80:若気の至り
「…あれ」
部活へ向かおうとしていたとき、職員室に用があったため体育館とは逆の方向へ足を運ばせていると、見知った人物が階段の踊り場にいた。
「青峰…」
青峰はエナメルバッグを肩に掛けたまま、屋上へと向かっていった。
いつもいの一番に…いや、最近はそうでもないが、誰よりも早く体育館に向かっていたくせに。
少し気になり、彼の後を追ってみる。一応、桃井さんに準備に遅れるかもしれないとメールをしておいた。
階段を上り、青峰が屋上の扉を開けて消えたのを確認し、そっと再度扉を開く。
セミの鳴き声と暑い空気がぶわりと自身を包み込む。
こっそりと覗くように辺りを見回す…が、青峰の姿は見えない。
どこに行ったんだと扉から顔を乗り出して捜してみる。
もしかして、と給水管が配置されてある一段高い場所を一瞥した。
背後に回って、梯子に手を掛ける。
ゆっくり一段一段登り、顔をひょこりと出してみると。
…いた。給水管の影で青峰がコンクリートの上に寝そべっている。
どうやら私に気づいていないようで、目を閉じて寝ているように見えた。
セミの声が辺りを支配し、さてどうしようかと頭を捻る。
もしかしなくても、サボり、だろうか。
暑い空気に汗が一筋自分の頬を撫でる。
さすがに見なかったことには気になって出来ない。
「…暑くない?」
一言、呟く様にぽつりと零したが、青峰はわかり易くビクリと身体を震わせた。
そしてすぐ、こちらの方に視線を向ける。
「…」
数回瞬きをした後、わかり易くため息をついて先ほどと同じ体制になった。
…無視か。
「どうしたの」
梯子の鉄の棒が熱い。
離して、掴んで、繰り返しながら問うてみる。
青峰は何も言わない。
…あまり、首を突っ込まないほうが良いだろうか。
特別体調が悪そうには見えないし、そうだとしたら私にそう言うだろうし。
やはりサボりとしか思えない。
少し前の青峰だったら、そんなわけないあの青峰が!と一言で片がつくのだけれど。最近の青峰の部活に対してのやる気の無さは私でも十分分かるくらいだし。
サボりは正直見過ごせない…が、ここで無理やり引っ張っていっても、まあ駄目だろう。
「…部活行かないの?」
「…」
なんでこんな無言なの。お前本当に青峰かよ。どうすればいいの。
少しだけ、眉を潜めて青峰を睨んでいるとやっと口を開いた。
「お前だって遅刻すんじゃねーの」
「…私は、桃井さんにちゃんと連絡したからいいんだよ」
正直、ちゃんとした理由が無い限り遅れすぎると後で大変なことになるのだが。
それでもこの場は見過ごせない。
しかし、この梯子をもう一段登れる勇気が私には無かった。
何と声を掛ければ良いのだろうか。
「赤司君に怒られるよー」
「そりゃ恐−な」
どっか行けよ、なんて言われないだけまだマシなのだろうが言葉の返しはなんとなく冷たい。
…正直、青峰が考えてる事は分かっているつもりだけれど。
今までバスケのセンスはピカ一だった青峰は、ここ一ヶ月で更にめきめきと成長…いや、もう進化と言ってもいいくらい変わっていった。
今まで試合を何度か見てきたが、開花した青峰の表情はそのプレイと反比例して喜びを見せなくなる。
黒子だって、その変化にはとっくの昔に気づいているはずだ。
…セミが、煩い。
日差しが、酷い。
選手でもないので、気が利いたことが言えない。部活の仲間といっても、やはりマネージャーと選手には言い表せない壁が存在している。
気がつけば、15分も梯子に登ったままだった。暑い。
この時間じゃ、もう部活では大遅刻扱いだ。桃井さんはもう携帯見てないだろうし、最悪だ。暑いし。
いや、私が勝手にやって勝手に遅刻しているだけだが。
私がずっとその場から動かなかったためか、青峰がまたこちらを覗く。
「お前…暑くねーの?」
「暑い」
「…こっちくれば」
えっ、と思わず口から零れる。
正直、邪魔だからどっか行けだとか、お前うぜーんだよ、とか言われたらたぶん泣くだろうなと思っていたのだけれど。
青峰は身体を少しだけ右に移動して日陰の場所を空ける。
それを見て、やっと私は梯子の一段を踏みしめる事ができた。
いいんだろうか、と足をおぼつかせながら、隣で体育座りをする。
セミの声は止まないが、日差しが遮られただけで、随分と涼しくなる。
風が頬を掠め、目を閉じる。四季の中で、夏が一番好きだ。
「…お前さー」
隣の青峰が、寝そべったまま私に問い掛けてくる。
どうしたの、と目線だけ青峰に向けた。
「最近なんかあった?」
