黄瀬が隣に並ぶのを待ってから、高尾は歩き始める。来たばかりの道を駅へと戻りながら、黄瀬は中途半端になっていたお礼を口にした。
「助けてくれてありがとう。あの…」
自分は黄瀬なのだと言ってしまえば、このもやもやはきっと消える。なのに高尾は、言いかけの言葉の続きを完全に誤解して受け取った。
「ああ、呼び方?そうだなー…」
高尾はしばし考えてから、悪戯っ子の顔で笑った。
「『和くん』って呼んで」
「…和くん…?」
「うん」
そんなに嬉しそうに笑わないで欲しい。真実が詰まって、出てこなくなってしまう。
「俺も名前で呼んで良い?」
「…じゃあ涼って、呼んで」
「涼ちゃん」
『彼氏彼女』っぽい響きに一瞬心が踊って、すぐさまそんな自分をひっぱたきたくなった。『彼氏彼女』ではないのだ。今は。
重い足取りでぺたぺた歩いていると、不意に高尾に腕を引かれた。
「涼ちゃん、今時間ある?」
「え?…うん」
高尾に会いに来たのだから、もちろん時間はたくさんある。黄瀬が頷けば、高尾は安心したように笑った。
「じゃあちょっとだけ、付き合って」
そう言って高尾が黄瀬を連れて行ったのは、駅までの道沿いにある可愛らしい靴屋だった。
「ミュールとかの方が良いのかな…」
入店するなり黄瀬を椅子に座らせて、高尾は店内を物色しに行く。目を丸くしている間に、黄瀬の前にはシンプルで使い勝手の良さそうな黒のエナメルミュールが置かれた。
「えっと、たか…和くん?」
「足、痛いんだろ」
気付かれていたのか。黄瀬はくすぐったい気持ちで、窮屈な靴を脱ぎ捨てた。
久しぶりのローファーで急いだ結果、黄瀬の足は擦れて所々が赤くなってしまった。つま先と踵が開いたミュールは、傷を上手に避けてくれる。
「うん。可愛い」
こういうところがモテるんだろうなぁ、と思う。それは誇るべきところのはずなのに、胸は締め付けられるように苦しくなった。
「…ありがと。じゃあ買ってくる」
「いいよ、あげる」
見上げる黄瀬に、高尾は笑いかけた。
「プレゼント、させて」
胸が苦しくて、痛い。どんなに優しくされたって、それは『黄瀬に』ではないのだ。
裏切られた気になるなんて間違っている。本当のことを言えない自分が悪い。分かっていたけれど、もう駄目だった。
「…ごめん」
黄瀬は靴を履き戻すと立ち上がった。止められる前に店を飛び出す。
「涼ちゃん!?」
高尾の声は聞こえていたけれど、振り返れなかった。
靴に押し込められた足が痛む。同様に、本音を言えないままで押し込まれた心がずきずきと痛んだ。
「待ってって!」
負傷した足では逃げ切ることも出来ずに、結局すぐに追い付かれてしまう。黄瀬は、取られた手を振り払った。
「…なんでもないから。もう放っておいて」
「そんな顔しといてなんでもないわけないだろ!」
高尾は優しいから涙が滲む。自分だけ特別な訳じゃない。彼は誰にだって、初対面の女の子にだって、優しいのだ。
「待てって―――」
みっともなく泣き出す前に逃げてしまいたいのに、高尾は許さずに腕を掴む。それから強く自分を、呼んだ。
「黄瀬!」
ビクリと黄瀬は抵抗を止める。驚きに瞠られた目から、ぽろりと涙が落ちた。
「…いつから、気付いて…?」
「最初から」
濡れた頬を拭うと、高尾は黄瀬を近くの公園にあるベンチへと導いた。
「さすがに近づくまでは分かんなかったけど、黄瀬の体質のことは聞いたことあったし、こんな美人、他にはいないしね」
ベンチの前に膝をついて、高尾は座る黄瀬を見上げた。
「でも、俺が気付いてることに黄瀬が気付いてないとは思わなかった。ごめん。悪ふざけがすぎた」
黄瀬はふるりと首を振った。
「俺も、ちゃんと話さなくてごめんね」
「ん」
高尾は緩く笑って黄瀬の頭を撫でると、腕にかけていた袋に手を遣った。中から出てきたのは試着していたあのミュールで、黄瀬は目を丸くする。
「…買ったんスか…?」
「買ったよー。生まれて初めて釣りは要らないとか言っちゃったよ」
くすりと笑って、黄瀬は今度こそ高尾の思い遣りを受け取った。
「ありがとう。高尾っち」
「もう、『和くん』とは呼んでくれないの?」
黄瀬の隣に座った高尾は、心底残念そうに言う。名前呼びのむず痒さを惜しむ気持ちは、黄瀬にも理解することが出来た。
「…和くんが『涼ちゃん』って呼んでくれるなら」
「もっちろん!」
満面の笑みで、高尾は黄瀬を抱き締める。
「男でも女でも、涼ちゃんは世界一可愛いよ」
いつも通りではない黄瀬に、高尾はいつもと変わらない言葉をくれる。その言葉がどれだけ自分を救って、どれだけ幸せにしてくれるのか。
彼はきっと、知らない。


「ところで涼ちゃん、なんで制服なの?それ帝光のだよね?」
「…コスプレに目覚めたんス」
「まじでか素敵。今度は是非猫耳メイド服でよろしく」
「ご主人様は変態ですにゃー」
「萌え禿げた」


fin 2014/5/19

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