左手に下げた袋がカサカサと音を立てる。自分のためじゃない食材たちの量は少なく、袋は笑えるほどに軽い。
マンションの一室の前に立った火神は、合鍵を取り出そうとして、止めた。試しに押してみたドアはあっさりと開き、侵入者を招き入れる。
「ちゃんと鍵かけろって、いつも言ってんだろ」
脱ぎ散らかされた靴を見ながら小言を言うも、返答は無い。
きちんと靴を揃えて鍵をかけた火神は、迷いなくリビングへと行く。テーブルの横には倒れた鞄があって、ソファーの上には帰ってきたそのままの姿で倒れている家主がいた。
「生きてっか、黄瀬」
「…なんとか」
答えた黄瀬はのっそりと体を仰向けに返す。重くまとわりつく疲労が、目に見えるかのようだ。
いつの間にやら火神は、本人以上マネージャー未満に黄瀬の予定を把握するようになった。それによれば、彼が休みらしい休みを取るのは約2週間ぶりだ。
閉じた瞼の下には、線を引いたかのようにくっきりと隈ができている。無残な様を隠すように火神はその目元を覆うと、優しく額を撫でた。
「飯は?」
「…食べた」
「いつ?」
「…昨日」
「昨日の?」
「………朝」
「丸1日以上何も食ってねぇだろうが」
撫でる手をはたくに変えて、火神は起き上がった。額を押さえて弱々しく呻く黄瀬は放ってキッチンへと行く。ほとんど使用された形跡がないそこは、専ら火神のためのスペースと化している。
探すことなく調理器具を準備した火神は、袋から食材を取り出した。キャベツ、玉ねぎ、セロリを次々と一口大に刻んでいく。本当は好物のオニオングラタンスープを作ってやりたいのだが、今は一刻も早く栄養を摂らせることが大事だ。
食材を入れた鍋にコンソメとホールトマトを入れて煮込む。あとは味を整えればスープは完成だ。
火が通るのを待つ間にもう一品に取りかかる。トマトを賽の目に切って塩とバジルとオリーブオイルを混ぜる。フランスパンをトースターに入れたところで、スープの鍋がカタカタと音を立てた。
蓋を開ければ湯気と共に、ふわりと優しい野菜の香りが立ち上る。味をみた火神は、ひとすくい分をスープ皿ではなくマグカップに入れて、ソファーへと戻った。
「…黄瀬」
寝転がったままの黄瀬は、呼び掛けに目を開けることなく、腕を伸ばして応える。やれやれと片腕で引っ張り上げてやれば、黄瀬はだらりと体を起こした。
「飯、食えるか?」
「…たべる」
こくりと頷く黄瀬にマグカップを手渡す。冷ましながら慎重に一口飲んだ黄瀬は、解けるように口元を緩めた。つられて火神も笑みを浮かべた時、トースターがパンの焼き上がりを告げた。
火神は用意しておいたトマトをたっぷりと乗せると、パンを黄瀬の元へと運んだ。
「ブルスケッタ?」
「おう」
イタリアの軽食は手軽に作れて、こういうときに重宝する。正直火神にしてみればこんなの食べた気にならないが、今の黄瀬には丁度良いだろう。
口を開けた黄瀬に、親鳥の気持ちでパンを突っ込む。サクサクという咀嚼音が心地好い。放っておけば黄瀬は何日だって食事を抜く。だから、ちゃんとを食べているところを見るだけで、なんだか嬉しくなってしまうのだ。
今日の成果はパン2枚にスープ1杯。それで満足したらしい黄瀬は、ソファーの背に凭れて目を閉じた。
「寝るならベッド行け」
「んー…」
たしなめても返ってくるのは寝惚けた声だけで。火神はため息と共にマグカップを奪うと、黄瀬を抱き上げた。
いつの間にか、こんな風に力尽きた黄瀬の世話を焼くのは火神の役目になっていた。それを面倒だと思うことはあれど、迷惑だと思ったことは一度も無い。
こいつが頼るのは自分だけだということを、知っている。
「…おやすみ」
火神は安心しきった子供のような寝顔に、キスを贈った。


fin 2014/8/5

戻る