夕闇の中、宙に放たれたボールはゴールに向かい、リングにぶつかった。
「あー…さすがにもう無理っスね」
「そうだな。そろそろ帰るか」
黄瀬が投げたボールを拾った火神がストリートコートの時計を見上げる。
意外と長い暇潰しになってしまった。
ぽっかり空いた暇をもて余した黄瀬は、黒子に会いに誠凛に行った。しかし目当ての彼は体調不良で不在。代わりに構ってくれたのは、相棒の火神だった。
「腹へったー。火神っち、どっかで飯食っていかないっスか。付き合ってくれたお礼に奢るっスよ」
「あー…ワリ。今日は無理だわ」
「なんで?」
荷物を持った火神は、黄瀬と向き合うと、言った。
「俺ん家の豚肉、賞味期限今日までなんだ」


「…え?そこですか?」
ここまで黙って話を聞いていた黒子の感想は、そんな「?」にまみれたものだった。
「そこっスよー!だって豚肉っスよ!?豚肉!俺は豚肉以下なのかってもう本当に火神っちは―――」
黄瀬は己を抱き締めて、目の前のテーブルに突っ伏した。
「たまらないっス…!」
周囲の人々から注がれる色んな意味の視線を感じながら、黒子は本日の相談料であるバニラシェイクをすすった。
シェイク一つでは安かったかもしれない。その前にマジバで話を聞いたのは良くなかった。
事態は思いの外、深刻だった。
「そんなに好きなんですか?」
「うん」
上体を起こした黄瀬は、頷いてはにかんだ。
「…大好き」
半端なくモテる割に、黄瀬が本気の恋愛をすることはほとんどない。もしかしたら初めてかもしれない。
いいだろう。黒子は腹をくくった。
「まずはその色んなものがだだ漏れな感じをなんとかしてください。今のままでは間違いなく、火神くんは引きます」
「そっか。確かにそうっスね。火神っちの前では平常心を装ってみせるっス」
「その意気です」
「黒子…と、黄瀬?お前、よくこっち来るな」
頭上からの声に顔を上げれば、いつものように山と積まれたハンバーガーを持った火神がいる。
そのまま空いている席に腰をおろす火神に、黄瀬はにっこりと笑いかけた。
「…だって、会いたくて」
よし、それで良い。
黒子は教育係、またはドッグトレーナーの気持ちで、心の中ではなまるをあげた。
案の定、「誰に」を「黒子に」にと勘違いした火神は、バーガーをくわえたままの「ほー」で、黄瀬の発言を流した。
上手に本音を隠して喋る黄瀬に、不審なところは無い。これならば問題ないだろう。
二人きりにしてあげるべく、黒子は立ち上がった。
「用事があるので、僕はこれで」
「おう、また明日な」
火神と言葉を交わし、黄瀬とは視線を交わす。
―――頑張ってください。
―――ありがとう…!
バニラシェイク分の仕事はした。黒子は振り返らず、店を出た。
チャンスをものにできるかどうかは、黄瀬次第だ。


それから数日後の昼休み。昼食をとる火神の表情は、冴えなかった。
「…なにかあったんですか?」
黒子が問えば、火神は3つ目のパンの袋を破りながら答える。
「最近、よく黄瀬とメールすんだけど…」
黄瀬の恋は順調らしい。だが、火神の表情が気にかかる。
「あいつ、誰に対してもああなわけ?」
「ああ、とは?」
火神は解せぬという顔で、「なんか…」と口にした。
「俺ん家の夕飯のメニュー聞いてくるんだけど」
直ぐ様、黒子は己の携帯を手にした。何も分かっていない馬鹿犬に、メールを送る。
『すぐに来い』


言い付け通り、放課後すぐに黄瀬はマジバに現れた。挨拶もそこそこに、黒子は黄瀬を問い詰める。
「なに考えてんですか、君は。だだ漏れな何かを抑えろとあれほど言ったでしょう」
「でも、だって…!」
反論に出た黄瀬は、昂る感情のままにテーブルを叩いた。
「火神家の昨日の夕飯、筑前煮なんスよ!?」
ちょっとなに言ってるのか分からない。黒子の開いた口は、塞がらなかった。
「筑前煮って…!なんで男子高校生がそんな手間のかかるもんを作るんスか。しかも仮にも帰国子女が!」
荒ぶる黄瀬は止まらない。
「火神っち、最高っス…!!」
全力で愛を撒き散らす様は以前のままだ。しかし黒子の観察眼は、小さな違和感を捉えた。
「…黄瀬くん、ちょっと痩せました?」
というよりはやつれている。まるで病み上がりのようだ。
黄瀬は僅かに痩けた頬を上げて、笑った。
「最近は火神っちのメールをおかずに、白米しか食ってないっス…!」
「馬鹿ですか」
病み上がりではなかった。ただの病人だった。しかも相当に重症だ。
なにから正せば良いのやら、黒子が迷っていたときだった。
「お前ら、本当に仲良いな」
「火神っち…!」
ある意味一番の当事者が現れる。
こないだと同じ場所同じタイミングだけれど、一つ大きな違いがあった。彼は、トレーを持っていなかった。
「ハンバーガーは売り切れですか?」
「違ぇよ!…今日は家で作るんだよ」
横で黄瀬が悶えそうな予感を感じつつ、黒子は妙案を思い付いた。
「火神くん」
彼の面倒見の良さは、相棒である自分が一番良く分かっている。
「ここのところ、黄瀬くんはまともなご飯を食べられていないようなんです。すみませんが何か作ってやってくれませんか?」
黄瀬はこちらに驚きと尊敬の眼差しを向ける。火神はそんな黄瀬をちらりと見て、曖昧に頷いた。
「まあいい、けど…」
黄瀬は、今度は歓喜に目を見開く。黒子は放っておいたら神にでも祈り出しそうな彼の背を押した。
「今度こそ、ちゃんとしてくださいね」
「うん」
力強く了承し、黄瀬は火神と去って行く。
まったく、世話がやける。文句はあれど、あんなにも幸せそうな顔をされてしまえば。
シェイクのストローに触れた口は、ついつい綻んだ。


翌日。登校した火神の表情は、またしても冴えないものだった。
「…なにかあったんですか?」
妙な義務感に背を押され、黒子は後ろの席から口を出す。火神は筆舌に尽くし難い複雑顔で、昨夜の出来事を話した。
「飯作るときに、あいつがどうしてもって言うからエプロン着けたんだけど…」
黒子は脳内に正しく『あいつ』を思い描く。火神の額にシワが寄った。
「なんか……すごい身悶えてた」
脳内の『あいつ』は鮮魚ばりにビクンビクンと悦び、転げ回る。なにもかもがだだ漏れだ。
これはまたお説教だろうか。黒子が馬鹿犬召喚の準備をしていると、火神が震える己の携帯を取り出した。
「黄瀬くんですか?」
「おー」
差出人を見るなり返信を打つ火神のマメさと懐の広さに感心していた黒子は、ふと目を丸くした。
「…火神くん…」
「ん?」
火神は小さな機械に目を遣ったまま生返事をする。黒子はふっと口元を緩めた。
「迷惑なだけじゃないみたいですね?」
「まぁ、な。訳わかんねぇやつではあるけれど、俺が作った飯食って美味しいってめちゃくちゃ喜ぶ顔見ちまうと…」
返信を終えたらしい携帯をしまって、火神は笑みを深くする。その顔を見て、黒子は馬鹿犬の召喚理由をお説教から祝辞に変えると決めた。
腹ペコわんこが身も心も満たされる日は、きっとそんなに遠くない。


fin 2014/1/11

戻る