ラブホテルを選ぶ際の基準なんて、基本的には男には存在しないのではないかと思う。というより、行きたがるのは男でも、場所を選びたがるのは女性の方だからだ。ましてや今回は俺はただ単に誘われただけであって、握った手を引かれて歩いているだけで目的地には到着してしまうという状況だからして、選ぶも選ばないもあったものではない。ひとつ年上の先輩に、今までこういったことに誘われたことがないわけではなかった。ただ、今までは俺にも彼女というものがいたし、毎日男をとっかえひっかえしているというあまり宜しくない噂の火元である先輩に性的な意味でお世話になりたくはなかったので断り続けてきていた。それが今回何故誘いを受けたのかというと、どうしてなのだろう。俺自身にもよくわからない。つい最近彼女と別れたことと、今日はバイトがなかったことと、なんとなく気が向いたから。それだけで理由など十分だと思う。大学生はなんて堕落的な生活を送っているのだろう。
 ともかく、そういった事情で連れてこられたのは歓楽街の中心…ではなく、市街地から程よく離れてひっそりと静まり返った郊外だった。言ってはあれだが、少々辺鄙な場所でもあった。長い茶髪をくるくるふわふわとカールさせた、いかにもお嬢様といったかんじの髪型をした先輩が俺を振り返り微笑む。そしてひとつのホテルを指差した。それは、ラブホテルと言うにはあまりにもお洒落すぎる、まるでお伽噺にでも出てきそうな屋敷だった。もったりとした臙脂色の煉瓦造りのその建物には見事と言っても過言ではないくらいには綺麗に整えられた長方形をした窓が、等間隔で並んでいた。十字型の溝が嵌め込まれた窓は擦り硝子で出来ているようで、外から内側を窺い見ることは適わない。装飾のように上からあしらわれた蔦が、また風情を出している。ホテルの敷地に入るためには小さな門を潜らなければならず、それもまたお伽噺のようだった。観音開きになった玄関口の扉を開きながら先輩が「友達が前にここのラブホ使って良かったって言ってたから、一度来てみたかったの」と言った。その理由は言わずもがな外観が一要因であるだろう。こんな乙女チックな屋敷が本当にラブホテルであるのか、気にならない女性はいないといったところだろうか。そして要因のふたつめは、扉を開けてすぐに知れた。
「いらっしゃい」
 その人は、まるで俺たちがここに来ることがわかっていたかのような、すべてを悟りきった笑みを浮かべていた。先輩が隣で小さく歓声を上げたのがわかった。入口からまっすぐ正面に向かって敷かれた赤絨毯を進むと小さなカウンターがあった。そのカウンターに肘をつき、気だるげな態度で俺たちを迎え入れた美人。美人としか言いようがないその人が、恐らく辺鄙な場所に存在しているこの不可思議なラブホテルに足を運ぼうという気にならせる要因に違いなかった。声から判断するに、恐らくは男性だろう。しかし端正な顔は小さく、猫のように眦を吊り上げさせた大きな瞳に薄い唇は、薄っすらと化粧が施されていることもあってか女性のような艶やかさも兼ね備えていた。立ち尽くす俺たちを見て、その人はことりと小首を傾げ嫣然と微笑む。そして、とんとん、とカウンターの上を軽く指で叩いた。正確には、カウンターの上に置いてある記入票の上、だ。慌てて俺は一歩踏み出して、そこに記されていた必須項目に記入を始めた。先輩は未だにその人に見惚れていた。気持ちはわからないではない。俺も、カウンターに寄ったことによってぐっと近づいたその人が、じいとこちらを見詰めてきている視線を感じてしまって気が気ではない。まるで品定めをされているかのようだった。ねっとりと絡みつくようだ。自然と喉が乾いてくる。いったいこの奇妙な圧迫感は何なのだろう、と思いながら記入した用紙をその人に手渡す。その人は紙の内容を一瞥するとにこりとして、一枚のカードキーと館内の案内図などを俺に渡した。
「ごゆっくり」
 そう言いながらもう興味はないと言わんばかりの態度でその人は背を向けた。くああ、と欠伸をしている。俺は茫然としかけてしまったが、ハッとして先輩の手を引いた。先輩はホールから出るまでずっとその人に熱い視線を向けていたが、その人が振り返ることはなかった。
 聞くと、あの人がこのホテルの管理人なのだという。ひとりでこのホテルを経営している。というよりは、あの人以外の人間をこのホテルで見かけたという情報がないため、必然的にそういった話が出回ってしまったというところなのだそうだ。いつ訪れても、必ずフロントにはあの人がいる。気だるげな様子で受付を済ませてくれる。そして、もうひとつ噂がある。あの人がどうしてひとりでホテルを経営しているのか。それは、ひとりならば何でも好き勝手出来るからだ。あの人はああして、気だるげな様子で、自分のホテルを訪れる人間を品定めしているのだという。そうして自分が気に入った人間は改めて自ら呼び出し、美味しくむしゃむしゃと食べてしまうのだと。男も女も関係なく、無節操にだ。しかもとんでもなく床上手らしい。あの人と抱き合った人間は、もう普通のセックスは出来なくなってしまうという。つまり、あの人は、自らが遊ぶ人間を見つけるためだけにホテルを経営しているのだと。
 尤も、噂の真偽は定かではない。実際に呼び出されたという人の話は誰も聞いたことがないし、確かに淫靡な人ではあるが流石にそこまで節操のないことをする人ではないだろう。だからあくまでもこの噂は、ミステリアスなホテルを経営するミステリアスな経営者の魅力を称えてのものに過ぎないはずだ、と先輩は笑って語った。俺も彼女の話に笑って相槌を打った。だが、内心は穏やかではなかった。

