2月14日といえば、世の中の男性が揃って胸を躍らせそわそわと落ち着きがなくなる一大イベントの日だ。バレンタインディという。好きなあの子にチョコをもらえるかも?けれどもし、好きなあの子が別の男にチョコを渡していたらどうしよう?ああだけど、その子にもらう代わりにクラスの中でも人気のあるかわいいあの子に不意打ちで渡されたら…!…と、数々の妄想を脳内で繰り広げつつ現実逃避をする日ともいう。大抵、「女子からチョコをもらえる男子」は特に期待するでもなく余裕綽々といった態度でこの日を迎えることが出来る。逆に、「女子からチョコをもらえない男子」こそがこの日に儚い夢のような甘い幻想を抱くのだ。期待するだけならば誰でも自由、実際にもらえるかもらえないかにはまったく以て繁栄されないということだ。
 ヨハン・アンデルセンはどちらかというと前者のタイプの人間だった。バレンタイン?それが?ああ、なんだかわからないけどチョコもらえる日ね。そういった軽薄な応対をすると、大概周囲の男子は頬を引きつらせながら後頭部をどついてきた。しかし女子というものはわからないもので、そういうクールなのが恰好良い!だとか、他の奴らみたいにがっついてないのがイイ!だとかいって殊更にきゃあきゃあと騒ぎ立てる。ヨハンにとってのこの日のもうひとつの印象といえば、必ず職員室に行き年配の教師たちに冷やかされながらも担任に少し大きめなサイズの紙袋をもらいに行かなければならない、ということだった。担任は呆れ顔でひとつ溜息を吐き、底にひとつのチョコが入った紙袋を差し出してくれる(底に入っているチョコが誰からのものとは言わずもがなだ)。もらえて嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な心境のまま袋を片手に抱え家に帰る。そうして家に帰った後、山のように積み上げられたチョコが何処に行くのかと言うと、実はヨハン自身の腹の中ではなく姉や妹の腹の中に収められていっているということは永遠に秘めておかなければいけない秘密であったりもする。
 なのでこの日もヨハンは、片手で紙袋を抱えながら下校した。但し従来と異なるのが、この日ヨハンが帰る先はブルー寮の自分の部屋ではなく、おんぼろなレッド寮の一室だということだった。下校途中にも何個かもらったチョコを紙袋の中に収めつつ、緩い坂道を下っていく。通い慣れた崖沿いの道を歩き、漸くレッド寮が見えてきたというところでヨハンは異変に気付き眉を顰めた。なにやら、レッド寮の前に男子生徒の行列が出来ている。しかも何処から続く行列かというと、間違いない、ヨハンが今まさに向かおうとしていた先の部屋から行列が出来ているのだ。まるでお医者様の診療を待っている患者たちのように、部屋の中からひとりが出てきたかと思えば次いで並んでいたひとりが部屋の中に入っていく。その誘導をしているのは翔と剣山だった。いったい何があったというのだろうか、ヨハンは彼の部屋から出てきた男子生徒のひとりに声をかけた。すると、先ほどまではこの上ないというほどに頬を緩ませ幸せそうな顔をしていたそいつがハッと我に返ったような表情になり、慌ててヨハンから逃れようとし始めたのだ。これはいよいよ怪しい。腕を振り払って逃げようとするそいつを逆に強い力で押さえつけ、森の中にまで引きずり込んでちょーっとだけ強引な手段で何が起こっているのかを訊ねた所、信じられないような答えが返ってきた。涙目になって勘弁してくれと命乞い…お願いをするそいつを解放し、ヨハンは急いで彼の部屋へと向かった。

「で?」
「ん?」
「呆けるなよ。これはいったいどういうことなんだ十代」
