「高尾が手を出して来ない?」
ストリートコートでのバスケの休憩中、黄瀬がぽろりと溢した悩みに、青峰はベンチの背に凭れながら答えた。
「そんなん、お前が全裸で迫れば文字通り一発だろ」
「アンタのそういうとこはホント尊敬できないっス。青峰サン」
聞く相手を間違えたな、と思う。良心的なアドバイスをくれたのは、黄瀬を挟んで青峰の逆側に座った黒子だった。
「それで、黄瀬くんは高尾くんのことを嫌になったんですか?」
「そんなことない!けど…」
嫌いになるなんてあり得ない。大好きだからこそ、不安になってしまうのだ。
「なら良いじゃないですか。傍にいるだけで十分、なんて素敵なことだと思いますよ」
「うん…」
そう思えたら良いのに。俯いた黄瀬は、不意に青峰に腕を引かれた。
「んな顔すんなって」
軽々と抱き上げられたそこは、青峰の膝の上だった。
「ちょっ…どこ触って…!」
「腰細っせー」
「やっ…くすぐったいって、青峰っち…!」
明るく笑い声を弾かせる黄瀬に、青峰や黒子も顔を緩める。一見は微笑ましい光景なのだけれど。
「…高尾?」
遅れてストリートコートまでやってきた緑間は、傍らの高尾が深く息を吐くのを見て、眉を寄せた。


「和くんが元気ない?」
いつものように空き時間を見つけては秀徳までやってきた黄瀬は、珍しく緑間から呼び出しを受けた。用件は当たり前のように高尾のことで、黄瀬は緑間が持っている黄色いクマのぬいぐるみを奪うと、思い切り右の拳を叩き込んだ。
「プー太郎ー!?」
殴られても何も言えないクマの代わりに、緑間が悲痛な叫び声をあげる。
「いきなり何をするのだよ!」
「緑間っちムカつくっス!」
緑間が怒鳴れば黄瀬が怒鳴り返す。それは、完全無欠の逆ギレだった。「いかにも相方ですって顔をしているのがムカつくっス!」
「芸人みたいに言うな!せめて相棒と言え!」
「緑間っちのくせに!」
「全否定か!」
感情のままに叫んで、黄瀬はぬいぐるみを両腕で抱き締めた。
「緑間っちにしか分からないことがあるのは、ずるいっス…」
思い切りぎゅーぎゅーされてプー太郎は苦しそうだったけれど、緑間はもう何も言わなかった。
「お前にしか分からないことだってあるだろう?」
拗ねた子供のような黄瀬の頭を撫でてやる。
「そんな顔をするな。高尾が心配する」
「…ホント、ムカつく」
憎まれ口は減らないまま、黄瀬は緑間の胸に顔を伏せた。落ち着くまでは、と触り心地の良い髪をすいていた緑間は、聞こえた足音に首だけで振り返った。
数メートル離れたところには、声をかけることすらなく立ちすくむ高尾がいた。無言も無表情も、全く彼らしくない。
「たか…」
「真ちゃん」
口を開けば幻のように、彼はいつもの高尾に戻った。
「監督が呼んでる。行こ?」
顔を上げた黄瀬に笑いかけることだって怠らない。一分の隙すらない、完璧ないつも通りの姿は、だからこそ逆に不自然に映った。
「…ああ」
けれど自分に出来ることはないのだろう。緑間はもう一度だけ黄瀬の頭に手を遣って、高尾と共にその場を去った。
高尾を悲しませるのも心から喜ばせることが出来るのも、ただ一人だけに与えられた特権なのだ。