「…?なんで」
「なんか、表情が辛気臭−から」
それはお前だろ、と思う。…私そんな表情を浮かべていたのだろうか。まったく自覚が無かったのだが。
しかし、青峰が指摘するくらい分かりやすく出ていたのだろう。
最近あった事…といえば、思いつかない事もないけれど。
そんなことより、今は青峰だ。
「青峰の方が顔死んでるよ」
「…」
私の言葉に、彼は否定の言葉を口にしない。
「…つまんねーんだよな」
コンクリートに身を委ねたまま、青峰は独り言のように呟く。
私はというと、開きかけた口を再び閉じて聞き逃さないように耳を澄ませた。
「やったらやったぶんだけ、上手くなって、他の奴等と差つけて」
こんな事、なんの意味があるんだ、と。
最後の方は殆ど聞こえないほどの声量で口から漏らした。
「…」
本当は、ずっと前から、こんな日が来ることを知っていたはずだ。
けれど、この日が来るまで、私は何も出来なかった。行動に移さなかった。
…それなのに、こうやって青峰の隣に座って話を聞いていて、もしかしたら酷い事なのかも知れない。
ずきずきと頭が痛くなって顔を顰めた。何で自分の事でうじうじしているのだろう。今は、青峰の話をちゃんと聞くべきなのに。
「…ほら、その顔」
いつのまにか上体を起こした青峰が、私の顔を覗き込む。
「やっぱ、お前の方がひでー顔してるわ」
「…青峰には負ける」
腕時計を覗き込む。部活が始まってもう30分経っている。もう何と言っても言い逃れできないだろう。
ため息をつきながら、またコンクリートの上に寝る青峰を真似して、自分も身体を横にする。
視界には綺麗な青空と、青峰の髪が視界を掠めている。
しばらくの間、心地よい風に身を委ねて。
彼に歩み寄るように口を開く。
「…青峰」
「あ?」
「このまま、部活には行かないつもり?」
「…まー、ノルマだけ達成すればいいだろ。バスケなんて所詮遊びだし」
…そんな事、微塵にも思ってないくせに。何故すぐバレる嘘をつくのだろうか。
といっても、それを言葉にしたって青峰はまっすぐ受け止めようとしないだろう。
少し悩んだ後、身体を少し持ち上げて、肌黒い青峰の頬を軽くつねってみる。
「いっ…!」
何するんだ、と一瞬睨まれたが。
「その表情をどうにかしたいと思いまして」
ふふん、と唇で弧を描いていれば、青峰は無表情で私の頬に手を伸ばした。
「…いたたたたたた!!!」
私よりも遥かに強い力で、頬を抓って来る。
こいつは遠慮というものを知らないのか。反射的にこちらも力を強めてしまったが、青峰は更に右手も差し出して、私の両頬を抓りだした。
殺す気か。
「な、何しちゃってんの!」
「お前が先に始めたんだろーが」
降参の意を込めて手を離したっていうのに。
調子に乗り出した青峰は、私の方に身体を乗り出してくる。
「わーわーわー!」
「つーか、お前の方が酷い顔してるって言ってんじゃねーか、さっきから」
にやにや笑いながら、おそらく痕が付かない程度の絶妙な力加減で離そうとしない。
調子に乗ったのだろうか、青峰は片足を私の身体を跨いでひざを付く。
ちょっとまて、何してんのこいつ。
「ちょ…っ!!!」
「はっ、すっげー不細工」
楽しそうな顔しちゃって。そんな彼の様子に思わず此方もにやけてしまった。それに気を良くしたのか、青峰は更に体重を掛けてくる。
この体勢は中々まずい気がするのだが。私に馬乗りしちゃってる。
傍から見れば、襲われてるようにも見えなくない気がするのだが。
「こ、降参降参降参…」
呪文のように唱えれば、やっと青峰は手を放し私から離れてくれた。
正直、結構痛かったのだが、久しぶりに見る青峰の表情になんとなく苦笑してしまう。
ふと、すぐ自分の横に携帯が転がっていた。どうやら抵抗した際にポケットから出てきてしまったようだ。
画面には、不在着信が3件ほど。すべて桃井さんからだ。
…まずい。
「青峰」
立ち上がり、青峰の腕を掴む。
「一緒に怒られに行こう」
「はあ?」
「部活、行こう」
私の言葉に、青峰はまた表情を元に戻す。けれど、先ほどより迷いの色が見えるのは明白だった。
「黒子も寂しがってると思うよ」
黒子の名前を出したとたん、また青峰の瞳が大きく揺れた。やはり黒子効果は大きいらしい。
青峰は自分で動くことは無かったが変に抵抗するのを止め、私の力でも簡単に立たせることが出来た。
体育館に向かう途中、出来るだけ会話を止めないように努める。
「言い訳を考えないと」
「サボりのか?」
「うん」