 先輩とのセックスはとても気持ちが良いものだった。お互いに後腐れのないものとして割り切っていただけに、純粋に楽しめたといえる。後始末を終えて、眠りに就いた先輩を見守って暫くしてから、俺は部屋を出た。手には館内案内図と、その案内図の裏に隠されるようにして忍ばされていた薄い紙を持っていた。小さな紙には2行だけ、小奇麗な字で走り書きがされている。「終わってからおいで 811」、別にこのようなものは無視してもよかった。だが、あの人に、滑らかで白い指先を持ったあの人に、直接この紙を握らされて誰が抗うことが出来るのだろうか。811というのは恐らく部屋の番号だった。ホテルの東棟の最上階に、ひとつしか存在していない部屋があの人の部屋であろうことは容易に想像がついた。スリッパの音さえ鳴らさないように気をつけながら進む。エレベーターで最上階にまで上がり、右に折れてすぐのところに存在していた扉を、少し躊躇った後にノックした。声が返ってくるかと思っていたのだが、意外なことに直接扉が開いた。そうしてその扉の隙間から顔を覗かせたのは、
「なんだ。意外と早かったな」
紛れもなくあの人だった。早かったなと言った割に、やはりすべてを見透かしていたかのようにその人はシャワーを浴びた直後であったようだった。ほんのりと色づいた頬の赤は、化粧の赤ではない。素顔のままのその人は、それでもとてもうつくしかった。腕を取られ、誘われるようにして室内に足を踏み入れる。心臓が早鐘のように脈打っていた。すぐ隣にぴたりと身を寄せたその人から、妖しげな香りが漂ってきている。鼻腔を刺激するそれに脳味噌までやられてしまったのか、頭がくらくらした。その人は、間違いなく男だった。バスローブの袷から垣間見える胸元は薄かったし、肩や腰が骨張っている。どう見ても女性ではない。だというのに、なんということだろう、俺は会ったばかりのその人に欲情してしまったのだ。勿論俺は、今まで男になど興味はなかった。健全な嗜好の持ち主だと自負していた。だというのに、どうしたことか、何時の間にか俺はその人の腰に腕をまわし、薄い唇を求めてしまっていたのだ。彼は俺に唇を奪われながら、官能的な吐息を漏らした。嬉しそうに眇められる双眸。首にまわされる腕。すべてが俺を誘っている。堪え切れずむしゃぶりついた細い肢体は、シーツの海の上で淫らに蠢いた。甲高い、甘い声で喘ぎながら、彼は俺を奥へ奥へと誘導した。男が男の穴に欲情するだなんて、笑い話でしかないと思っていた。しかし現実に俺は必死になって両手の指で彼のひくつくそこを解し、舐め、はしたない犬のように涎を垂らしながらそこに怒張したものを突き立てた。悲鳴のような嬌声が鼓膜を劈く。嵐のように次から次へと巻き起こる欲望に身を任せ、翻弄されるがままに彼を抱いた。彼は俺を抱き返し、何度も何度も俺の名前を呼び、淫らな言葉で俺を煽った。
 一晩で何度射精したことだろう。セックスでこれほどまでに疲労をしたのはいったい何時ぶりだろうか。全身を脱力させ広いベッドの上で荒い呼吸を繰り返す俺に膝枕をしながら、その人はくすくすと微笑んだ。
「すっげーな、体力ある。若いっていいな」
 ムッとして、俺は上目遣いで彼を睨めつけた。
「君だって若いだろ。それに、体力だってある。そんなにピンピンしてるじゃないか」
「そうだな。だっておれ、おまえと同い年だもん。体力はあるかも」
「そうなんだ?すごく色っぽいから、君は俺より年上かと思ってた」
「君じゃなくて、十代な」
 身体を反転させて、彼の腰に抱きつきながら尋ねた。「じゅうだい?」彼は依然としてくすくす微笑みながら、「そう」と言う。
「名前まで教えたのはおまえが初めてだぜ、ヨハン」
「…もしかして、噂は本当だったのか?君が、自分が遊ぶ人間を見繕うためにホテルを経営してるって…」
「ああ。そうだな」
 呆気なく同意した彼は満面の笑みを浮かべていた。ずるずると身体を起こして、まるで恋人同士のように正面から抱き合いながら、「無節操?」と悪戯っぽく耳元に囁く。彼は肩を揺らして、「気に入った奴しか誘わないし抱かないし抱かせないけどな」ととんでもないことを口にした。俺も笑う。
「俺のことは?」
 言うと、彼は唇に触れるだけのキスをしてきた。あまりに稚拙で物足りなかったので舌を入れてやろうとすると、ぽんと胸元を叩かれてやんわり身体を引き離された。言葉を封じるように唇に人差し指を宛がわれる。それから彼は晴れやかに笑った。少年のような、無邪気な笑みだった。
「また来いよ、ヨハン。今度はひとりで、な?」


 朝、目を覚ました先輩とともにホテルを出た。眠たげな様子だった先輩は、俺の顔を見るなり少し眉間に皺を寄せて「何かあったの?すごく機嫌がよさそうだけど」と言った。流石、女の勘は伊達ではないなと思う。何でもないですよ、と言って誤魔化した。料金は自動精算式だった。後払いの自動精算式など不用心なことこの上ないなと思ったが、金が目当ての経営ではないのだからそのあたりはもしかするとあまり気にしていないのかも知れなかった。玄関口を通る際にちらりとカウンターに目をやったが、そこには誰もいなかった。



2010.11.8

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