 この部屋に、厳密には彼に群がっていた男子生徒たちを全員蹴散らしひとり残さず追い返し、静かになった部屋の扉の鍵を後手でかけながらそう訊ねると、なんともすっ呆けた返事が返ってきた。暫くの間は、理不尽だ横暴だこのジャイアン!と叫ぶ翔の声が扉越しに聞こえていたが、ヨハンが何も返答をする気がないことを見てとったのか1度扉を蹴りつけてから去っていったようだ。おいここ十代の部屋なのに蹴るのかよ、と思ったが、ちらりとも笑える状況でないことはヨハン自身が誰よりも理解していたので見てみぬフリをする。三段ベッドの一番下の段に腰掛けた十代は髪の毛先を指先で弄りながら「何がだよ」と気のない返事を返してきた。またもやふつふつと怒りが涌いてくる。視線を俯かせたままちっともこちらを見ようとしない十代の肩を掴み、「説明しろって言ってんの」多少凄んでやると、彼は少しだけ鬱陶しそうにしつつ顔を上げた。
「何やってんだよおまえ。なんでこんな…こんなこと…!」
「…なんでって、今日はバレンタインだろ?だからだよ」
 そう言いつつ十代はへらりと笑う。彼の足元にはバケツが置いてあり、その中にはたっぷりと湯銭で溶かされたチョコレートが入っていた。そして彼の片足も、そのチョコレートの中に突っ込まれている。暇を持て余しているかのようにぐるぐると爪先でチョコレートを掻き混ぜる。足を持ち上げると、彼の足の甲の上から流れ落ちたチョコレートが、とぷん、と濁った音をたてながらバケツの中へと落ちた。くるぶしから爪の先の先まで茶色くチョコに塗れた右足。きれいな形をしたその足の上を、何人もの男の吐息が通ったのだと思うと耐え難い気分になった。
「一週間くらい前からさ、今日までずっとなんだよ。俺からのチョコが欲しい〜ってメールとか手紙が絶えなくってさ。なんで俺なのかはわかんねーけど、こんな俺からでもチョコが欲しいって奴がいるんだって思ったら、ちょっとくらいサービスしてやりたくなるだろ?」
「だから、まるで下僕か何かを扱うように男たちを自分の前に傅かせて、足を舐めさせてたっていうのか」
「そそ」
 翔とか剣山にはさすがに手からにしておいたんだけど、でも結構好評だったんだぜ?人の足を舐める機会なんてそうないだろうからなー、ああ、だけど鼻血を出された時には俺もどうしようかと思ったぜ。
 からからと笑う十代は心底面白がっている様子だった。少し以前までの十代ならば、信じられないようなことだった。先ず十代も、ヨハンと同じくバレンタインなどに興味を示さなかっただろうし、もし興味を示したとしてもあくまで「貰う方」としての興味しか抱かなかったと思う。こんな風に、いかがわしいチョコの渡し方など、思い浮かばなかったはずだ。だというのに。ヨハンは、片手にぶら提げたままにしていたチョコの紙袋を放り捨てた。とさ、と軽い音がして紙袋の中で山積みにされていたチョコの包みが床にぶちまけられる。十代はそれを見て頬を緩めると「なぁんだ、ヨハンも俺からチョコ欲しかったのか?」にやにやしながらヨハンを見上げてきた。じゃあそこに這い蹲れよ、俺の足を舐めろよ、とでも言いたげな瞳で。
 対するヨハンは無表情のままだった。しかし、十代の前で唐突に膝を折ったかと思えば、ぷらぷらと中途半端な位置で揺さぶられていたチョコ塗れの足を掴み、そっと口元へと引き寄せたのだ。十代は内心でぎょっとした。まさか。揶揄半分で言った言葉を真に受けたのか。自分に対して常に真摯で誠実な態度をとるヨハンにしては信じられない行動だったが、すぐに疑念は好奇心へと取って代わる。十代にとってヨハンは、好ましい部類の人間に入る。この真面目さを時折少しだけ鬱陶しく思うことがあっても決して嫌悪することはないのだが、そんな人間がチョコの誘惑に負けて跪いたということに嗜虐的快感を覚えていたのだ。十代は、ヨハンが自分に、親友へ向ける以上への好意を向けてきていることも自覚していた。その劣情を甘んじて受け入れてやってもいた。世間的には恋人同士だとかいう甘い言葉が当てはまる関係にあるのかも知れない。だからこそヨハンは、自分以外の他の男たちにも甘露を分け与えていた十代が許せなかったのだろうと推測していた。
