俺の親友は不思議な奴だ。
 前々からそう思ってはいた。何が不思議なのかと尋ねられると、いまいち、明確にこうと答えることは出来ないのだが、しかし彼は同級生の誰とも一線を画していた。恐らくそのことには俺だけが気付いている。どうして気付いてしまったのかというと、それは、俺が他人の心情の機微に人よりも敏感だったからだ。
 それでも俺は彼と、十代と親友だった。十代の、そういった、みんなが連れ合って北に向かう中、呑気な顔をしてひとりで東に向かってしまうような、歩行者天国の道路であえて道の隅の隅を歩くような、天邪鬼とも取れるような身勝手とも取れるような気紛れな行動が嫌いではなかったし、実に面白いなあと思っていた。しかも、何故そうしたのか?と尋ねると必ずえへらと笑って、彼独特の理論を口にするあたりが気に入っている。「○○がそうしたから」とか「××と一緒だから」といったような他人主義な答えを聞くより、「なんか面白そうだったから」とか「でも道路は道路だろ?」といったような答えの方が、余程説得力があると思うのは俺だけなのだろうか。
 十代はよく笑い、よく喜び、よく怒った。残念ながら彼が悲しんでいる姿は見たことがないが、それはそれで良いことなのだと思う。兎に角感情表現が豊かで、裏表の無い奴だった。だから、彼に隠し事など無いのだと思っていた。よくよく考えれば、それは短慮な思い込みだったが、思ったことがそのまま直に口から出てしまう十代が隠し事など出来るはずないと、あの時の俺は確かに思っていたのだ。実際、彼は俺に隠し事をしようとはしなかった。何かを尋ねた時に、答えが帰ってこないことはなかった。但し、これは後でわかったことだが、尋ねられれば答えるが、尋ねられなければ何も喋らないというのが彼のスタンスだったらしい。十代はいつもよく笑い、よく喜び、よく怒った。しかしその実、自らのことを自らの口で語ったことは一度たりとも無かったのである。
 それは、俺が彼の家に招かれた時の出来事だった。
「おれ、人を家に呼ぶのなんか初めてだぜ!」
 意外なことに、十代は豪邸と言っても過言ではないほど大きな屋敷に住んでいた。その造りは一昔前の日本家屋といった様相で、聞いたところ、曽祖父の代からの持ち家なのだという。両親は海外に出張に行っているためおらず、弟二人暮らしだと言った。この歳で自活をするのは辛くないのかと尋ねると、彼は笑って、弟が優秀だから兄貴は助かってるんだ、と言った。十代に弟がいるということ自体が初耳だった。
 俺と十代にはカードゲームという共通の趣味があった。今までは放課後も教室に残ってデュエルをしたり、カードショップに行ってデュエルをしたりしていたのだが、どうしてこの日に十代の家に行くことになったのか、その経緯はよく覚えていない。十代の部屋に通され、畳の上にカードを並べてデュエルをした。いつもは喧騒の中で行われるデュエルが、次第にお互いの息遣いさえ聞こえてきてしまいそうな静寂の中で只管行われていた。開け放たれた障子の向こう側には青々と草木が茂る庭が広がっていたが、虫の声は聞こえてこなかった。いつもより集中してデュエルをしていたため、唐突に背後から「十代」という低い声が聞こえてきた時、俺は驚いて情けなくも飛び上がってしまった。十代がゆるりと顔を上げ、いつものようにえへらと笑う。
「覇王。起きてたのか」
