いったい何時からそういった能力が備わっているのかはわからない。切欠は、恐らく、ユベルとひとつになるにあたって超融合というカードを使ったことにあるのだと思う。気付いた時には、俺の身体は俺ひとりのものだけではなかった。そもそも、精霊の魂を自分の魂に収めておくという行為自体が尋常であるはずがない。ひとつ尋常ではないことが出来てしまうのなら、他もどうにでもなるといったところなのだろうか。常識が通用しない世界ではとことん常識というものの存在は蔑ろにされてしまう。そういうものなのだろうか。
『絶対違うと思うけどね』
「まあそう言うなよ。誰も傷つかずに解決出来るなら、これ以上いい方法は無いだろ?」
 呆れたように溜息を吐いたユベルがすうっと消えていく。俺がこれからすることを見たくないんだろう。くすりと微笑んでから、俺は目前で震えている精霊たちに手を伸ばした。枯れ果てかけた森の奥で、何かに脅えるようにして潜んでいた精霊たちは暫くの間俺を睨みつけたきり動こうとしなかった。尤もだ、正体は何であれ、外見的には俺は人間の形をしている。人々の悪意に傷つけられたのであろう精霊たちが俺を恐れるのは道理というものだ。しかし、違う。薄く微笑み、少しだけ力を解放した。俺の背中からは具現化された悪魔の羽が空を切り現れる。高位モンスターであるユベルのものであるそれを見て精霊たちは驚きに双眸を見開いた。それから動揺したように顔を見合わせる。俺はというと彼らが緊張を弛めて自ら歩み寄ってくれるのをじっと待つばかりだ。少なくともユベルの羽を見て、俺が何者であるかくらいは理解してくれたに違いない。案の定、俺に敵意が無いことを見極めた精霊たちはおずおずと傍らへと近寄ってきてくれた。彼らは人間たちが仕出かした悪行について口々に訴えかけてきた。そして、彼らは俺を森の最深部へと案内してくれた。そこには、傷つき打ち倒れた上級モンスターの姿があった。この森の主ともいうべきモンスターなのだろう、下級モンスターたちが必死に「主を助けてほしい」と縋りついてくる。言われなくともそうするつもりだ。この森の主たる精霊を救うために、俺はこの地を訪れたのだから。
「怖がらなくていい。ただちょっと、休むだけだから」
 下級モンスターたちとは異なり上級モンスターとしてのプライドがあるらしい森の主は、俺がユベルと魂を共にしている闇の覇王だと理解していたとしても簡単に屈服することはない。下級モンスターを守ろうとして敵わないとわかっていながらも必死に威嚇をしてくる姿は、立派な森の主そのものだ。さぞ彼は下々のものたちに慕われていることだろう。自然に口元が弛んだ。なればこそ、救いたいと思う。なるべく刺激をしないようにと努めながら俺は彼の傍らへと歩を進めた。彼は立ち上がりかけたが、出来なかった。見れば、成る程その全身には骨にまで届くかと思われるほどの深い傷が無数に走っている。四つ脚をぶるぶると震わせつつこちらを睨みつけてくる姿を痛ましく思う。いったいどのような事情があってこのような傷が付いてしまったというのか。この精霊が宿ったカードの持ち主は、いったい如何様なカードの扱いをしているというのか。もとい、彼の宿ったカードの持ち主に限らず最近は惨いカードの扱い方をする人間が全体的に増えてきている。勿論、そうではない人々も沢山存在しているが、カードの精霊たちがこうして傷つき打ち倒れる事件の増加ぶりは目に余るものがあった。中には、傷つけられ怒りに狂った精霊が暴走を起こしてしまうことで、精霊界だけではなく人間界にまで被害を及ぼしてしまうことがある。完全なる自業自得だというのに、その被害に喘ぐのみで根本的解決を起こそうとしないあたり人々はなんとも身勝手だと思う。しかし、暴走できる精霊はまだいいのだ。暴れたことに関して少し灸を据えてやり、現在宿っている大本のカードとの繋がりを断ち切ってやるだけですぐに回復に向かうことが出来る。だが、目前の彼のようにここまで傷つけられてしまった後だと話は別だ。たとえ大本のカードとの繋がりを断ち切ったとしても自力で回復できない場合がある。最悪、消えてしまう可能性もあるのだ。それだけは絶対に阻止しなければならない。だからこそ、俺がいるのだ。
