「すぐに行きますか?」
えらく情報が欠落した問いかけに、火神は鞄を手にしたままで瞬いた。
学校は今終わったが、今日からテスト週間で部活は無い。どこかに行こうという約束も、した覚えは無い。
「…どこへ?」
問いに問いで返せば、今度は黒子が目を丸くした。
「ストリートコートですけど…もしかして何も聞いていないですか?」
聞いていない。全く話が見えてこない。そう告げると、黒子は首を傾げた。
「海常もテスト週間で暇だから、みんなでバスケをやろうと誘いがあったんです。火神くんに連絡がいっていないわけがないと思ったのですが」
寝耳に水とはまさにこのことだった。
黄瀬と最後に連絡を取ったのは、もう一週間以上前のことだ。病院での検査結果報告を待つ火神の元に、待てども待てども連絡は来なかった。
「行きます、よね?」
なんだか腑に落ちないまま、火神は頷いた。


「おっせーよ。テツ、火神」
「一番近いくせに一番遅いとはどういうことなのだよ」
コートに着くなり青峰と緑間に責められる。しかし罵倒はすれど、二人はごく自然に火神を受け入れていた。戸惑いを見せたのは、この企画の立案者だけだった。
「…火…神っち…」
茫然と独り言みたいな音で呼ばれ、気まずくなる。
「俺、来ない方が良かったか?」
仲間外れなんて、子供じみた悪意を抱くやつではない。誘われなかったことには、きっと意味があるのだろう。
立ち去ろうとした気配を感じ取ってか、黄瀬の指が火神を留めた。
「ううん。違うっス」
否定と共に服を掴んだ指は離れ、黄瀬は微笑んだ。
「…会えて、嬉しい」
その言葉にも笑みにも、嘘は見当たらなかった。
黄瀬が良いと言うのなら、迷う理由はない。久しぶりに会ったのだ。許される限り、傍にいたい。
「そういやさつきから聞いたんだけどよ、お前、倒れたんだって?」
体を伸ばしながら、青峰は黄瀬に問う。
「検査結果は後日分かると言ってましたよね。どうだったんですか?」
重ねて黒子が尋ねたのは、火神がずっと気にしていた事だった。
「ただの貧血」
身構える隙もなく、黄瀬はあっさりと答える。
「全然問題ないって。心配かけてごめんね」
知らず、安堵の空気が全員に流れる。
「人事を尽くさないからそういうことになるのだよ」
「…そうっスね」
緑間の小言も飲み込んで、黄瀬は笑った。
「本当に、その通りっス」
明るく声をあげて、笑った。


キセキの世代とのバスケは楽しい。思いっきり走り回れば、僅かに残っていたもやもやも綺麗さっぱり消え去る。なにより、元気な黄瀬を見れたことが嬉しかった。
なんともないと、黄瀬は言った。楽しい日々はずっと続くのだと、根拠もなく信じていた。
今、この時まで。
「…黄瀬くん?」
黒子に渡ったボールは誰にも繋がることなく、彼の腕の中に収まった。
「大丈夫ですか?」
数歩離れた所にいる黄瀬は、こめかみを押さえて俯いている。考えるより先に、火神はその腕を掴んだ。
「やっぱりお前、どこか……」
顔を上げた黄瀬の表情が訴えるものは、痛みではなかった。
こちらを見る金色から読み取れたのは驚きと、微かな嫌悪だった。
火神の手から力が抜ければ、黄瀬は直ぐ様背を向ける。
「…ごめん。やっぱり今日は帰るっス」
止める間もなかった。
去っていく黄瀬を見送っていた黒子が火神を見上げる。何か言われるまでもない。
「…行ってくる」
短く告げて、火神はどこか頼りない背中を追った。


「黄瀬!」
呼び掛けが聞こえていないはずがない。それなのに、彼は振り返らない。
「待てって!」
腕を取って、強制的に歩みを止める。ようやくこちらを見た黄瀬に、先ほどのような驚きや嫌悪は無く、ただ零れそうな悲しみだけがあった。
「…駅まで送る」
「大丈夫…スよ」
断る唇は微かに震え、火神が引けない理由を増やした。
「一緒にいたいんだよ。恋人だろ?」
弾かれたように黄瀬が顔を上げる。泣きそうに瞳は揺れるけれど、涙が落ちることはなく、ゆっくりと顔を伏せた黄瀬は滲むように微笑んだ。
「…うん」
小さく頷いて、黄瀬は火神の胸に額を預けた。胸元に収まる金色を撫でれば、黄瀬の手は火神の服を掴む。
「…大我の家、行きたい」
可愛い恋人のお願いだ。火神に否はなかった。
「部屋、散らかってても文句言うなよ」
黄瀬が笑ったのが、触れた胸から伝わる。
ありがと。吐息のように、黄瀬は言った。


2013/10/29

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