「緑間っち、助けて!」
「だが断る」
「ぶはっ!」
黄瀬の救援は瞬殺で地に叩き伏せられる。そんなのを目の前で見せられて高尾が吹き出さない、訳がない。
「だが断ることを断るっス!」
しかも黄瀬は全くめげないのだ。高尾の笑いは止まらなかった。
「真ちゃん、とりあえず話くらい聞いたげたら?」
「くだらん。どうせテストで赤点を取りまくったが故にバスケ部レギュラーを剥奪されそうになり他に頼れる者もいないからと助けを求めてきたに違いないのだよ」
「その説明口調に愛を感じるっス」
否定しないところを見ると、本当に事情を言い当ててみせたのだろう。仲が良いんだか悪いんだか、良く分からない。
「そこまで分かっているなら助けて緑間っち!」
「だが断る」
あれ、これ無限ループなんじゃね?と気づいてこみ上げてくる笑いを堪えつつ、高尾は終わらぬ会話を断ち切った。
「俺が勉強みようか?」
途端に二人は言い合いを止めてこちらを向く。その反応は、実に両極端だった。
片や期待に目を輝かせて、片や苦々しく眉間に皺を寄せる。
「高尾…」
「まぁまぁ、真ちゃんだってこんな形でライバルを失うのは本意じゃないっしょ?」
むぅ顔の緑間を宥めて、高尾は黄瀬に笑いかけた。
「勉強道具を持っているなら俺ん家においで。一緒に赤点を回避しよう」
「高尾っち…!」
ありがとう、と感極まった様で抱きついてくる体を受け止める。
聞き慣れない『高尾っち』呼びは、意外と耳に心地好かった。


黄瀬は自らの手で導き出した答えと教科書が示す答えを照らし合わせて、絶望した。
「また間違えたー。教官、俺はドジでノロマな亀っス」
「若い子が分からないネタはやめなさい」
机に突っ伏した黄瀬の隙間からノートを覗き込むと、高尾はさらさらと公式を書き足した。
「ここで使う式はこっちだね。はい、もう一回」
「うー」
言われるがまま、黄瀬は再度数字とにらめっこする。さっきは悪戦苦闘の末に間違った答えに行き着いた数式が、今度はあっさりと正解までたどり着いた。
「…できた」
「よし。じゃあ次ね」
自分では考えられないほどの速度で、さくさくと問題は解けていく。黄瀬がどんなに間違えても、高尾は嫌な顔一つすることなく正解へと導いてくれる。
純粋に、不思議だと思った。
「…なんで俺、高尾っちと勉強してるんスかね?」
「ヒデェ!黄瀬が助けてって言ったんだろ」
酷いと言いながらカラカラと笑う高尾に、そういう意味じゃないと告げる。
不思議だったのは、友達の友達にすぎない自分にどうして高尾がここまでしてくれるのか、だ。
「黄瀬相手じゃなかったら、ここまでしなかったかもね」
ざわりと胸が騒ぐ。
それはどういう意味で受け取れば良いのか。聞くのもなんだか憚れて、黄瀬は目の前の問題を解くことだけに注力した。
「…終わったー」
「うん、お疲れ。これだけやっとけば大丈夫だろ」
「ありがとう。高尾っちのおかげっス」
「いえいえ。黄瀬は物分かりが良いから、教えるのが楽だったよ。本当はそんなに成績悪くないんじゃない?」
「あー…バスケやるまではそれなりに良かった、かも」
黄瀬は不器用な自分を、苦く笑う。
「俺、何かに夢中になると、他のことが手につかなくなるんスよね」
高尾はふっと目元を緩めると、なんだかとっても柔らかく笑った。
「ああ、そんな感じだね」
ボン。今度はざわめきなんてものじゃない。黄瀬は、己の心臓が爆発する音を聞いた気がした。
「かえ…帰るっス!」
「おお?じゃあそこまで送る」
わたわたと荷物を纏めて、挨拶もそこそこに外に出る。冷たい夜風が頬を撫でて、ようやく黄瀬は我に返った。
「…高尾っち」
「ん?」
振り返って、見送りに出てくれた高尾を見遣る。
今の自分は友達の友達でしかない、けれど。
「分からないことがあったら、また聞きに来ても良い…?」
恐る恐る問えば、高尾は満面の笑みで大きく頷いてくれた。
「もちろん。いつでもおいで」
一瞬で不安は払拭され、黄瀬も口元に笑みを刻む。
黄瀬は高尾に別れを告げると、夜道を一人歩き出した。足早に高尾の家が小さくなるくらい遠くへ来て、足を止める。両手で顔を覆う。
昔から、何かに夢中になると他のことが手につかなくなる。どうしよう。
―――勉強なんて、出来そうにない。


fin 2014/12/13

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