※後味悪い 薄暗い廊下に自分の足音だけが反響する。不自然なほどに静まり返った病院は、息が詰まる。足を止めてしまえば、不安に溺れてしまいそうだった。 「…黄瀬くん?」 目的の病室に辿り着く前に、黒子は足を止めた。廊下に置かれた椅子に座ってぼんやりと宙を見つめていた黄瀬は、黒子を認めるとやんわりと微笑んだ。 「…黒子っち」 こくりと喉が鳴る。震えそうな声を絞り出して、黒子は問うた。 「青峰くん、は…?」 黄瀬は目を伏せると、小さく首を振った。 「選手としては、もう…」 黒子はぎり、と歯噛みした。 青峰が怪我をしたと教えてくれたのは、火神だった。試合中に激しい接触があり、そのまま病院に運ばれたのだと彼は言った。 けれど大丈夫だと、信じていた。青峰からバスケが奪われるなんて、想像すら出来なかった。想像だって、したくなかった。 相棒だとは呼べなくなっても、黒子がバスケをやめても尚、青峰は自分にとっての光だった。 「黒子っち」 黄瀬は静かに黒子を呼んだ。穏やかに、笑みを絶やさぬままに。 「俺、モデルをやめることにした」 髪を切ることにした。その程度の気安さで、彼は自らの将来を口にした。 「…バスケを、やるんですか?」 「うん」 首肯すると、黄瀬は立ち上がった。その動作の一つ一つが、息を飲むほどに美しかった。 「バイバイ、黒子っち」 黄瀬は別れを告げると背を向けた。黒子の目には終ぞ涙を見せることがなかった、彼の笑顔だけが、焼きついた。 モデルとして大成しつつあった彼の電撃引退。そしてバスケ界への復帰は、連日メディアを騒がせた。 復帰後の初試合から今日に至るまで、彼は目覚ましいほどの記録を残した。けれど活躍すればするほど、黄瀬涼太の名前は世間から薄れていった。 だから黒子は黄瀬の試合を見に来た。ちゃんとこの目で確かめようと思った。例えそれが、どんなに残酷なことでも。 熱気溢れる会場で声援を一身に浴びて、黄瀬はボールを手にした。青峰が着ていたものと同じユニフォームを身に纏った黄瀬は、見た目だけでなくその全てが、青峰をなぞっていた。 目を疑うようなチェンジオブペース。鮮やかに相手を置き去りにしてみせるその動きは、まるで青峰を見ているかのようだった。 二人にブロックされながらも無理やりにシュートを放つ。自分勝手で、だけど力強くて、見る人を惹き付けてやまないそれは、確かに青峰のバスケだった。 黒子は震える手で口元を押さえた。 覚悟はしていた。これが黄瀬の望みなのだろうということは分かっていたけれど、あまりにも受け入れ難くて目眩がした。 そこに、黄瀬のバスケは存在しなかった。 フリーでも、彼は3Pを撃たなかった。相手を吹き飛ばすようなブロックは、見せなかった。しつこいディフェンスの足元を崩すことはなく、力任せに抜くことを選んだ。 他の誰を真似ることなく、黄瀬はその身で青峰を再現した。「青峰大輝の再来」。人々はそう言って、彼を称えた。 「黄瀬くん!」 黒子は一人控え室に戻ろうとする彼を呼び止めた。 「…黒子っち」 振り返った黄瀬は、いつかのように微笑む。もう黒子にも分かっていた。彼は、自分を押し殺すために笑顔を貼り付けているのだ。 「もう、やめてください」 こんな顔をさせてはいけない。あんなバスケを、させてはいけなかった。 「こんなこと、青峰くんは望んでいません」 「…うん」 どれだけ言い募ろうと、黄瀬に動揺はなかった。その唇は綺麗な弧を描いたまま、歌うように言葉を紡いだ。 「でも俺は、このためにこんな能力を持って生まれて」 琥珀色の瞳は甘く蕩ける。幸せだと、言わんばかりに。 「このために、青峰っちに出会ったんだと、思うから」 ごめんね。小さな謝罪でもって、黄瀬は会話を終わらせた。病院での再現のように去っていく背中を見送っていた黒子は、目を見開いた。 見てしまった。黄瀬が僅かに、右足を引きずるのを。 あんなバスケで彼の体がもつはずがない。きっともうすぐ終わりがくる。そして。 彼の模倣は、完成する。 fin 2014/5/30 戻る |