好きになったのはこっちが先だった。 おかしな呼び名を付けてぴょこぴょことじゃれつく子犬みたいなそいつに抱いたのは、面倒くさいとか邪魔だとかそういう負の感情ではなくて。気まぐれに撫でてやれば肩を竦めて笑うそいつを、可愛いだなんて思う自分が確かにいた。 恋を自覚してしまえば止まらなかった。元々、我慢なんてする方じゃない。 だから、居残り1on1の後、部室で話しながら着替える黄瀬を衝動的に引き寄せた。 「青峰っち…?」 その時の自分にはもう、薄く開かれた無防備な唇しか目に入っていなかった。何も言わずに口付ければ、抱いた体はビクリと震えた。 たった1秒の短いキスに、おかしくなってんじゃないかというくらい鼓動が跳ねた。何も言わずにぽかんと自分を見つめる黄瀬を見つめ返すことは出来ずに、青峰はそっぽを向いた。 「…謝らねぇから」 抑えられなかった衝動を、悔いはしない。キスしたことも、好きになったことも、間違いなんかじゃなかった。 「…いいよ」 やがてぽつりと返った言葉に、青峰は黄瀬に視線を戻した。 「謝らなくて、いいよ」 黄瀬は、笑っていた。いつものように肩を竦めて、くすぐったそうに笑って、言う 「俺、青峰っちのことが好きだから」 夢をみているのかと思った。覚束ない手つきで黄瀬の肩を抱き寄せる。黄瀬は逆らわずに青峰に体を預けて、やっと僥倖を実感する。 手に入れたと思った。確かに、この時は。 しばらくはただ、幸せだった。触れられる距離に黄瀬がいて、好きだと、何度だって繰り返してくれる。 暗雲が立ち込め始めたのは、やっと互いのキスに慣れてきた頃だった。 「黄瀬!」 血相を変えて飛び込んだ保健室には、ベッドで上体を起こした黄瀬と、泣きそうに顔を歪めたらしくない黒子がいた。 「階段から、落ちたって…!」 「ああ、うん。でも怪我らしい怪我なんて、左手のコレくらいっスから」 黄瀬は包帯にくるまれた手をひらひらさせて、あっけらかんと笑う。 「…すみません。僕を庇って…」 「黒子っちのせいじゃないっスよ!」 事故の顛末は、目撃者から粗方聞いていた。 窓を割って飛び込んできたボールに気付いた黄瀬は、一瞬の躊躇すらなく、身を挺して黒子を庇ったという。代わりにバランスを崩した彼は、とっさに伸ばした黒子の手を掴むこともなく、階下へと転落した。 「俺が黒子っちを守りたかっただけ、だから」 青峰は、黒子の頭を撫でる擦り傷だらけの手を見た。 もしも割れたガラスの上に落ちていたら。もしも打ち所が悪かったのなら。きっと今頃黄瀬はこんな風に笑えてはいないだろう。そうまでして他人を守る理由が、分からなかった。 青峰を好きだと言う口が、別の人間の名前を呼ぶ。黒子が好き。桃井が好き。キセキの皆が好き。黄瀬は『好き』な人を守るためなら、容易くその身を差し出してみせる。 なら、黄瀬にとっての自分は何なのかと思った。 『命懸けで守れる大好きな皆』と自分は、一体何が違うのか。どうして黄瀬は自分と付き合っているのか。本当に同じ温度で好きだと言っているのか。彼の気持ちが、分からなくなった。 酷く苛立って、黄瀬に強く当たった。乱暴に触れた。それでも尚、彼は少しだけ悲しそうな顔をして、繰り返すのだ。 「青峰っちが、好きだよ」 怒ってくれたら良かった。責めて問い質して欲しかった。こんなのは、対等じゃなかった。 黄瀬は、青峰に『付き合って』くれているのだと思った。どうしたって、同じ目線には立ってくれなかった。その頃の青峰はもう、知っていた。 どんなに望んだって、手に入らないものは、あるのだ。 だからこれは、最後の賭けだった。 青峰に残る唯一の希望をかけて、『恋人』という肩書きの重さを、計った。 「別れようぜ」 黄瀬は初めてキスした時と同じように、何が起きたのか分からないという顔をしていた。青峰もまた同じように、黄瀬を直視することは出来なかった。 「もう、無理だ」 気持ちを疑ったまま、これ以上傍にはいられない。 「別れてくれ、黄瀬」 どうか泣いて、すがって欲しい。そうすればもう二度と、気持ちを疑うことはしない。好きだという言葉のままに、彼を抱き締めることができる。それなのに。 黄瀬は、何も言わなかった。表情一つ変えることなく、ただ小さく、頷いた。 全てを賭けた願いは叶わず。始めることすら出来ないままで。 一つの恋が、終わった。 2014/5/21 戻る |