は少し驚いていた。金持ちのぼんぼんめ。


「みょうじはあまり茶は飲まないのか」

「たまに飲みますけど。前茶しか飲んだことないです」

「へえ…みょうじの家は俺の耳にも良く届くけどな」

「私自身は貧乏性なんですよ」

「そうか」


お店の人が今度はお団子を持ってきた。ちゃんと二人分に分けられている。
どうやら湯豆腐は時間が掛かるようで、まだやって来ない。


「少し踏み込んだ話をしても良いかな」

「え、…あ、はい」


団子を頬張ろうとした直前に告げられて、慌てて頷く。

改まってどうしたのだろうか。


「みょうじは一人暮らしなのか」

「…そう、ですけど」


あれ、私この人に一人暮らしの事言ったっけ。本当に仲の良い相手にしか言ってなかった気がするのだが。
私の覚束ない反応に、彼は更に言葉を繋げた。


「この前、皆で遊園地に行ったときに偶然耳に入ってね。すまない」

「え、いやいやいや。別に隠しているわけでもないので良いですよ」


本当は隠しているつもりだったのだが。


「…」


何故か黙ってしまった赤司君は、なんだか言葉を選んでいるような気がした。
ほんの少し、手汗が出てきたのを実感しながら、無言で団子を食べ続ける。


「…まずは俺の話からしようか」

「…?」

「赤司家は一人息子の俺しか後を継ぐ子供がいない。父からは大きな期待を寄せられている」


いきなり始まった家庭話に、思わず団子を口から漏らしてしまいそうになった。

何となく、彼の家庭の話は地雷だと思っていたから。


咄嗟に口を覆いながらも、何とかアイコンタクトを送る。
赤司君は私の反応に苦笑しながらも話を続けた。


「…厳しいと感じた事は無い。それが赤司家にとって当たり前の事であったし、父や母の期待に応えたいと思っていた」


過去形である事に、違和感を覚えながらも箸を置いて話を聞く。
聞きたいような、聞きたくないような、不思議な感覚だった。


「父は厳しいが、母は優しい人だった。幼い頃は辛いと感じる日々も確かにあったが、母の支えで全て乗り越えてこれた」

「…そうなんですか」


口調は穏やかだが、赤司君の表情はいつもと変わりない。それどころか、少し悲しそうな雰囲気を感じ取ってしまった。


「とても素敵なお母さんなんですね。会ってみたいです」

「母は3年前に亡くなったよ」

「…あ。……すみません…」

「いや、みょうじに謝ってほしくてこの話をしたんじゃない」


軽く首を振りながら、お茶を一口啜った。


「ピアノや書道、バイオリン。すべて家の為に完璧にこなした。…けれど、バスケットボールは自分から始めた」

「…」

「バスケは好きだよ。勝つことは当たり前だが、黒子たちと過ごす時間は楽しい」


みょうじとも知り合えたしね、なんて付け足して言ってくれたので、とりあえず会釈をしておいた。

遊園地の時も聞いたが、彼からそういった言葉を聞けるのは素直に嬉しいと思った。


しかし、赤司君は濁すような口調で何かを呟いた。


「…しかし…最近は…」



それから彼は黙り込んでしまった。

どう反応すれば良いのか分からず、私も沈黙を決め込む。


…湯豆腐はまだ来ない。
視線をずっとお茶に向けてしまった彼に対し、頭を軽く掻きながら自分の中で気合を入れた。


「…確かに、私は一人暮らしです」

「ああ」

「実は養子でして。義両親とは上手くいってないんです」


黒子しか知らない事実を落としてみた。

しかし、彼はそこまで驚きは見せなかった。
それなりの名家の養子…というものはあまり珍しくないのかもしれない。


私がこの地にやってきた所からこれまでの話を、簡単に告げていった。
彼の話を聞いた以上、此方も身の上を話さなければならないと思ったからだ。


何のドラマチック性もない、ただ私が身勝手だった話だけれど。


大きな反応は無かったものの、一貫して私の目をそらすことなく聞いていた。

一通り話した後、やっと湯豆腐を店員さんが持ってきた。
話してくれてありがとう、と告げた後に彼は何だか幸せそうに食べていた。



…絶対この人、湯豆腐大好きだよな。口にはしてないけど。


「それにしても、ピアノ弾けるんですね。素敵です」

「みょうじも如何にも弾けそうだけどね。幼少の頃に習わなかったのか?」

「あ、猫ふんじゃったなら弾けます」

「…そうか」


いつの間にか集合時間が10分前になっていたので、慌てて2人でお店を出た。時間を忘れたのは久しぶりだ、なんて赤司君は笑っていた。


「…あの」

「なんだ?」

「どうして…家族の話をして頂いたんですか?」


すこし緊張しながらも、気になっていた事を聞いてみる。
早歩きをしているせいか、心臓がなんだか煩かった。


「…頼れと言われたのは初めてだったからね」

「え…?」

「人に話すという行為は良いものだな。自分を客観視できる」


そう私に短く告げた後、それ以上彼は口を開こうとしなかった。



なんとか集合場所に到着し、班全員が集まったのを確認してバスで旅館まで移動した。
京都らしい豪華絢爛な装飾に胸を弾ませながら、辺りを見回す。


「それでは男子はこっち!女子はあの先生の所に集合してください!」


200人近い学生をまとめる先生たちは、あたふた動き回っている。
大勢の生徒達に押し潰されないよう、女子の集合場所に向かう。同じ班の真面目2人組は必死に私に着いてきている。


「みょうじ」


後ろの方から少し大きな声で赤司君から声を掛けられた。

ちょっと周りの視線を感じながらも、彼が此方まで来ようとしたので同じく彼の元へと向かった。


「今日はありがとう。楽しかったよ」


そう告げられると同時に、小さな袋を手渡された。


「…?これは…」

「それじゃあ、お疲れ」


人ごみに紛れても優雅に立ち去る彼を眺めながら、視線を手元に戻す。
袋には、今日訪ねたお土産屋さんのロゴがプリントされていた。


感触で、すぐにあのストラップだと分かった。


…うわあ。もう彼の紳士さとか限界突破してるだろ。

後でお礼を言わなければならない。


わざわざ『楽しかった』と、社交辞令だったとしても言いに来てくれたのだし。

そんな事を考えていると、何故か今になって緑間の言葉を思い出した。


『あいつは嘘を吐かないのだよ』


………うーん、と頭を捻りながら後ろを振り向く。


男子の集団でぽつぽつと頭が飛び出ているのはバスケ部のメンバーだろうか。

ふと、紫原敦と目があったような気がした。


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