 俺は辛抱強く待った。聡い彼のことだ、俺がいったい何をしようとしているのかは既に理解しているに違いない。ただ、戸惑い迷っている。本当に俺を信じても大丈夫なのか、彼がいない間この森は誰が守るのか、本当に自分は元通りに回復する事が出来るのか。何処までも気高く優しい魂だと思う。そんな彼の方から信じてほしかった。俺は決して、悪意を持って彼に働きかけようとしているわけではないと。
「大丈夫だぜ…俺はおまえの傷が癒えるまでこの森を動かない。おまえの代わりに俺がこの森を守るぜ。おまえが元気になるまでな」
 しなやかな肢体を持った獣がゆっくりと頭を擡げる。その瞳が、信じていいのか、と問うてきている。俺は彼を安心させるように満面の笑みを浮かべ、頷いた。すると彼は、納得してくれたのかそれともこれしか方法がないと諦めてくれたのか、すっと瞳を伏せた。全身に張り巡らせていた緊張感を弛緩させ、俺が触れることを許してくれた。俺はそうっと彼の額に手を伸ばす。そして目を閉じると、彼の鼓動が、8つの星の瞬きが、触れた掌から伝わってきた。少しずつ呼吸を同調させていく。違和感が生じないように神経を張りつめさせて行うこの作業が毎回最も大変だ。しかし息さえ合ってしまえば後は大丈夫。俺は彼の額から体幹へと掌を滑らせた。もう片方の手も伸ばす。そうして、彼の身体を優しく抱きしめる。と、
「んん…ふ、ぁ、あぁ…っ!」
ズズ、ズズズ、ズズズズズ、と少しずつ彼の躯が溶け出し、透明に透き通り、俺の中へと流れ込んでくる。臍のあたりが熱い。俺は熱い息を吐いた。吸引は、今のところ滞りなく行われていた。彼の魂が、俺の腹部へと、下腹部の皮膚の下に存在している目には見えない袋の中へと収まっていく。最初は違和感によって強張っていた彼の躯も、俺の中の深いところに辿り着いた途端急激に弛緩した。それどころか、俺の中がどういった場所なのか本能的に理解したのだろう、先ほどまでとは打って変わって逆に早く中に入ろうとして物凄い勢いで力を流し込み始めたのだ。俺は与えられる熱量の多さに呻いた。薄らと瞳を開き、己の腹部に視線を落とす。仄かにうち光る彼の躯の輪郭は半ば以上消えかけており、一筋の道となって俺の臍付近へと続いている(光の筋が臍の緒のように見えた)。そして彼を吸い込んだ俺の下腹部は、ぺたんこな胸部と比べると明らかに膨れ上がってしまっていた。それはまるで、子供を授かった母親の腹のように。
「はぁ、あん…あ、ばれんな、よぉっやぁっああぁっ!」
 子供を授かった母親。その表現はあながち間違いではなかったりする。何故なら、俺が精霊を癒すためにその躯を引き入れている先が、子宮だったりするのだから。
 ユベルと超融合を果たした俺の身体は最早男のものではなかった。ユベルの肉体的特徴をそのまま引き継いでしまった俺は所謂半陰陽という存在になってしまったのだ。男としての特徴も生きてはいるが、同時に女としての特徴も見られるこの身体には要するに性器がふたつついている。子をなすための性器と、子を宿すための性器だ。元より男としての役割すら果たす気がなかった俺に、まさか女としての役割まで回ってこようとは。無論使うつもりなど無かった。肉体がどうあれ俺の精神は男のままだったし、第一こんな身体で本当に子をなせるのかどうか甚だ疑問だった。