「涼ちゃん、家どの辺だっけ?」 「…東京と神奈川の境目あたりっス」 「うーん…まぁ、なんとかなるっしょ」 着替えた高尾が体育館から出て行き、また戻って来たときには、その傍らには一台の自転車があった。 「乗って」 「………」 高尾を見て、自転車を見て、黄瀬は微動だにせず黙り込んだ。 「大人しく乗らないと今すぐ黒子に電話してお説教してもらうけどどうす―――」 「乗ります!」 すぐさま後ろに座った黄瀬を確かめて、高尾は自転車を走らせた。 「しっかり掴まっててなー」 頬を撫でる風が気持ち良い。黄瀬は、高尾の腰に両腕を回した。 「今日は、チャリアカーじゃないんスね」 「なに涼ちゃん、ドナドナされたかったの?」 ふふ、と黄瀬は笑って、高尾の背中に額を当てる。 「もし俺が売られちゃったら、和くん買ってくれる?」 「もち。30年ローンで買い戻してやんよ」 「〜〜〜っ」 嬉しいも幸せも、上手く言葉に出来ない。代わりに黄瀬は、抱き締める腕に力を込めた。 「ちょっ…涼ちゃん、締めすぎ!苦しい苦しい!」 二人分の笑い声が、風に乗って流れる。黄瀬は温かな気持ちで高尾の背に体を寄せた。 願わくば、高尾も同じくらい幸せだと感じてくれますように。 長時間に渡るサイクリングを経て、自転車は黄瀬のマンション下へと到着した。 「和くん、疲れてないスか?」 「へーきへーき。普段真ちゃんを引っ張ってあちこち行ってんだぜ。今の涼ちゃんなんて乗せてないのと変わらんて」 それは確かに。黄瀬は文字通りモデル体型の自分を褒めてやりたくなった。 「涼ちゃんがいれば、長い道のりだって楽しいしね」 ストレートな好意と笑顔を向けられてしまうと、まだ少し照れてしまう。黄瀬は己の足下に目を遣った。 「とりあえずあがって、少し休んで…」 自転車から降りようとした黄瀬は、腰を抱かれて動きを止めた。 「和くん?」 肩に二人分の荷物をかけた高尾は、片手を黄瀬の腰に、逆手を膝裏に差し入れて、そのまま抱き上げた。 「よっと」 「ひゃあああ!?」 突然の浮遊感と羞恥に、黄瀬は真っ赤になって叫ぶ。 「いやこれはダメっス!無理っス!歩けるから!歩けるから下ろして!」 「あんまり暴れると黒子に電話して―――」 一つの名前を出せば、黄瀬はピタリと抵抗を止める。まるで魔法のような効き目だった。 「涼ちゃんはさ、黒子に弱味でも握られてんの?」 「違うんスよ…」 黄瀬は戦きながら、高尾に魔法のタネを明かす。 「帝光中には教育係に絶対服従の理念があって、その名残で俺は一生黒子っちには逆らえないっス…!」 「帝光コエー!」 黄瀬は、笑う高尾を見上げた。 動く度に夜色の髪がさらりと揺れる。感情を映す同色の目は、今は真っ直ぐ前を向いている。自分を抱く腕は意外としっかりしていて、男なんだなぁと実感した。 「涼ちゃん、俺ばっか見てないで鍵開けて?」 「な…」 いつの間にやら自室の前まで来ていたらしい。黄瀬は口をぱくぱくさせると、またしても赤面することになった。 「見、てない!見てないっス!」 「ハイハイ」 ププッと笑いを堪えているのがまた腹立だしい。黄瀬は膨れながら、鍵を出してドアを開けた。 「…どーぞ」 「どーも。で、どっち行けば良い?」 「そっち。寝室っス」 黄瀬が指し示した方へと進み、高尾は黄瀬をベッドの上に降ろした。荷物も床に置いた彼は、ぐぐっと体を伸ばす。 疲れていないと高尾は言ったけれど、そんなはずはないのだ。部活の後に黄瀬をここまで運ぶなんて、そんなに容易いことではない。 「…ごめん、ね。迷惑かけて…」 衝動的に動いてしまったことを反省した。高尾の負担にはなりたくないと思うのに、どうしても上手くいかない。 「迷惑じゃないよ」 高尾は身を屈めると、俯く黄瀬の頭を撫でた。 「俺のために怒ってくれて、ありがとう」 きゅ、と胸が苦しくなる。辛いんじゃない。幸せ、なのだ。 黄瀬は、離れようとする高尾の手を掴んだ。 「涼ちゃん?」 「…足、痛い」 「え…」 高尾は膝を折ると、包帯が巻かれた黄瀬の足に触れた。 「やっぱりちゃんと病院行った方が…」 「痛くて歩けない、から」 シーツを握って、高尾を見上げる。