優しく撫でる手を知っている。嬉しくてくすぐったくて笑みを溢せば、笑い返してくれる幸せを知っている。
だから分かった。青峰が、傍にいてくれている。
「…やっと、起きたか」
目を開ければやっぱり青峰の姿があって、安堵しかけた黄瀬はそこかしこに巻かれた包帯を目にして、ビクリと震えた。
「黄瀬!」
ベッド脇に置かれた機械が耳障りな音を立てる。補助機を付けていても息が苦しくて、黄瀬はきつく目を閉じた。
「大丈夫だから、落ち着け」
浅い呼吸を繰り返す黄瀬の頬に、大きな手が添えられる。その温かさが、黄瀬の強張りを解いた。
「…ちょっと足を滑らせただけだ。でもそのおかげで助かったんだから、お前は俺に感謝しろよ」
滲んだ汗を拭われて、黄瀬は息を吐いた唇を僅かに上げた。青峰も小さく笑い返すと、投げ出された黄瀬の手を握った。
「…今までお前を信じてやれなくて、悪かった」
謝罪の意味が分からない。黄瀬は声を出せなかったけれど、青峰は音にならない気持ちを、ちゃんと拾い上げてくれた。
「お前が何を守ろうとしてたのか、やっと分かった気がする。テツを助けたのもさつきを助けたのも、全部俺のため、なんだろ?」
大切なものはたくさんあった。青峰にとって必要な人なら、この身をかけて守る価値は、あった。
「でも俺は、他の誰でもなくて、お前に傍にいて欲しい」
黄瀬はハッと目を瞠った。やっと分かった。自分は何を間違えたのか。
青峰にとって必要な人の中に、自分自身はいなかった。青峰の気持ちを信じていなかったのは、黄瀬の方だ。
「お前も俺も少しずつ間違えただけだ。でもまだ、間に合うだろ?」
青峰は身を屈めると、互いの額を合わせた。まるで神聖な儀式のように。
「好きだよ。ずっと、お前だけだ」
情けない体は、泣き声すら発することが出来なかった。
黄瀬は代わりに、精一杯の力で繋いだままの手を握り締めた。青峰はすぐに、それ以上の力で握り返してくれる。
嬉しかった。神はいるのだと思った。二度も願いを叶えてくれた。もう一度、青峰に会えた。
こんなに幸せなことは、なかった。
「早く体治せよ。そんでまた、一緒にバスケしようぜ」
青峰は遠い未来の話をする。二人並んで生きていく、輝かしい未来の、話だ。
「黄瀬」
青峰が呼んでいる。まどろみ落ちようとする体にその声は心地好く響いて、黄瀬は瞼を下ろした。
きっと、幸せな夢をみていた。


「黄瀬!」
殴るような大声に、黄瀬はぱちりと目を開けた。
「いつまで寝てんだ。置いてくぞ」
視線をさ迷わせれば、座席の背もたれに手をついて、こちらを見下ろす青峰がいる。
彼の後ろには窓が見える。低い天井が窮屈そうだ。自分たちは今、バスの中にいた。
「なん、で…?」
声が出る。体も動く。この身を苛んでいた痛みは、嘘のように消えている。呆然と己の手を見る黄瀬に、青峰は深々と息を吐いた。
「なに寝ぼけてんだ。なんのためにここにいるのかも忘れたのか?」
黄瀬はもう一度、青峰に目を遣った。ラフな服装の彼は、使い込まれた鞄を肩にかけている。
幾度となく目にしてきた。その姿の青峰が向かう先は、いつだって一つだった。
「…バスケ?」
青峰は答えの代わりに、黄瀬の頭を小突いた。
「さっさと行くぞ」
言うなり去っていく背中を追いかけて、黄瀬は立ち上がった。体は、羽が生えたかのように軽かった。
急ぎ足で通路を抜けて、ドアをくぐる。バスの外は、光に溢れていた。
ふわりと風が頬を撫でる。木々の緑は光を弾いて、キラキラと輝く。
彼がいる世界はこんなにも、眩しい。
「黄瀬」
つい足を止めてしまえば、もう一度名前を呼ばれる。黄瀬は、青峰の元へと駆け寄った。
「…なに笑ってんだよ」
散々待たされた青峰は、不機嫌を隠しもしない仏頂面だ。けれど黄瀬は笑いを引っ込めることなく、その首へと腕を伸ばした。
「―――大好き」
きっと言葉だけじゃ足りないから、全身で想いを伝える。
「ずっと青峰っちだけが、好き」
伝う体温がこんなにも愛しい。傍にいられることがこんなにも、嬉しい。
青峰の腕が背に回って、黄瀬は顔を上げた。きっと同じ気持ちでいてくれているのだろうと、青峰を見上げながら、思う。
笑い合いながら唇を寄せる。触れ合えることはこんなにも幸せだった。だからもう、間違えない。
ちゃんと向き合って、今度こそ同じ目線で。
もう一度恋を、はじめる。


fin 2014/6/4

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