「驚いたよ。偶然だね」
声をかけてきたのは、モデルの仕事関係で知り合った人だった。まだ若いのにそれなりの地位にいるのだと聞いた気がする。けれど、黄瀬が覚えているのは名前と、その腕の熱さくらいだった。
望まれて、何度か夜を共にした。その度に男は甘やかな言葉を囁いた。けれど。
黄瀬はちらりと男の左手を見た。そこにはシンプルなリングが存在を主張して光る。
押し倒されながらその所有の証を見つけた時は、酷く裏切られたような気がした。あの頃の自分は、どうしようもなく愚かだった。
「そんな薄着で。なにかあったのかい?」
なんでもない。否定を込めて小さく首を振る。
男は黄瀬の肩を抱くと、止めた車の中へと導いた。
この後の展開なんて分かりきっていた。逃げることだってできたけれど、黄瀬は逆らわなかった。
ただ、どうしてこんなにも泣きたくなるのか。
車窓を流れる夜景が滲む。黄瀬はそっと、目を閉ざした。


ホテルの一室に通されるなり、黄瀬は男に手を伸ばした。濃密なキスの合間に、男が笑う声がする。
「随分と積極的だね。恋人と喧嘩でもした?」
からかう響きに、黄瀬は取り合わなかった。
「…そういうつもりじゃないんスか?」
「もちろん」
男は黄瀬の腕を引くと、強引な所為でベッドへと倒した。
「そういうつもりだよ」
男の手はシーツに散らばる金糸を掬う。
「…相変わらず美しいね」
手は頬から首筋へとゆっくり落ちていく。
「愛しているよ、涼太」
繰り返されてきた偽りにまみれた台詞に、黄瀬は眉をひそめる。男は薄く笑うと黄瀬の首に顔を埋めた。
「ぁ…」
黄瀬は受け入れて、男の背に手を回す。
求めてくれるだけで良い。意味のない言葉など、要らない。
この飢えを満たしてくれるなら、もう誰でも良い。
シャツの前を開かれ、肌の上をさ迷った手は胸で留まる。指の腹で突起を撫でられて、黄瀬はビクリと震えた。
生まれたのは快楽と、同じだけの嫌悪だった。
「っや…!」
拒みそうになった手を、シーツを握り締めることで止める。上がる息は、酸欠のそれと似ていた。
「…涼太?」
違和感に気付いた男が顔を上げる。黄瀬はなにか問われる前に、引き寄せた唇を塞いだ。
「ん…っん、ぅ…」
舌を絡め合いながら改めて突起を弄られる。指先で軽く挟まれると、とうとう嫌悪が快楽を上回った。
「ひっ…あ…」
足を開かれ涙が浮かぶ。まるで乱暴されているみたいだ。
今さら純情ぶるなんてどうかしている。そう、思うのに。
「ぁ…や、あぁっ…!」
中を穿たれると、堪えきれず涙が溢れた。
あれほど待ち望んだはずの行為が、身も心も蝕む。突き上げられるのに吐き気がした。
「ぅ…ん、あっ…あ…や!」
助けて。思わず呼びかけた名前に目を見開く。
―――火神。
自分勝手な涙はまた頬を伝う。
溢れ出そうな想いを否定するために、黄瀬は震える手を口元に当てた。


2013/5/1

戻る