 十代の推測は強ち外れてはいなかった。しかし、それ以上に大きな見当間違いをしていたのだ。余裕に満ち溢れた女王様の表情でヨハンの後頭部を見下ろしていた十代は、次の瞬間、口端から溢れ出した自分の声に目を丸くした。
「ひゃっ!」
 慌てて口を塞ぐが遅い。一瞬だけ顔を上げたヨハンがちらりと十代を見遣る。翡翠の瞳は何も感情を宿しておらず、驚いた十代のまるい瞳と目が合っても素知らぬフリをしてまた視線を落とした。十代は身悶える。足の裏を、何か、熱くてぶよぶよしたものが這いずる感触がある。それがヨハンの舌だということは言うまでもなかった。踵から、土踏まずまで一舐めされ、次いで側面を辿られる。くるぶしに吸い付かれ、踵の裏側を通り、足の甲へと回る。わざと見せびらかすようにして赤い舌を蠢かせるヨハンは、頬を真っ赤に染めて唇を戦慄かせている十代を見て口の片側だけを吊り上げさせた。なんとも意地の悪い笑みだ。わざとやっている。十代は、いやらしい舐め方するな、と叫ぼうとしたが、その前に足の指の付根に舌を差し込まれぐちゅぐちゅと嬲られては咽喉を引きつらせるしかなかった。ヨハンの唾液と、チョコが混ざり、十代の足はどろどろになっていた。茶色の合間から垣間見える肌色。てらてらと濡れて淫靡に光る。ヨハンは1度顔上半身を起こし、瞳を潤ませて泣きそうになっている十代を真正面から見詰め返した。
「わかったかよ」
「なに、す…!」
「おまえ…今自分がどんなにやらしい声出してたか自覚してたか?」
 十代は首を横に振る。それからヨハンをキッと睨みつけた。
「それは、おまえがいやらしい舐め方するから、だろ…!」
「へえ…?じゃあ俺の前に男たちに舐められた時には、なぁんにも反応してなかったんだな?」
「当然だ。おまえみたいに変に下心持って俺に触れてくる奴なんていねえもん」
「嘘吐き」 
「は、……っア!」
 十代にそう吐き捨てたヨハンは、再度上半身を倒すと今度は手つかずのまま放置していた足の指の先を咥内に含んだ。爪と指の肉の間に割り込ませるように舌を押し付け、強く吸い上げる。それだけで十代は上半身を反り返らせながら喘いだ。親指の腹を舌先で撫で、すっぽりと口の中に包み込みくちゅくちゅと音を立てる。チョコと唾液が混ぜ合わさったものが泡立ち、ヨハンの口端から漏れ出る。それをゆっくりと舐め取る仕草は艶めいていて、十代は、ほう、と息を漏らす。無感情のままのうつくしい色をした瞳がぎらついている。氷のように。そうしている間にも他の4本の指も等しく愛撫され、付根を甘く噛まれるのと同時に十代はもうやだと悲鳴を上げてヨハンの頭に縋りついた。ヨハンは大人しく顔を上げると、わかったかよ、もう1度先ほどと同じことを口にした。
「おまえに下心を持ってる人間なんて沢山いるんだぜ?」
「は、ぁ……ハッ、おまえみたいに、か…っ?」
「まあそうだな。俺もおまえ見てるとムラムラするし、こんなふうに意地悪して虐めたくなるしなあ」
「変態…!」
「よく言うぜ。人に足なんか舐めさせてた大変態のくせに。それに、こんな反応されたんじゃ、たとえその気がなかったとしても変な気分になるに決まってんだろ?」
 おまえだってこんななってるし、とくすくす笑いながらヨハンは人差し指で十代の股間をピンと弾いた。明らかに常態とは異なる状態になってしまっているそこを指摘されて十代は唇を噛み締めた。ヨハンから視線を逸らし、小声でぼそぼそと「だって…ほんとに、他の奴らに舐められてた時には全然平気だったのに…」呟いた彼は本気で困惑をしている様子だった。そんな彼を見てヨハンの怒りもすうっと薄らいでいく。まだ完全に彼の所業を許すことは出来ないが、多少なりとも反省はしたようだ。
