心と距離は比例するだろうか。
答えはイエスであり、ノーでもある。つまるところ、人それぞれだということだ。
少なくとも自分は、心と距離には何の因果性もないと思っている。信じている。
…現実逃避だと笑いたければ、笑えば良い。


本音を言える距離


「青峰っち、久しぶり」
ちょっとその辺のコンビニに行ってくるような気楽な格好で、今日の昼飯なに食べる?と聞くみたいな何気ない口調で、黄瀬は空港に降り立った青峰を出迎えた。
実に3ヵ月ぶりとなる恋人との逢瀬はそんな、感動もへったくれも無いようなものだった。
「…もっと、抱きつくとかねーのかよ」
「ないよ」
冗談めかした青峰の本気をばっさり両断し、黄瀬は体の向きを変える。
「ほら、さっさと行こ」
言うなり歩いて行ってしまう背中を、小さなため息が追う。
青峰っち青峰っちとなつく可愛い子犬はもうどこにもいない。3ヵ月という時間が、日本とアメリカという距離が、子犬を遠くへやってしまった。
距離が離れても心が離れはしない。青峰はそう思っている。
けれど、全ての人が青峰の意見に頷く訳ではないということくらい、解っている。


大学2年目で、青峰はアメリカへと渡った。
日本に残した黄瀬のことは気掛かりだった。けれど、青峰の決意を告げた時に見せた気丈な笑顔を、行ってらっしゃいの言葉を、信じていた。離れても自分たちは大丈夫だと思った。だから一人、遠い異国の地でも頑張ってこれた。それなのに。
一日に一通は、とやり取りするメールの返信が、素っ気ないものになってきたのには気付いていた。けれど、大学に入って本格的に芸能活動を始めた黄瀬は何かと忙しいのだろうと、自分を納得させてきた。
一時帰国の報告をした時にさえ返ってきたのは無感情な文面だけで、いよいよ無視できなくなってきた違和感は、直に本人に会ったことで危機感へと昇格した。
久しぶりに訪れた黄瀬の部屋でソファーに深く身を預け、青峰は考えに耽っていた。
なにかをした、訳ではない。そもそも日本とアメリカほど離れていれば、なにかをできるはずもない。
「なに考え込んでるんスか。らしくない」
二つのグラスを持って、黄瀬が横に来る。青峰はほとんど衝動的に、その記憶よりも若干細くなった手首を掴んでいた。
黄瀬の言う通りだ。うだうだ悩むのは、らしくない。
「お前、浮気でもしてんじゃねぇの?」
考えるのも、言葉をオブラートに包むのも放棄して、青峰は湧いた疑問をそのまま口にした。
『何を言われたのか分からない』という顔をしていた黄瀬は、徐々に瞳の温度を下げていく。氷点下の眼差しを受けた青峰はようやく己の失言に気付いたが、もう遅かった。
「…バッカみたい」
吐き捨てて、黄瀬は立ち上がる。無言でこちらを拒絶する背中を見送りながら、青峰はぐったりとソファーの背に凭れた。
ため息しか出てこない。
あんなにも会いたくて会いたくて仕方なかった相手なのに、傷付けてどうするんだ。明日の夕方にはあっちに戻らなきゃいけないってのに、1秒だって無駄にはしていられない。
「…っし」
青峰は勢いよく立ち上がると、黄瀬の後を追ってキッチンへと入った。
シンクの前の黄瀬は、なにをするでもなくそこに立ち尽くしている。俯き気味の頭やこじんまりとした背中がやけに寂しそうで、青峰は考えるより先にその身を抱き締めていた。
「…悪かった」
抱いた腰は片腕すら余裕で余らせるほどに細く、愛しい。逃げないでいてくれることに、心から安堵した。
「…ホント、ムカつく」
ぽつりと黄瀬が溢すのを、青峰は黙って聞いた。罵声を浴びるほどのことをした自覚は、ある。
「アンタが自分を過小評価するのはムカつく」
もっと攻撃的な言葉を覚悟していたのに、予想外の旗向きについ腕の力が緩む。
くるりと体を反転させた黄瀬は、面と向かって更に言い募った。
「青峰っちより格好良い人なんかいるはずないのに、俺がよそ見をすると本気で思ってんスか」
それは、熱烈な愛の告白に他ならない。
思わず青峰が喜色の笑みを浮かべれば、黄瀬はふいっと目を逸らした。
「こっち向けよ、黄瀬」
青峰は、僅かに下の位置にある額に口付ける。出来るだけ甘く、甘く。
「なぁ、仲直りしようぜ」
囁きかければ黄瀬はおずおずと視線を合わせて、また逃げた。相変わらず口は横一文字に結ばれているけれど、不機嫌な訳じゃないということは誰が見ても明らかだった。
そりゃ緊張くらいするだろう。なんたってこうして会うのは3ヵ月ぶりだ。
青峰は黄瀬の髪に手を差し入れた。距離の取り方に戸惑うのなら、もういっそゼロにしてしまえば良い。
隙間なく抱き締めて、口付ける。久しぶりの唇の感触は、頭を沸騰させるには十分だった。夢中で重なりを深くして、噛み合わせを解く。性急に口内へと侵入すると、腕の中の体がひくりと震えた。
意識の隅で、黄瀬の腕が動くのを察知する。その腕はガキみたいにがっつく自分を押し止めると思った、のに。予想に反して背中へと回った手は、ぎゅっと抱き返してきて。
青峰は、己の理性の糸が切れる音を聞いた。


2015/1/9

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