頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されている気がする。
足元から、世界との境界線が消える。自分が今立っているのか座っているのかさえ、分からなくなる。
気持ち悪い。
いつの間にか閉ざしていた視界に見える黒すら歪む。遠退く意識を、不意に響いた鋭い声が引き戻した。
「黄瀬っ!」
ドン、と鈍い衝撃が走る。成す術なく揺らいだ体と共に、バスケットボールが床に落ちた。
「おい!大丈夫か!?」
揺さぶられ薄く開いた目には、体育館の床とこちらを覗き込む男の人が映る。
耳に届くドリブルの音が、まるで頭を殴るかのようだ。
頭が痛い。気持ち悪い。
「…黄瀬…?」
目の前の人が誰なのか、分からない。

リフレイン


黄瀬が部活中に倒れたと連絡をくれたのは笠松だった。
病院に駆けつけた火神と黒子に、笠松は出来事をかいつまんで説明した。
曰く、部活中にぼんやりしていた黄瀬にボールが当たり、派手に転んだらしい。
それだけなら馬鹿だと笑って終わりにできたはずだった。話す笠松の表情は固い。笑い事にできない事情が、あるのだ。
「記憶障害…?」
眉をひそめる火神に、笠松は重い頷きを返した。
「倒れた直後は俺の名前も呼べなかった。一時的なものらしいがな」
顔色を変えた火神を見て、黒子が代わりに問いを口にする。
「黄瀬くんは今、どこに?」
「念のため精密検査を受けてる。そろそろ戻ってくると思…」
「あれー?」
台詞を遮るように、タイミングよく当人が現れる。のんびり歩いてくる様はいつも通りで、そこに悲壮感は微塵も無かった。
「黒子っちに火神っち、わざわざ来てくれたんスか」
嬉しそうに言う黄瀬におかしなところは見当たらない。けれど。
「…どうだった?」
結果を尋ねる笠松の声は、どうしたって固くなった。
「検査結果が出るのは少し先になるらしいっス。でも体には特に異常は見られないから、今日は帰って良いって」
「そうか…」
安心するにはまだ早いのだろうけれど、即日入院を迫られるような大事には至らなかったことは、素直に喜べた。
「色々すみませんでした。笠松センパイ」
殊勝に頭を下げる黄瀬の背を軽く叩き、笠松は部活どころではなくなっているであろう仲間たちのために帰路を急ぐ。
頼れるキャプテンを見送ってから、火神は改めて黄瀬と向き合った。
「記憶障害って聞いたけど、大丈夫なのか?」
「ああ、へーきへーき。転んだ拍子に記憶がポロっと飛び出しちゃっただけっスよ」
1gの重みもない返事に黒子は呆れの息を吐く。
「本当に君の頭は残念ですね」
「酷いっス!」
明るい笑い声は沈んだ空気を吹き飛ばしてくれる。
きっと心配し損なのだ。火神と黒子は肩の力を抜いた。
「なんともないとは思いますが、一応今日くらいは誰かがついていた方が良いですかね」
黒子の確認の視線を受けて、火神は頷く。またどこかに記憶を落としてしまうかもしれない黄瀬を、一人にはしておけない。
「うち来るか」
「…うん」
黄瀬はいつものように綺麗に笑って、ありがとうと告げた。


2013/7/8

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