「これに懲りたら、2度とこんなことするなよ?でないと、また俺がおまえに恥ずかしい思いさせてやるからな?」
「……はあ。わかったよ。だけど……なんで?なんでヨハンがそんなに怒るんだ?別に俺、おまえに迷惑かけてねーし。おまえからはチョコ欲しいとも何とも言われてなかったし」
「いや、迷惑はかかってる。大いに。つーか勘違いしてるだろうから言っておくけど、俺は、おまえが他の野郎たちにチョコをあげたいと思ったことは悪いことだとは思ってないぜ?問題はその方法だってことだよ」
 言いながらヨハンは十代の足を両手で包み込んだ。そうして、そっと自らの前に捧げ持つようにして掲げた足の甲に、恭しくくちづけた。十代がきょとんとして見遣ってくるのにも構わず、足の甲に唇をつけたままでぼそぼそと呟く。
「チョコをやるのはいいよ。だけど、俺以外の奴に触らせんなよ。そんなの、バレンタインにすることじゃねえよ。勿体無さ過ぎる。十代は、チョコなんかより、ずっと高価なんだからな」
「………そんなこと思ってるのはおまえぐらいだよ。変な奴だな」
「いいから。誓えよ…」
「はいはい。…ったく、めんどくさい奴だぜ」
「しかし、それにしても!」
 肩を竦めて返した十代の目の前で、がばりとヨハンが身を起こす。何事かとぱちぱち瞬きをしている鳶色の瞳に向かって、にいっこり微笑みかけてやる。その瞬間、恐らく反射的にだろう逃げ出しかけた身体を肩を押さえつけることでその場にとどめながら。
「俺に舐められた時だけ感じちまうなんて、愛されてんなあ〜俺…」
「は…?なんでそういう話に、」
「だってそういうことだろ?基本的に阿婆擦れな十代がとうとう俺にしか反応しなくなったか…うんうん、いい傾向だぜ」
「ちょっと待てよ。なんでそういうことになってるんだよ。つか阿婆擦れって、」
「とりあえずそのままじゃ辛いだろ?抜いてやるから、そのまま十代を俺にくれよ。ほら、チョコだって余ってるし、な!」
「わっ!」
 ベッドの上に引き摺り倒した十代の上に圧し掛かり、ヨハンは徐に袖捲りをした。十代は今更ながらに自身が置かれている状況の危うさを自覚する。え、なんで袖捲り…?と突っ込む間もなく、ヨハンの左腕はベッドの傍らのバケツの中へと突っ込まれる。ずぶん、と温い音をした。そして右手でインナーをたくし上げられれば、もうこの後に何が起こるかは予想できるというものだ。慌てて止めようとするが、やけに上機嫌なヨハンの笑顔ひとつで十代の抵抗は無いものとなってしまう。そう、薄らいだとはいえ、ヨハンはまだ怒っていないわけではないのだ。
「他の奴らが足一本なら、彼氏の俺は全身もらわなくちゃだしな!」
「おま、別に俺が誰にチョコあげたって関係ないんじゃなかったのかよ!」
「それはそれ、これはこれだ」
「なんだよそれ…意味わかんな、って、ちょ、塗るなっての!」
「舐められるのが好きなら、全身、じっくり舐めてやるから、覚悟しな?」
「こ、んの…ッジャイアンデルセンがっ…!!」
「何とでも言えよ。んじゃ、いただきまーす」
 
 今までバレンタインなどヨハンにとってはどうでもいいものに近かった。が、なるほど、恋人といえる人物が出来るとこういった小さなイベントも大いなる楽しみになるのだということを身を持って実感したのだった。ひとつ学習をしたヨハンはにこにこと笑いながらベッドの上でダウンしている十代の背中にくちづけ、「ホワイトディには期待しててくれよ?」と囁いたのだとか(尤も、十代の返答が色好いものだったのかどうかは、当人たちにしかわからないことであるが)。
 


2009年バレンタイン



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