耳まで熱いけれど、もう構っていられない。精一杯のお願いを、口にした。 「今日は、一緒にいて」 高尾は長めの瞬きをして、それから緩やかに微笑んだ。 「…うん」 頬に添えられた手に、自分のそれを重ねる。目を閉じればどちらからともなく唇が近付き、触れ合った。 羽のようなキス一つで、心臓は爆発してしまいそうだった。それでも黄瀬は、手を伸ばした。 「…もっと」 優しく髪を撫でられて、ねだるままにもう一度唇が重なる。深く合わされば、かぁっと体が熱くなる。力の抜けた体は、そのままベッドへと倒れた。 「かずく…」 シーツの上に落ちた右手に高尾の指が絡んで、三回目のキスがある。きつく目を閉じて手を握れば、少しだけ離れた高尾が息だけで笑った。 「…涼ちゃん、口開けて」 高尾の親指が唇をなぞる。返事をする間もなく口を塞がれ、黄瀬は行動で了承を示した。 つい力んでいた合わせを解けば、するりと舌が入り込む。舌先が触れ合うのに、ぴくりと体が跳ねた。 「…っん…」 内に触れられる度に熱が上がって、くらくらする。唇を合わせるだけの行為が、どうしようもなく気持ち良い。 長いキスから解放されたとき、黄瀬の体はシーツと同化しそうなくらいに蕩けきっていた。 「かずくん…」 甘ったるく呼ぶ黄瀬の頬にもう一度口付けて、高尾は顔を上げた。 「はい、おしまい」 言葉のままに体を起こす高尾を、黄瀬は呆然と見遣る。 「…キス、だけ?」 「怪我人には手を出しませーん」 「平気っスよ、これくらい」 「駄目です」 頑なな高尾に、黄瀬は口をつぐんだ。 高尾は普段、甘やかし過ぎなくらいに黄瀬の我が儘を聞いてくれる。そんな彼が駄目だと言うのなら、それはもう覆されることはないのだ。 ベッドから降りた高尾は、自分の鞄を手にする。黄瀬は腕をついて、体を起こした。 「…帰っちゃうんスか?」 当たり前だということは分かっていても、声には寂しさが滲んでしまう。高尾は鞄から財布だけ取ると、黄瀬に笑いかけた。 「買い物行くだけ。今日は一緒にいるんだろ?」 黄瀬はぱちぱちと目を瞬いた。口元が緩んでしまうのは、どうしたって止められない。 そんな風に甘やかすから、駄目になる。嬉しくなる。 「…うん」 好きで好きで、たまらなくなる。 「高尾!」 廊下で呼び止められた高尾は、体育館へと向かっていた足を止めた。振り返れば、いつぞや黄瀬にこてんぱんにされた部員が、緊張した面持ちで立っている。 「なに?」 「あの…いろいろと、悪かった!」 いちゃもんでもつけられるのかと思いきやあっさりと頭を下げられて、さすがに高尾も面食らった。 「…いいよ。別に俺はなんもされてないし」 「…高尾…」 頭を上げた男は、僅かに頬を染め、熱い視線をこちらに寄越す。涼ちゃん以外の男から愛の告白は御免だなー、なんて考えているうちに、彼は意を決して口を開いた。 「あの女の子とは知り合いか?」 それで、高尾は男の意図を理解した。こいつの目的は謝ることではなく、その先にある。 「よかったら連絡先を…」 興味を持ってしまうのは、いっそ仕方ないことだろう。彼女は振り返らずにはいられないほどの容姿だし、あれほどセンセーショナルな出会い方をしてしまえば、彼にとっての彼女の存在は、きっと神にも等しい。 だが残念。彼女は神でも、自分の女神なのだ。 高尾は、満面の笑みを男に向けた。 「ごっめーん。あの子、俺の彼女なんだよね。だから連絡先を教えるどころかぶっちゃけもう二度と―――」 笑顔は氷点下まで冷え込み、消える。残ったものは、刺すような敵意だけだった。 「近付くんじゃねぇよ」 固まる男に見向きもせず、高尾は本来の進行方向へと足を向ける。その先で、緑間がやれやれという顔で眼鏡のブリッジを押し上げた。 「またお前は余計な敵を作って…」 「ありゃりゃ、見られちゃってたか」 並んで歩きながら、高尾は両腕を伸ばした。 「超絶可愛い恋人を持つと、いろいろと苦労するよねー」 「知るか」 そんなこと取るに足りないくらいに幸せだけど、は口にすることはなく。 高尾はひっそりと笑った。 fin 2014/5/25 戻る |