緊急外来の連絡が入ったのは、夕飯にでも行こうかと部屋を出てすぐの時だった。 慌ただしく動き回るスタッフに、患者の容態の重さが伺い知れる。手術室へと急いだ緑間は、細い泣き声を拾い上げて足を止めた。 「…黄…瀬…?」 髪まで血で汚した彼を呆然と呼べば、ぐしゃぐしゃに泣き濡れた顔が上げられる。 「…みどりまっち…」 助けて。 色を無くした唇が、震えながら懇願する。 絶えず溢れる涙が、両手で抱くように握り続けている手に落ちた。 「青峰っちを、助けて」 代償 緑間が手術室を出ると、すぐに伸びてきた両手が服の胸元を掴んだ。 「青峰っちは…?」 かたかたと震える様が痛ましい。緑間は赤黒く汚れた手を包み込んで、答えた。 「一命はとり止めた」 黄瀬の表情が、また泣きそうに歪む。 だが、と緑間は続けた。ビクリと黄瀬が強張るのが分かる。悲しませるのは本意ではない。けれど、これだけは伝えなければならなかった。 「意識は、戻らないかもしれない」 今度こそ、琥珀色は溶けて頬を伝う。 緑間はがくりと崩れた体を抱き留めた。しゃくりあげる肩を抱けば、黄瀬は緑間にしがみついて、泣く。 青峰の名前と謝罪の言葉を、何度も何度も繰り返しながら。 青峰を寝たきりにまで追い込んだ原因は、臓器にまで達するほどの深い刺し傷だった。 あと数センチ刺される場所がずれていたのなら、緑間でも命を繋ぎ止めることは出来なかったであろう。まったく、しぶとい男だと思う。 しかし、黄瀬を守ったことだけは、評価してやっても良い。 凶刃は、黄瀬に向けられたものだった。 犯人は熱狂的な黄瀬のファンらしい。心中するつもりだったというのだから、はた迷惑な話だ。 だが結果として、刃は黄瀬を掠めることすらなく、青峰の腹部を切り裂いた。 どれだけ深く刺されようと、どれだけ血を流そうと、青峰は決して黄瀬を離しはしなかったという。 青峰は勇敢な男だった。そして、どうしようもなく愚かだった。 黄瀬が嘆き悲しむことが、想像できないはずがないのに。 緑間は開け放たれた病室のドアから、ベッドの傍らに座る黄瀬を見つめていた。 青峰の手を握り、何事か話しかける黄瀬の声はここまで届かない。けれど緑間は確かに、ゆるく弧を描いた唇が、愛してると囁くのを聞いた。 毎日毎日飽くことなく、黄瀬は青峰のもとへ通い続ける。今日こそ目覚めるかもしれないという希望を抱き、なにも変わらない現実を知って帰っていく。 「ごめんね…」 幾度となく聞いた懺悔が、また一つ室内に沈殿する。 黄瀬は、何度も自分を責めただろう。運命を呪っただろう。 緑間なら。 残酷な運命など、ねじ曲げてみせる。緑間には、その力がある。 「黄瀬」 さらりと滑る髪に指を差し入れる。 黄瀬が望むのなら、力を貸してやっても良い。 「青峰を助けたいか?」 それ相応の、対価を支払うというのなら。 2013/6/7 戻る |