「普通に、『サボりましたすみません』で良いじゃねーか」
「地獄が見える」
「変に言い訳するよりマシだろ」
「…あんた、時々大人っぽい事言うよね」
「うっせーな」
「最悪、降格だったりして」
「2軍行きか。俺がそうなったらお前も来いよ」
「いや、私は2軍どころか3軍に行かされそう」
部活はとっくに始まっているため、校舎には殆ど人の気配が無い。
会話が廊下を反響して、耳に届く。久しぶりに何の気概も無く青峰と会話する事に喜びを感じていた。
更衣室で着替え、二人で体育館に入るといくつかの視線を感じた。…が、それは一瞬の出来事で直ぐに練習が再開される。
コーチが此方に向かおうとしたが、練習を抜けた赤司君がそれを遮り私たちの元にやってきた。
「何故遅刻した」
何時もの紳士的で優しい彼ではなく、部将としての顔を持つ赤司君にドキリとしてしまう。
「サボり」
それだというのに、青峰は何でもないようにそう良い退けた。凄いなこいつ。
「みょうじもか」
「…はい」
青峰が何か言いたげな表情をしていたが、私の意志を汲み取ったのか、横から口出ししようとはしなかった。
分かりやすい青峰とは違い、赤司君の表情は読めない。
「…青峰はコーチの元へ向かえ」
「ん」
頭を軽く掻きながら、こちらを見ているコーチの方に足を運んだ。
赤司君は腕を組みながら此方を見据えている。激しい練習で汗を多くかいていたが、暑苦しさは一切感じられない。
「…練習に遅れる場合は」
出来るだけ、目を反らさない様にしたいのだが、何分目力が強くて逃げてしまいたくなる。
「コーチか俺に、連絡しろと伝えているはずだが」
「…はい」
「次に同じ事を言わせたら退部だ」
厳しい一言を突きつけられ、生唾をごくりと飲み込む。
短い言葉を告げた後、赤司君は練習に戻って行った。黒子と桃井さん、山田さんが心配そうな目で此方を見ている。
一瞬、紫原敦と目が合ったが、直ぐに逸らされてしまった。
マネージャーの4人に謝りながら、スポドリの準備を始めたと同時に青峰もコーチからの話が終わったようで、ランニングを始めていた。
部活が終了し、モップ掛けをする。今日の部活日誌は山田さん担当だったが、今日は遅刻してしたので自分がやると申し出た。
最初は渋っていたが、逆に私に遠慮してくれたのか、山田さんから日誌を受け取る。
何時もより気持ち長めに記入した後、コーチ部屋に届けた。
今日遅れてしまったことに謝罪をすれば、赤司から話は通っているだろうからもういい、次から気をつけなさい…と、少し拍子抜けな返答をもらう。
コーチに分からない程度に溜息を漏らしながら部屋を出る…と、
部屋の外には赤司君が廊下に背中を預けて此方を見ていた。
かなり驚いたので、大きく肩を揺らせてしまった。
そんな私に対し、赤司君は微笑を浮かべている。
「ど、どうかしましたか…」
「今日の放課後」
部将としての表情は、もう一切感じられない。
「青峰を連れ出してきたんだろう?」
「…」
「分かってると思うが、部活の決まりで例外は許されない」
「はい」
「でも、みょうじの行動を否定はしないよ」
「…え」
「…みょうじも、何か考えがあるようだけれど。一人で溜め込めない方が良い」
この人まで、と表情を曇らせてしまう。
「桃井や山田…黒子でも、俺でも構わないよ」
「…よく、周りを見られているんですね」
「1つの部活を任されているからね」
次から遅れる際は連絡を行うように、と私に告げ、赤司君は踵を返した。
それが何時もより早歩きに見え、もしかして急いでいたのかな、なんて予想する。
ふと窓からグラウンドの方に視線を向ければ、高級車が校門の隅に佇んでいた。
…あの車は、乗ったことがある。いつか赤司君とラーメンを食べた日だ。
やはり、今日は何か急用があったのだろうか。
赤司征十郎は、メリハリをはっきり付けている人物だと分かっている。
理由がどうであろうと男子バスケ部の部将として、厳しい言葉を告げるだろうなと覚悟していたし。
けれど、まさか。
フォローの言葉を頂くとは思わなかった。
信頼されている、とまではいかないが、私に慰めの言葉は要らないと、良い意味で思われている気がしていたのだが。
グラウンドに、目立つ赤い髪が見える。彼はあの高級車に吸い込まれるように乗り込んだ。
車が見えなくなるまで…見えなくなった後も、ずっと窓から赤司征十郎を見つめていた。
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