高尾にどこかおかしなところはないか。
注意してみたけれど、黒子ほどの観察眼があるわけでもない黄瀬には、違和感の欠片だって見つけることは出来なかった。
「そんなに熱く見つめられたら、和成困っちゃう」
軽口を叩く高尾の額をぺちりとはたいて、黄瀬はお茶を淹れるべくキッチンへと向かった。
「涼ちゃんの部屋ってセンス良いけど、所々変だよね」
リビングに残した高尾は、中途半端な賛辞を述べる。
秀徳高校に寄った後は高尾に家まで送ってもらうのは、二人の慣習となりつつあった。黄瀬はテーブルの上に紅茶を置くと、棚の前にいる高尾の隣に寄った。
「これ、真ちゃんから?」
高尾の指がつつくのは、やたらにファンシーな猫の貯金箱だった。全体的にシックな色でまとまっている黄瀬の部屋の中で、そこだけがあからさまに異彩を放っている。
「…うん」
もらっても困るけれど捨てられるはずもない。
「過保護なんスよ」
面映ゆい思いで緑間の好意に触れた時、不意に後ろから伸びた腕が、黄瀬の体を抱いた。
「和くん…?」
「振り向いちゃ駄目」
首を動かした黄瀬を咎めるように、拘束は強くなる。
「…振り返らないで」
首元に落ちた掠れた願いが、黄瀬をたまらなくさせる。
高尾の様子がおかしいと言っていた。緑間が感じたものは、多分正しい。
黄瀬は自分を抱く腕に、そっと触れた。
「なにか、あったんスか…?」
良くない感情をそうそう人に見せるような彼じゃない。黄瀬は、いつだって明るく笑う高尾しか知らなかった。
「和くん…」
高尾は何も言ってくれない。沈黙は不安だけを煽り、黄瀬の声まで沈んでしまう。すると高尾は急に腕を解き、黄瀬の体を反転させた。
「あ…」
何も言えない、出来ないままで、重なる唇を受け入れる。背が反るくらい強く抱かれて、苦しくなる。それでも黄瀬は、息まで奪うような深いキスを拒みはしなかった。
「ぅ、ん……っは…」
自力で立てなくなるほどに貪られて、ようやく唇が離れる。至近距離から見上げた高尾は切なげに目を細めていて、体よりも心の方が、苦しくなった。
「涼ちゃんは、さ…」
高尾は黄瀬の頬に指先で触れ、そこだけを見ながら問うた。
「俺が嫉妬しないとか、思ってる?」
意外な言葉に黄瀬はきょとんとする。黄瀬の知っている彼は明るくて、自信に満ちていて。
自分ばかりが好きなのだと、思っていた。
「…嫉妬、するんスか?」
思ったことをそのまま口に出せば、高尾は緩く苦笑した。
「…するよ。めちゃくちゃ、する」
特に、と彼は続ける。
「キセキの奴らなんか当たり前みたいに涼ちゃんにベタベタするから…」
高尾の指は頬から髪を滑る。そしてようやく、視線が合った。
「全部、俺のものにしたくなる」
黄瀬は3回目の瞬きでようやく意味を理解して、一瞬で耳まで真っ赤になった。
びっくりして動揺もしたけれど、嫌なんて思いは微塵も生まれなかった。黄瀬は高尾の肩に手を置くと、返事の代わりに口付けた。
自分の全ては彼のものなのだ。もうずっと、前から。


「お前さ」
これみよがしにため息を吐いて、青峰は横柄な態度で黄瀬を見下ろした。
「どうせならもっと色気ある格好しろよ」
「アンタは俺に何を求めているんスか。ッ、服めくるな!」
いつものストリートコートで、いつものように黄瀬は青峰に絡まれている。
緑間は、ちらりと隣の高尾に目をやった。緑間と同じ方向を見ている高尾は、何も言わずに緑間の手からボールを奪うと、思いっきり振りかぶってそれを放つ。
「いって!」
持ち前のコントロールで、ボールは寸分違わずに青峰の後頭部へとヒットした。
「なにすんだてめぇ!」
「涼ちゃん」
唸る青峰を視界にも入れずに、高尾は黄瀬に手を伸ばす。
「おいで、一緒にガングロ星人を倒そう」
「誰がガングロ星人だ!」
地球外生命にされた青峰が吠えるのも、二人の世界には割り込めない。黄瀬は顔を輝かせて、それはそれは眩しく笑った。
「うん!」
青峰が二人を追いかけ回す怒号と弾けるような笑い声を聞きながら、緑間はそっと口元を綻ばせた。


fin 2019/01/22

お察しの通り、中略しています。
いつか書ける日が来たのなら、大幅加筆します。

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