 恐る恐る振り返った俺の目に飛び込んできたのは、藍色の着物に身を包んだ、十代、の姿だった。否、それは十代ではなかった。容姿は十代と瓜二つだったが、唯一、瞳の色が異なっていた。すべてを凍てつかせる金色の瞳は、しかし俺にはちらりとも向けられず、十代のみを見据えていた。十代に微笑みかけられると、覇王、と呼ばれた彼の弟であろうその少年は能面のようにのっぺりと顔面に張り付いていた無表情を緩めさせ、さりさりと摺り足で部屋の中へと歩んできた。俺はその足が真っ白な裸足であったことに何故かギョッとしてしまい、一寸彼の足から眼が離せなくなってしまった。少年は、十代のすぐ隣ですとんと座り込んだ。しかし、熱い眼差しで彼の横顔をじいと見詰める少年に構わず、十代はデュエルを再開させてしまった。俺は動揺したが、十代がデュエルをするというのなら続けないわけにはいかない。慌てて気持ちを切り替える。少年は、デュエルをする十代を何も言わず見詰め続けていた。微動だにしないその姿に、何故か俺は黒猫を思い出していた。なかなか人に懐かない、心が読めない、その割りに気がつくと人の隣に佇んでいる。そういった雰囲気を醸し出す少年は、十代とは正反対だなと思った。弟と言っていたが、双子なのかも知れない。デュエルに決着がついたら話をしてみたいな、とそのようなことを思っていた。
 次の瞬間、あまりに予想外な出来事が起きる。
 突然、少年が十代に襲い掛かった。十代が、わわっ、と悲鳴を上げて畳に倒れる。数枚のカードが宙を舞った。十代の上に覆い被さった少年は、カードをドローしたばかりのその指に、なんと噛みついていた。白い指先が、薄い桃色をした唇に飲み込まれている。ごきゅり、と鳴る。何が鳴ったのかはわからない。十代が片方の手で少年の肩を掴み、少年ごと身体を起こした。そして、自らの指を咥えたまま放そうとしない少年を見て、いつものように、えへらと微笑んだ。
「なんだよ覇王、またかぁ?しょうがねぇなあ」
 背筋を、何かが滑り落ちていった。大きく息を呑み込んで初めて、先ほど聞いたごきゅりという音が、自分が息を呑んだ音であったことを知る。信じられないようなものを見る気分で、俺は目の前の兄弟を見た。弟は、胡坐をかいた兄の膝の上にしなだれかかり、兄の片手を両手で捧げ持って只管に指に齧りついている。否、齧りつくというよりは、それは愛撫だっただろう。甘く食み、時に舌で撫で、うっとりとした視線で指先を見詰め唇に擦り付ける。じゃれつくそれではなく、どこか官能的な仕草で、兄に愛撫を施す弟が何処の世界にいるだろう。一方兄は、弟の奇行ともいえる行為を止めるでもなく、笑って甘受している。右手をざりざりとした歯の表面で擦られ、唾液塗れにさせられながらも、普段と変わらぬ笑みを見せている。俺には信じられなかった。耐え切れなくなり、手札を畳に置き、「ど、どうして、」震える声で話を切り出した。十代は、己の弟に向けていた優しげな視線を俺に向け、きょとん、とした顔で小首を傾げた。
「どうして、止めないんだ…ゆび、…」
「ああ、覇王?」
 十代は、そんなことかと笑って鷹揚に頷いた。そして言った。
「なんか、覇王は俺の指が好きみたいなんだよな。特にデュエルしてる最中の指が好きなんだって言ってた。だから、時々、こうやって、噛み千切りたくなるんだって」
 でも流石に噛み千切られるのは困るから、舐めるだけなって言ってあるんだ。十代はからからと笑っていた。ぴちゃり、ぴちゃり、と少年が指を舐める音が響く。俺は全身がぶるぶると震え始めるのを感じていた。怖い。親友に対して初めて抱く感情だった。くぐもった喘ぎ声が狭い部屋に満ちていく。十代は笑みを絶やさないまま、自らの指を愛撫する少年を見詰めていた。その瞳に過ぎった深淵というものを垣間見て、俺は、泣きたくなった。
 翌日、教室で、体調不良を訴えて彼の家を飛び出した俺を十代は変わらぬ笑顔で迎え入れた。昨日のことなど嘘だったかのようだった。俺は安堵しようとして、しかし何気なく十代の右手に視線をやって、背中を凍りつかせることしか出来なかった。十代の指にはくっきりと、歯型が残っていた。彼が、甘い愛撫を受けた証だった。
 それからも俺たちは親友同士で在り続けている。だが、俺は、二度と十代の家に行くことは無いのだろうと思う。



2011.2.9

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