翌朝、仕事だという男と共にホテルを出た黄瀬は、拾われた場所まで送り届けられた。
「じゃあ、また」
緩やかに微笑む男に曖昧に頷く。車が走り去るのを見届けてから、黄瀬はゆっくりと歩き出した。
澄み渡る早朝の空気は、汚れきった体を少しだけ浄化してくれるような気がした。


火神の家の前に立つには勇気が必要だった。
数回躊躇ってから意を決して開いたドアは、いつものようにあっさりと開く。それは火神がまだ自分を受け入れてくれている証のようで、少なからず安堵した。
物音を立てないように、そっと中に入る。
多分、火神はまだ寝ている。まだ面と向かって話をするのは少し気まずい。だから荷物だけ持って、今日は帰ろうとしたのだけれど。
「…黄瀬?」
予想は外れ、リビングには昨夜のままの火神の姿があった。
濃い疲労の色が見える。一晩中待っていてくれたのだろうか。帰るかも分からない、自分のことを。
火神は立ち尽くす黄瀬に近付くと、包み込むように抱き締めた。
「…良かった」
吐息のような囁きが耳元に落ちる。堪らずに、火神の服を握るように抱き返した。
ずっと胸の奥にわだかまっていた悲しみが、嘘のように溶ける。多分、話さなくてはいけないことがあった。
「…火神、俺…」
黄瀬が顔を上げると、腰に回された火神の手がぴくりと震えた。緋色の瞳が険を帯びる。
「…今まで何をしてた?」
低い問いかけに身が竦む。
火神の視線の先を追った黄瀬は、鎖骨の下を彩る昨夜の名残を認めた。
「黄瀬」
責める響きに対して湧いたのは僅かな罪悪感と、それを上回る苛立ちだった。
「…俺が誰と何をしようが、火神には関係ない」
火神が拒まなかったら。好きだという言葉の通りに、求めてくれたのなら。
自分はただ耐えるだけのセックスなんて、しなくても良かったのに。
「…要らない」
拒むのなら。満たしてくれないのなら。
「火神なんて、要らない」
告げるなり腕を引かれる。その場に引き倒されて、息が詰まる。
「…抱けば良いんだな?」
見上げた火神は知らない人のような目で、冷たく黄瀬を射抜いた。


2013/5/14

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