「黒子っちー!」 歓喜に満ちた大型犬のタックルを、飼い主は華麗なステップでかわした。 勢いのままに床へと突っ伏す黄瀬を、黒子は冷ややかに見下ろす。 「部活の邪魔なんですけど。なんなんですか、君は。暇なんですか」 「超忙しいっス」 でも、会いたくて。 床から身を起こした黄瀬は、キラキラと輝く笑顔で、今度こそ黒子を両腕で抱き締めた。 パタパタと忙しなく振られる尻尾が見える気がする。成り行きを横目で窺っていた火神は、微笑ましい半分、羨ましい半分の複雑な表情を浮かべた。 つれない素振りはするものの、本音は満更でもないのだろう。黒子は逃げるでもなく黄瀬の腕の中に収まっている。 背後に重たい荷物を抱えたままでずるずると移動した黒子が、やっぱり文句有りげな顔で振り返る。と同時にふらついた黄瀬はまたしても床へと落ちて、そのまま動かなくなった。 「お前…どんだけ強く振りほどいてんだよ!」 慌てて駆け寄った火神が揺さぶるも、黄瀬はぴくりとも動かない。さーっと血の気を引かせる火神の横で、黒子は緊張感の欠片もなく言う。 「ああ、寝ちゃいましたか」 「寝た!?」 こんな唐突に眠りに落ちるなんてことがあるのか。 驚愕に動けずにいる火神に対し、黒子は冷静だった。 「忙しいというのは本当みたいですね」 ぶつけてはいないことを確認した黒子は、そっと頭を床へと戻す。 「時々、こうなるんです」 常日頃から忙しい黄瀬は、電池が切れたかのように、突然ぷっつりと倒れることがあるという。 「…どうすんだ、これ」 「放っときゃ良いです」 黒子は邪魔な荷物扱いで黄瀬の体を体育館の隅に追いやると、一仕事終えた顔で練習に戻っていく。 心配だが、寝ているだけというならばきっと大丈夫なのだろう。 後ろ髪を引かれつつ、火神も黒子の後を追った。 「起きねーんだけど」 「そうですね」 黄瀬の電源が切れて早2時間。部活が終わってしまっても尚、彼の充電は終わらなかった。 「こうなると半日は起きません」 「マジでか」 どうしたものか。火神が頭を悩ませていると、黒子は黄瀬を見下ろしたままで呟いた。 「今日は金曜日ですね」 「…そうだな」 「明日は部活も休みですね」 「そうだな」 「一人暮らしって、便利ですよね」 「待てコラ!」 つい掴みかかるも、黒子は落ち着き払って言った。大丈夫です。 「運ぶのは、手伝います」 「そういう問題じゃねぇよ!」 他に選択肢がないから仕方ないのだ。 誰にともなく言い訳して、火神は背負っていた力ない体を自分のベッドに下ろした。 しかし黄瀬は、持ち上げようが運ぼうが下ろそうが、身動ぎ一つしない。 「ホントに起きねぇな」 「ちょっとやそっとじゃ起きませんよ」 ナマモノ以外の荷物を運んでくれていた黒子が、抱えていたものを隅に置く。 「じゃあ後は、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」 「なんだそれ」 「黄瀬くんのことが好きなんでしょう?」 不意の一撃はガードする間も与えずに、火神の心臓にクリーンヒットした。 「二人がくっつこうが一線を越えようが、気にしませんから大丈夫ですよ」 いや、気にしろよ。なんて声を飛ばす気力は、ない。 火神が硬直している間に黒子はさっさと自分の鞄を持つと、部屋から出て行った。 「ごゆっくりどうぞ」 意味深な言葉と笑みを残して。 「………」 時間をかけて自分を立て直した火神は、ベッドの縁に寄った。何も知らない黄瀬の寝顔は穏やかで、ついつい頬が緩む。考えなしにベッドに寝かせたが、制服のままでは窮屈だろう。 着替えさせる、という考えを速攻で抹消し、せめてもとタイをほどいてボタンを一つ外してやる。シャツの隙間から見える白い肌に、目が釘付けになった。 衝動のままに伸ばしかけた手を止めたものは、脳裏に過った黒子の笑みだった。 ―――ごゆっくりどうぞ。 あいつの思い通りになってたまるか。 意地が火神の理性をギリギリで繋ぎ止めていた。 ここにいるからいけないのだ。 寝室から出て行こうとした火神は、ふと静かすぎることに気が付いた。 身動ぎ一つしない黄瀬は、物音一つ立てない。本当に生きているのか心配になるほどだ。 火神は黄瀬の傍に戻ると、そっと口元に手を遣った。僅かに呼気を感じて、安堵する。 薄く開かれた唇は手を加えなくとも艶やかで、くらくらするほど無防備だった。 火神は黄瀬の顔の脇に手をつくと、身を屈めた。二人の距離は近付き、触れ合う寸前で火神の顔はベッドへと沈んだ。 ―――駄目だ。 そのままぐったりと上半身をシーツに預ける。 「…寝込みを襲うのは、ナシだろ」 言い聞かせるように呟き、目を閉じる。らしくもなく悶々と思考を巡らせ続けた頭は、重かった。 ぎしり、とベッドが軋む音がする。 黄瀬が起きたのか、と思うも眠りに溶けた火神の瞼はなかなか持ち上がらない。 意識だけを覚醒させている火神の口の横に、柔らかな何かが触れた。次いでちゅ、という微かな音を拾い上げ、火神は文字通り飛び起きた。 「っ!!」 「あ、起きた」 おはよ、なんて暢気な挨拶に応じる余裕などない。 「おまっ今なにして…!」 まだ感触が残っている口元を押さえて、火神はみるみる真っ赤になる。 「寝てる子に手を出すのは、良くないっスね」 手を出したのはお前の方だろう。 文句を言うより何より先に、確認しなくてはいけないことがあった。 「お前…いつから起きてた?」 黄瀬は答えずに、にっこりと笑ってみせた。 fin 2013/3/23 戻る |