頭が痛い。喉も痛い。
風邪かなぁとぼんやり考えながら、火神は長ネギを買い物カゴに入れた。家に風邪薬はあっただろうか。食材を買い込んでから薬局に寄るのは、正直面倒くさい。
体調が悪くても減ることはない食欲のままにカゴの中に山を作っていた火神は、前方に目立つ後ろ姿を発見した。
「…黄瀬?」
呼び掛けに振り返った彼はほんの少しだけ、唇を上げてみせる。
「…火神っち」
そんな大人し過ぎる反応に、火神はあれ?、と目を丸くした。
「どうした?どこか具合でも悪いのか?」
「ううん…」
黄瀬は首を振って、曖昧に微笑む。
「ちょっと疲れている、のかな…」
伏せられた長い睫が妙に儚げで、ドキリとする。火神は動揺をごまかすために、言葉を重ねた。
「お前、青峰と一緒に暮らしてんだろ?買い物くらいあいつに任せろよ」
「うん…」
1を言えば10を返すのが常の黄瀬が、必要最低限しか口を開かない。
とうとう不審よりも心配が上回り、火神は己の体調不良も忘れて、黄瀬を気遣った。
「大丈夫かよ。家まで送って行くか?」
虚をつかれたらしい黄瀬は瞬いてから、先ほどよりも笑みを深くした。
「大丈夫っスよ。…ありがと」
そんな風に笑われてしまえば引き下がる他無い。
火神は釈然としない思いを抱えたままで、去っていく黄瀬の背中を見送ったのだった。


黄瀬との遭遇から数日。いまだに火神の体調は回復しなかった。
食えば治る、なんて原始的な方法じゃ駄目なのかもしれない。観念した火神は現代人らしく薬に頼るため、薬局へとやってきた。
陳列するいまいち違いの分からない風邪薬たちをひっくり返しては見比べて、結局めんどくさくなって、適当に一つ選んでレジへと向かう。その途中、飛び抜けて目立つ長身を見つけて、火神は足を止めた。
「青峰…?」
呼びかけた声は知らず知らず固くなる。それも仕方のないことだろう。青峰が立っているのは、テーピングやら湿布やらが並んだ棚の前だった。
「お前、怪我でもしたのか…!?」
「いや、俺じゃねぇよ」
青峰は、火神の心配をあっさりと蹴散らす。
じゃあ何があったのか、は問うまでもなく、青峰が教えた。
「黄瀬が…」
「黄瀬が?」
「首をつった」
「は…?」
ショックで目の前が暗くなるなんて本当にあるのかと、どこか冷静なままの頭で思う。
まるで現実感が無い。黄瀬とは先日会ったばかりだ。消え去りそうに笑って、それでも大丈夫だと、黄瀬はそう言った、のに。
「それで、黄瀬は…?」
「家で寝てる」
最悪の事態ではないと知って、安堵でその場にへたりこみそうになる。と同時に、目の前のこいつへの怒りがこみ上げてきた。
「お前、こんなとこでなにしてんだよ…!」
「は?だから湿布とか買いに来てんだろうが」
薬とか包帯とか、今の黄瀬に必要なものはきっと、そんなものじゃない。そんなことも分からない青峰に、黄瀬を任せてなどおけない。
「俺も黄瀬のとこに行く」
宣言すれば青峰は露骨に何か言いたげな顔をする。でも、何も言わせる気は無かった。
「つれてけ」
黄瀬を救えるのは自分しかいない。使命感に燃える火神の頭の中には、持っている風邪薬のことなど微塵も残っていなかった。


黄瀬の様子がおかしいことには気付いていた。スーパーで会ったあの時に、連れ去ってしまえば良かった。
後悔はしてもし足りない。だからこそ、火神の決意は固かった。
「中入ってもいいけど、黄瀬の顔見たらさっさと出ていけよ」
青峰の忠告に、神妙に頷く。
すぐに出ていくさ。ただし、その時は一人じゃない。黄瀬も一緒に連れ出すのだ。
青峰がドアの鍵を開ける。間髪入れずに、火神はドアノブを奪った。
「おい、なにして…!」
「黄瀬ー!」
バン、と勢いよくドアを開ける。玄関には誰の姿も無い。
黄瀬は寝込んでいるんだったか。とりあえずあがらせてもらおうと靴を脱ぎかけたとき、奥からぺたぺたと足音が聞こえた。
「おかえりー…って、あれ?火神っち?」
そこにいたのはまさに、火神が助けに行かんとしていた人に他ならなかった。
「黄瀬、なんで…」
「なんでって、火神っちこそなんでここに?」
片手を首に当てた黄瀬は、心底不思議そうに目を瞬く。
そう、首だ。
「青峰が、お前が首をつったって言うから…!」
「首?」
黄瀬はおもむろに手を下ろす。そこにあったのは無残な縄の跡…ではなく。すらりとした首は白く、傷どころか荒れ一つ見当たらなかった。
全く訳が分からない。
呆然とする火神を、背後からの容赦無い一撃が襲った。
「ぼーっと突っ立ってんじゃねぇよ」
青峰は蹴り倒した火神を見下ろし跨ぐと、黄瀬の傍へと寄る。
「寝てろっつったろ」
「大丈夫だって。ちょっとつっちゃったくらいで大袈裟っスね」
『つる』。火神は玄関に転がったままで、顔だけを上げた。
ぴんぴんしている黄瀬に、湿布を買いに行っていた青峰。答えを出すのに、時間はかからなかった。
―――HangじゃなくてCrampか…!
これだから日本語は嫌なんだ。
ぐったりと沈み込んだ火神のことなど気にも留めずに、お騒がせな二人は会話を続ける。
「疲れてんだろ。ちゃんと休んでろよ」
「疲れさせてんのは誰っスか」
「分かってるって。とりあえずベッド行くぞ」
そうして二人は寝室へと消える。けれど、閉めきられていないドアの隙間から、怪しい音声はだだ漏れていた。
「湿布貼ってやるからこっち向け」
「いらないっス。それより……」
「…お前、んなことすると休ませてやらねぇぞ」
「いいよ。俺にとっては青峰っちが一番の薬だから」
「黄瀬…」
「…、ぁ…」
火神は無心で携帯を操作すると、相棒を呼び出した。
「…はい。どうしました?」
「黒子…頭、痛い」
「まだ風邪は良くなりませんか」
ああ、本当に。
風邪だったら、良かったのに。


fin 2015/8/26

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