「さあ食べろ」
 滴り落ちる血液はグラスに注がれ、真っ赤な肉汁にまみれた桃色の肉は広い皿の上に綺麗に盛られていた。ライトアップされた食卓の上でぬらぬら輝くそれは、どう考えても、食欲を阻害するものにしかなりえない。ぐねぐねと折れ曲がり、蜷局を巻いた肉の塊。その断面から覗く内部は、予め清水で洗われた後なのか、消化物の欠片も残されていなかった。もう片方の断面より中を覗き込む。白々しいほどにうつくしいサーモンピンクの内壁には色鮮やかな野菜が詰め込まれ、まるで本物の料理のように扱われている。しかしその表面はぬるぬるした粘膜で覆われ、赤で彩られており、到底口にしたいと思えるものではなかった。寧ろ吐き気を催させてくれる。十代は、思わず口元に手をやり視線を皿から背けた。胃の中のものを吐き出そうとして、しかし数日間何も口にしていないため、物質的なものは出てこなかった。代わりに咥内には胃液の嫌な味が広がる。脳味噌まで酸化させてしまうような、強烈な酸性のそれが舌の上を滑る。ますます食欲は薄れていき、十代は涙目になりながら必死に身を捩ったが、足首を椅子に縫いつけられ太股を穿たれ完全に下半身を破壊された状態では逃げ出すことは叶わなかった。
「どうした。食べろ。いい加減にものを口にしないと死んでしまうぞ、十代」
 卓を挟んだ向かいの椅子に深く腰掛けた覇王が、不思議そうに問いかけてくる。彼の手元のグラスには清水が注がれている。彼の皿は白いままで、食事が用意される様子はない。彼は指が数本かけた手をグラスに伸ばし、清水を一気に飲み干した。だがそれらは、嚥下され臓器に届く前に、胸元で大きく開いた穴から外へと溢れ出してしまう。黒い法衣に染み込んでいく清水と、血液。それより深くなるはずのない色が、斑模様に染め上げられていく。しかし覇王は痛みなど感じていない顔で、だらだらと傷口から血液を垂れ流させていた。
「おれは…食べない…っ!」
 悲鳴にも似た掠れきった拒絶の声をあげれば、覇王は「十代…」呆れたように憂うように十代の名を呼んだ。白い喉元にあいた穴がこぽこぽと音を立てながら気泡を噴き出している。本来ならば、声帯は既に使いものにならなくなっているはずだった。その部分に、穴は位置していた。だが覇王は眉ひとつ動かさないまま、「言葉」を連ねる。
「皮膚は生臭くて嫌だという。筋肉は堅くて嫌だという。臓器でも駄目だというならば、おまえはいったい何なら口にするのだ?何なら、食べてくれる?」
「おれは、俺はっ…人の体なんて、食べ、ない…!覇王の体なんて食べたくないっっ!!」
「……それでは俺が困るのだがな」
 とりあえずこれは飲め、と覇王の手がグラスを押し出してくる。血液という名のワイン。十代はそれさえも拒否して、すべてから逃げ出すように俯いた。涙も枯れ果ててしまうほど衰弱しきっており、ともすれば意識を失ってしまいそうになる。ふらふらで、本当に死にそうな状態で、それでも食物の摂取を拒み続けていた。いったいいつからこうして、この椅子に縛りつけられ皿に盛られた人肉と向かい合っていただろうか。視界は既にぼやけてしまっており、まともな思考が出来なくなってしまっていた。
 暫くすると、前の気配が動いた。覇王が、ゆっくり席を立ったのだ。その腹部から血を溢れさせ、片足だけで立ち、よろよろと歩きだす。彼の肉体には欠落が多い。指や足もそうだが、眼球もひとつ失われ、本日とうとう臓器のひとつまでもが失われたらしい。普通の人間ならば生きてはいられない重傷の数々を負っていた。そしてそれら、失われた彼の肉体の断片らは須らく十代の眼前に差し出されていた。ひとつずつ、料理として。血液もそうだ。十代と同じ体格をした覇王のいったいどこにそれだけの量の血が流れていたのかと甚だ疑問には思うが、毎回、皿の上の手つかずの料理が入れ替わる度に赤い飲み物は新しいものへと交換される。たっぷりと注がれたワインのもったりとした赤が、己の体内に流れるものと同じものだと思うと、恐ろしくて仕方がない。
 覇王は卓の周囲を一周して回りこんでくると、怯えたように顔をあげた十代の口元に、素手でつかんだ「料理」を近づけた。鼻腔を満たす鉄の匂い。吐き気は増す一方で、必死に拒絶したが、唇を掠めたあの生々しい柔らかさはそれだけで十代の精神を貶めた。覇王は平気なのだろうかと思う。己の臓器を手で掴みあげて、他人に喰わせようとするなど。一度だけそう訊ねてみたことがあったが、その時には、さも当然だと言わんばかりに、平然と、ああ、と答えられたのだったか。
「口を開け十代。食べさせられないだろう」
 覇王の声は優しかった。珍しく、心底困り果てている様子で、右手に持った人肉を持て余している。こんな願いでなければ十代も、言うとおりにしたいと思う。しかし、こればかりは、どうしようもない。どうして自分が覇王の肉を喰らわなければならないのか、理解が出来なかった。俺とおまえが完全なる同化を果たすためにはどちらかがどちらかを搾取しなければならない、と真面目な表情で語った覇王の声が思い起こされたが、ならば自分が覇王に喰われるべきだと思った。実際にそう訴えたが、覇王はおかしそうに笑いながら、「闇の魂に器が喰われては元も子もないだろう。器が魂を取り込むことでしか、完全な同化は起こりえない」と諭されて終わったのだったか。要するに、道はひとつしかないとそう言っている。
 だとしても。どうしても嫌だった。好きな人を食べたくなんてない。どんなに、本当の料理に見えるように配慮されたとしても、不可能なものは不可能だ。十代は、己の血液を己の口内に含んで唇を重ねることで口移しで十代に血液を飲ませようと迫ってきた覇王の顔を拒み、抱きしめながら、いったいいつまでこうしていなければならないのだろうとぼんやり考えた。
 きっと覇王は、十代が彼を食べるまで開放する気はないに違いない。そして十代には覇王を食べる気はない。この空間には2人しかおらず、永久的に時間は共有されていく。永遠の押し問答だ。しかし譲れない2人の声なき問答は、やはり永久的に続けられていくのだろう。



2008.5.XX
(これも何時書いたものだったか忘れてしまった…)


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