決して怪しいものではございません。誰にともなく言い訳をしながら、黄瀬は木の影から体育館の中を覗いた。
世間的には休日でも、秀徳高校バスケ部に休みは無い。練習は容赦なく厳しいながらも部員たちは活き活きと動き回り、見ていて気持ちの良いものだった。
中でも一際輝いている選手が一人。彼こそが、黄瀬がこんな不審人物さながらな真似をしている理由だった。
「和くん…」
ミニゲーム中らしいバスケ部は、二手に分かれて熱い攻防を繰り広げている。ボールを持った高尾は一つフェイクを挟んで緑間にパスを出す。緑間のシュートは当然のようにゴールへと収まる。緑間の肩を叩いて話しかける高尾からは、明るい笑い声まで聞こえてきそうだった。
本当は、もっと堂々と練習を見守りたい。叶うのなら、体育館の入り口で一団となっている女の子たちのように黄色い悲鳴を飛ばしたい。けれど黄瀬は、自分が良くも悪くも過分に人目を引いてしまうことを知っていた。きっと高尾は気にしないだろうけれど、他の部員の気を散らすのも忍びない。黄瀬は練習を見たいのであって、邪魔したいのではなかった。
ミニゲームが終了し、一旦休憩の合図がある。もう少しで練習も終わるのだろう。特に約束をしたわけではなく、近くまで来たから練習を覗いていただけなのだけれど、せっかくだから一声くらいはかけたい。どこかでしばし時間を潰そうかと辺りを見回していた黄瀬は、穏やかでない集団を目にして、足を止めた。


「ったく、やってらんねーよ!」
乱暴に体育館のドアを閉める男を責める者はいない。どころか、その場の3人は一様に不満に顔を歪めていた。
「高尾ばっか優遇されすぎだろ!キセキの世代でもない、同じただの一年のくせに」
「あいつ、人に取り入るのだけは上手いから、緑間を丸め込んで相棒みたいな顔をしてんだろ」
「おまけでレギュラー入りしただけのくせに、練習のときまで出しゃばんなってんだよ!」
文句を言っても言い足りない彼らの目は、今は無人の部室に向いた。
「どうせレギュラー様はまだ練習だろ。今のうちに立場ってもんを分からせてやろうぜ」
下卑た笑いを浮かべて、3人は部室へと足を向ける。その行き先を、華奢な腕が遮った。


なんだか外が騒がしい。
緑間の横で自主練に励んでいた手を止めて、高尾は体育館の入り口へと行った。
「なんかあったの?」
「あ…なんか、バスケ部の一年がボコボコにされてるって…」
話しかけた同級生の女の子は、釈然としない顔でそう告げる。
「うっわ、喧嘩?暴力沙汰はまずいだろー」
「ううん。違うの」
すぐにでも止めに行こうとした高尾の服を掴んで、女の子はふるりと首を振った。
「…バスケで」
思いがけない言葉に、高尾は目を瞬いた。


秀徳はその名に王を戴くことがあるほどの、バスケの強豪校だ。例えレギュラー落ちした一年とはいえ、そこいらのバスケプレイヤーに負けるほどやわではない。それをボコボコにするとは一体何者なのか。
小走りで事件現場に向かう高尾の耳に、野次馬たちからの断片的な情報が耳に入る。
可愛い。綺麗。美人。金色。
一つ単語を手に入れる度に、犯人像は明確になる。屋外にあるバスケットゴールの下で、高尾は金髪美人の重要参考人を発見した。
「…涼ちゃん…」
呆然と溢した呟きは、黄瀬の意識を向けさせるには弱過ぎた。
ボールをつく黄瀬の前には、二人の男が立ち塞がる。その体格差は、卑怯と呼んで良いものだった。しかし彼女は怯むことなく、一歩前へと進む。すかさずボールカットに来た男の手は、空を切った。
ビハインド ザ バック。背中側を通すドリブルで、ボールは右から黄瀬の左手へと移動する。体勢を崩した男を抜いて、次の男に仕掛けたクロスオーバーは、とても女の子のスピードではなかった。
鮮やかに男二人を抜き去り、教科書のようなレイアップシュートを決めた黄瀬は、ふわりとスカートを翻しながら着地する。次いで落ちてきたボールが、地面で跳ねて転がる。一瞬の間があって、ギャラリーからは歓声があがった。
思わず高尾も手を叩きそうになって、違う違うと思い直す。黄瀬を止めにきたはずなのに、ついつい魅入ってしまった。それほどに、黄瀬のバスケは綺麗だった。
男たちを倒した黄瀬は、敗者にも観客たちにも目もくれず、自分の荷物を取りに行く。その途中で、固まったように動きを止めた。
バチリと音がしそうなくらい、高尾と目が合った。
「待った」
逃げようとするのを手首を掴んで止める。ついさっき男たちを抜き去った子とは思えないほどあっさり捕まった黄瀬は、小さく苦痛の声を漏らす。高尾は険しく目を細めた。


「ガラスか何かを踏んで切ったのだろう。そんな格好でバスケをするからだ。馬鹿め」
「だってヒールじゃ走れないんスもん」
「バスケをするなと言っているんだ」
足をぶらぶらさせながらぶーたれる黄瀬の膝を緑間が叩く。黄瀬は痛いと抗議したが、緑間のひと睨みで口をつぐんだ。まだ自主練の途中だったというのに怪我の手当てに時間を割いてもらっているのだ。これ以上彼の逆鱗に触れてはいけない。
「で、お前はいつまでそうしてるんだ」
緑間はそちらを見もせずに、傍らの高尾に声をかけた。座り込んだ彼は腕に顔を伏せて、完全にへこみきっている。
「大丈夫っスよ!和くんを馬鹿にする奴らは俺がこてんぱんに…った!」
言い終わる前に、緑間の一撃が今度は頭に炸裂する。
「何するんスか!女の子に手をあげるなんて緑間っちサイテー!」
「誰が女の子だ!」
黄瀬と緑間が掛け合いをしている間に顔を上げた高尾は、苦く苦く微笑んだ。
「涼ちゃんの気持ちが嬉しくないわけじゃないよ。でも本当に俺のことを思うなら…」
高尾は、包帯でくるまれた黄瀬の両足に目を遣った。
「涼ちゃんには、怪我しないで欲しかったな」
怒られるよりも嘆かれる方が堪える。それが、大好きな人なら尚更だ。
「…ごめんなさい」
黄瀬は、己の非を素直に認めた。
「緑間っちも、ごめんね」
仏頂面の緑間は何も言うことなく、でもぽんぽん、と軽く頭を撫でた。
「傷自体は大したことないが、とりあえず今日は極力歩かないようにしろ」
「…と言われても、俺帰り徒歩なんスけど」
タクシーでも呼ぶかなと黄瀬は鞄から携帯を取り出す。が、秀徳コンビの行動の方が早かった。
「高尾」
「はいよ」
立ち上がった高尾は、きょとんとする黄瀬ににっこり笑いかけた。


2014/5/23

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