どちらにせよ、こんなものは副産物に過ぎない。今までと変わりなく過ごすだけだ。そう思っていた俺の信条は、旅を始めて1週間で脆くも崩れ去った。切欠は、今のように人間界と精霊界を行き来し、傷ついた精霊を目の当たりにしたことだった。その時救難信号を発していたのは人型でしかも男の精霊だったのだが、そいつは俺の姿を見るなり安心したように微笑み、手を伸ばしてきたのだ。そいつからしてみれば、消滅寸前だったこともあり、必死だったのだろう。だからこそ俺に何を断ることもなく、勝手に俺の中へと、俺の子宮の中へと潜り込んできたのだ。
 あの時は本当に驚いた。他の精霊が勝手に俺の胎内に入ったこともそうだが、それによって俺の子宮が膨らんだこともそうだ。本当に腹が重くて、おまけに何を勘違いしたのか俺の女としての部位である右の乳房から母乳が出てきた時などは半狂乱してしまった。数日経ち、だいぶ体力を取り戻したらしい精霊が内側から語りかけてきたことでようよう事情を飲み込むことが出来た。曰く、覇王としての力に溢れている俺の中は精霊たちにとって安息所のようなものらしい。しかも子宮の中というのは、親が子に栄養を与えるための場所であり、且つ外敵から最も守られる場所でもある。ここで無条件に与えられる愛情が、人間によって傷つけられた心をも癒すのだという。つまり、他人の子宮に宿り再び生まれ直すことで、元来の力を取り戻すことが出来るのだとかなんとか。因みに彼らが依代にしているのは俺の卵であるため男のままでは精霊を宿すことは出来ず、かといって肉体的に卵を受精させて宿っているというわけではないので腹自体は膨れても彼らを生み出す際には何も出てこないという。処女膜もそのままなので安心してください、と安らかな声で告げた精霊をとりあえず後で一度殴ろうと思った俺は間違っていないはずだ。
 ともかく、俺は子宮に精霊を宿すことが出来る。子宮に宿された精霊は究極の癒しを与えられる。数日間その重みと肉体の多少の勘違いに苛まれる以外には、別段影響はない。となればこれを利用しない手はない。ということで俺は各地を回っては自らの身体を以てして精霊たちを癒して回っているわけである。ユベルからしてみれば、処女のまま何匹もの精霊を孕むなんて不健全なことこの上ないね、らしいが、精霊たちが助かるならばそれでもいいんじゃないかと思う。まあ、脱童貞をする前に妊婦体験をすることが健全なことではないことは、俺にもわかっているのだが。
「ふぅ…あ、は、流石に、レベル8の精霊ともなると、重たい、なあ…!」
 俺は見事に丸く膨れ上がってしまった腹部を撫でた。心優しき森の主は今は胎内で眠りについている。なんとなくやりきったような気分で、巨木の根元にずりずりと座り込んだ。そうして下腹部を軽く叩きながら、小さく子守歌を口ずさんだ。下級モンスターたちが呆気にとられたような表情をしてこちらを見つめてきていることになど構いもせず、彼に届くようにと歌を歌い続ける。そう、ユベルは不健全だ淫らだと喚き散らすが、母親になるということはそう悪いものでもないと思う。もしかするとこの感情すら、俺の女としての部分が齎す副産物的なものなのかも知れないが、それでも俺は、精霊を宿している時だけは、彼らのことを心底愛おしく思ったし守ってやりたいと思った。きちんと傷を癒して元気な姿で再び生まれてこられるように。次は良いマスターと出会うことが出来るように。そう祈りながらもうひとつの鼓動に耳を澄ませるこの瞬間が、嫌いではなかった。



2010.10.18

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