そうっとティーシャツをたくし上げ、自ら、ゆっくりゆっくり地肌を夜気に晒していく。臍のあたりがきゅっと窄まるような感覚を覚えて、我が肉体の反応のよさに少し気分がよくなった。シーツの白が、夜の闇の中で浮かび上がっている。白と黒、モノクロと言っても差支えが無いような、兎に角事物の輪郭すら覚束ない世界の中、それでも、シーツの上に横たわっている男の真っ黒な瞳がひたりとこちらに向けられている様だけは手に取るようにわかった。わかっていた。彼が自分から視線を外せるはずもない。わかってやっている。両腕を上げてティーシャツを脱ぎ捨てる。日頃は家に閉じこもっているせいで日焼けとは無縁の肌が、男の目にどのように映っているかなど、わかりきっていた。男の欲望を煽る性悪女のような素振りで、するりと顔の両脇に手をつく。見下ろしながら胸板を彼に擦り付けた。女の乳房のような柔らかさはない胸だが、それでもこの薄っぺらい胸板がどれほど相手にとって魅力的か知っている。知っていて、わざとやる。彼の頭の後ろへと指先を滑り込ませ、やんわりと抱き寄せた。顔と顔を近づける。はあ、と熱い吐息を耳元に吹きかけてやると、流石の彼もびくんと肩を揺らした。どうだ。にやにやと質の悪い笑みを浮かべながら、しっとりと濡れた瞳と視線を交えた。途端、物凄い勢いで視界が反転した。身体の重心が、ぶん、と揺さぶられた。振り落とされる、と思うのと同時に力強く腰を支えられた。何事かと思う間もなくくちびるに口付けられた。折角押し倒していたというのに、腹筋だけで身を起こした男の膝の上に何時の間にか乗せさせられてしまっていた。柔らかく甘い感触は瞬時に離れていった。それを口惜しく思う間もなく、腰に添えられた腕が確かな力強さで俺を、彼の膝からおろした。と、パチン、と音がして狭い部屋に白熱灯の目映い光が降り注ぐ。眩しさに一瞬眼を眇めた。「…十代さん」耳元で、呆れたような笑ったような声がする。なんだよ、と答えると彼が密やかに吐息を震わせた。眉間に皺を寄せながら見遣れば、やはり彼は小さく口元に笑みを佩いていた。その瞳には自分の姿が映りこんでいる。慈愛に満ちた眼差しが、すっかり俺を包み込んでしまっているように思えて、高まっていた気分が一気に萎えていった。憤りにも似た感情を覚えて、思い切り口をヘの字に曲げる。
「なんでだよ」
「はい?」
「なんでだって訊いてんの!」
 遊星は曖昧に微笑むと、ベッドから降りて部屋から出て行ってしまった。慌てて俺もその後に続く。夜の暗闇が支配していた空間に、次々と人工的な光が点されていく。迷いのない足取りで台所に向かった遊星は、冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すとキャップを外し、徐にその注ぎ口にくちびるを近づけた。咽喉を鳴らしながら、半分ほど入っていたそれを飲み下していく。俺はわなわなと拳を震わせながらその様を見ていた。畜生。冷え切った水を飲み干した遊星は、ふうと一息を吐いてから、俺を見てふわりと微笑した。余裕ぶりやがって。これでは、あまりに俺が惨め過ぎるではないか。
「そんなに俺とヤりたくないのかよ」
 吐き捨てるように言った俺を見て、不意に遊星は真顔に戻り、小さく頷いた。彼の瞳は何処までも真摯な光を湛えていた。知的で理性的な光だった。
「ええ。今のあなたを抱くつもりはありませんと、何度も言っているはずです」
「なんでだよっ…おまえだって、俺のことが、好きなんだろ…!?」
「だからですよ」
 さあもう寝ましょう十代さん、そう言って肩を抱こうとした腕を振り払う。キッと睨みつけると、なんとも形容し難い表情を返された。なんだよ、そんな表情するくらいならさっさと抱けばいいだろ。俺のプライドはずたずただった。今まで、この身体で誘って応じなかった奴なんていなかったというのに。だというのに、俺を好きだと豪語して憚らないこの男は、それならヤろうぜと言った俺の誘いを今まで断り続けている。ひとつ屋根の下に住んでいて、想いも通っているというのに、どうして。
「俺はあなたの心が欲しいんです。あなたが、本当に、俺に心を預けてくれるまでは、あなたに触りません」
 深みのある藍色に見据えられる。遊星の言っていることの意味はよくわからなかった。何がいけないのだろう、別に、気持ちよければそれでいいじゃないか。好きだの愛してるだのといった上辺ばかりの言葉を盾に肉体関係を持とうとするくらいなら、元よりそんな言葉は必要ないではないか。それに、俺は遊星のことが嫌いではない。ちゃんと、好きだ。だから抱かれたいと思っているというのに、何が不満なのだろう。俺には、遊星が俺とシたくないがための言い訳にしか思えなかった。
「…十代さん。俺だって、あなたに触れたくないわけではないんです」
 黙りこくった俺を見て何を思ったのだろうか、遊星はフッと笑うと不意にその手を伸ばしてきた。手首を掴まれる。不信感を隠しもせず睨み上げた俺の掌を、そのまま、彼の下肢へと導いて、
「ほら…」
「!!」
「あなたの、痴態を見ただけで、こんなに反応してしまっているでしょう…?」
遊星は苦々しげに微笑み、すぐさま俺の腕を解放した。茫然としている俺に背を向けると「処理してきます」とだけ告げてさっさと便所に行ってしまった。残された俺はというと、掌の上を掠めた確かな熱と硬さに、ただただ絶句するしかなかった。なにやら顔が熱い気がする。咄嗟に、視線を、玄関に程近い位置にある便所の扉へと向けた。あの中で遊星は、あの熱を、鎮めているというのだろうか。ひとりで。何を思いながら?
「ず、りぃ…!」
 内心で舌打ちをする。片手で顔を押さえると、やはり、とても熱かった。もう何がなんだかよくわからなかった。何をずるいと思ったのかさえ、俺にはよくわからなかった。



2010.7.7



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