32:私だって悔しい
「以上の者は明日から2軍として活躍してもらう」
コーチが皆に向かってそう言い放つ。口の中が乾き、冷や汗がどっと出て来る。
黒子の名前は、呼ばれなかった。2軍昇格試験に落ちてしまった。
少しだけ、黒子の震える背中が見える。ここから駆け寄るにはあまりにも遠い距離に感じた。
練習が終了してモップ掛けをした後、いつも通りに黒子と私は体育館に残った。
彼はボールを持ったまま、動かない。
なんと言えば良いのか、どう振る舞えば良いのか分からなかった。
何を言っても駄目な気がする。でも何も言わないのはもっと駄目な気がした。
「あの…黒子、」
そう口を開く。黒子はちらりと、こちらを見た。
その目を見ると、自然と開きかけた口を閉ざしてしまう。私は先生ではないのだから、上手い慰め方が分からない。
「黒子、練習しよ」
「…?」
「練習して、練習して、次の試験では絶対合格しよう!」
出来るだけ明るく、そう言い放った。というより、それ以外に方法がない。
「僕は…」
いつもは、いの一番に練習しだす黒子だが、今日に限ってはやはり渋っている。
ボールをずっと、眺めたままだ。
「みょうじさん、僕は部活を辞めようと思います」
「ぶっ…!?」
とんでもない事を言いだした。吹き出しかけた唾を飲み込む。
「や、やめ…?」
「たぶん、僕はもう…駄目なんだと思います」
「なにが…」
「帝光中は、凄く強いですから…」
何を今更。それを改めて言うなんて、彼の頭の中はネガティブな事でいっぱいなのだろう。
「特に、僕の学年は才能がある方達ばかりで…」
「ちょっと、黒子…」
「これだけ毎日練習しても、居残りで頑張っても、報われないなら」
「ちょっとちょっとちょっと!」
これは駄目だと思い、黒子の頬を思いっきりつねった。
驚きと、痛みに満ちた顔でこちらを見てくる。それでも私は離そうと思わなかった。
「いひゃいです」
「黒子、今ここで辞めてしまったら一生後悔すると思うよ」
つねる手をほんの少し緩めながらそう言う。黒子の目は変わらない。
「高校生になっても、大学に行っても、就職して働いても、定年しておじいちゃんになっても、ずっとずっと後悔する事になるよ」
「どうしてそんな事がわかるんですか」
「あんたが凄い努力をしてきたからに決まってるでしょ!」
ばしんと、両方の頬を思いっきり叩く。なんとも痛そうだ。
「こんな事言いたくないけどね!努力しても報われない事なんて沢山あるの!でも努力しなきゃ何も始まらないし、何も変わらない!あんたが今までやった事は決して無駄じゃない!でも今ここで辞めたら全部が無駄!むしろ努力して来た分、後悔が大きくなってどうしようもなくなる黒子の姿が私には容易に想像できるね!黒子の気持ちは良くわかるけど辞めるのは絶対に駄目!悲しくて悔しいのは黒子だけじゃないの!私も悔しい!すっごく悔しい!!お前が辞めるなら私も辞めるからな!!!」
ぜえぜえと息切れをする。こんなに長く激しく叫んだのは初めてだ。
黒子は驚いたようにこちらを見ている。いつの間にかつねっていた手は離してしまっていた。
「…みょうじさんまで辞める事はないですよ」
頬をさすりながら、黒子はそう言う。少しだけ戸惑っている様子が分かった。
「別に、脅しているつもりはないよ」
本当は脅しているつもりだけど。
「何度も言うけれど、黒子が頑張ってきた姿は私が一番よく知っていると思ってる。それに、私達って実力の差が殆どないから私までバスケの試験を受けている気分だったよ」
黒子は黙って私の話を聞く。
なんとなく、元気をあげたくて黒子の両手をぐっと握った。
少しだけ驚いた様子が手の振動から伝わったが、振り払う事はなかった。
「私が黒子の立場だったら、たぶん黒子と同じ気持ちになってる。でもね、一緒に頑張って来た人がいるから私は頑張れるよ」
「え…」
「1人が辛くても、2人なら辛さを半分こできる!」
そうにっこりと笑いかける。
我ながらクサい事を言っていると自覚しているが、恥ずかしくはなかった。
それが、私の本当の気持ちだったからだ。
「…それって、自分で自分を褒めてますよね」
「まあね」
「みょうじさんらしいです」
あ、少し笑った。
お互い笑い合いながら手を握り合っていると外からガタリとドアを開ける音がした。
「おーっす…って、お前等なに手を握りあってんだよ」
青峰は少しニヤけながらこちらに向かってくる。
黒子が少し恥ずかしそうだったので、ぱっと手を離した。
「今日は昇格試験だったんだろ?どうだったんだよ」
青峰が笑いながら聞いてくる。
先程の私達の空気が和やかだったので、合格したのだと思ったのだろう。
黒子が沈黙していると、その様子にやっと青峰は気づいたようだった。
「あー…そうか」
若干気まずそうな表情を浮かべ、頭をぽりぽりと掻いた。
「…テツ。俺さ、お前の事すげえって思ってんだ」
ふざける様子も無く、青峰はそう言った。黒子がとっさに顔を上げる。
「毎日いつもみょうじと居残り練習してさ、本当にバスケ好きな奴にしか出来ないって思う。俺はテツから沢山教えられて、沢山貰ったものがあるんだよ」
そう、笑いながら。青峰は黒子の頭をガシガシと掻き回した。
「俺はお前とバスケしたい。だから黒子、これからもっと頑張ろうぜ」
その言葉を聞いて、黒子は俯きながら笑って「はい」と答えた。
純粋に、青峰が凄いと思った。男友達だからこそ、伝わる事が沢山あるのだろう。彼が黒子の傍にいてくれて本当に良かったと思った。
そして、以前と同じように羨ましくも思った。自分も男だったら良かったのに、こちらの世界に来た時なぜ男ではなかったのだろう、と。
「じゃあテツ、今日も練習やろうぜ。みょうじも」
青峰が黒子と私の頭をぽんぽんと叩いてボールを手に取った。
黒子と目を合わせて、『よしやるか』と合図をしあった時。
何時ぞやの威圧感が背中越しに感じた。
「君が、黒子君だね」
振り向くと、体育館入り口に三人の姿。
緑の眼鏡と、紫の巨人。そして、赤司征十郎がいた。
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