不毛、というのはどういう状態のことをさす言葉なのだろうか。状態だろうか、それとも状況なのだろうか、もしくは結果か?それすらわからない。ただ漠然と、まったくの無意味であること、無意味であったことをさしていると考えている。大まかには間違っていない答えであるはずだ。
 ところで、何かが「無意味」であるということは、少なからず虚しさを覚える状態(あるいは状況、または結果)ではないだろうか。自らの時間を割いて、思考力を割いて行ったことが「無意味」に終わる。出来ることならばそういった事態は回避したい。他人がどう思うかどうかはわからないが、合理的に生きることは賢く生きることなのではないかと思う。ひとつの結果を生み出すにあたって、行動の推測をし、ベネフィットからコストとリスクを差し引いて考えた上で実行に移すことを決断する。出来る限り円滑に、日常から逸脱しない範囲の行動を取り続ける。時には新しいものを取り入れ、生活レベルが向上するように改善し続ける。一種作業的な日常生活に感情が入り込む余地とは何処だろうか、たとえば頭髪用洗剤の香りの選択は自由であるし、購入した豚肉をどのように調理するかは料理人の自由だ。あくまで感情は、多岐にわたる選択肢の中からその場の最適、あるいは唯一を選び出すための最終的な判断道具だ。そうではないだろうか。
 冷静に自問自答を繰り返す自分をもうひとりの自分が嘲笑う。そのような静的な思考など、所詮は机上の空想に過ぎなかったではないか、と。どこまでも化けの皮を被り続けていたのだ。知っている。実は自分が、ひとの言うように冷静な人間ではないことなど、百も承知している。醜い自分の存在を認めたくなかったわけではない。ただ、只管に、表に出さないように努めていただけの話なのだ。
 しかし、どのように冷静に考えてみたところで、内なる自分を抑圧しようとしてみたところで、今更なのだ。もうこの手は止まりそうになかった。

「くっ、はぁ!」
 苦しげに歪む表情を見て安堵にも似た感情を覚える。情けなくぶるぶると震えて、縋りつくようにこちらに伸ばされた腕を見て頬が緩むのを感じる。彼は確かに、苦痛という官能からこちらに手を伸ばし救いを求めているのだが、そのことは重々理解しているのだが、それでも普段とは懸け離れたその惨めな姿を見て胸が空く思いがするということは事実に他ならなかった。別段苦しませたいというわけではない、しかし、こうして苦しむ彼を見るとたまらない気分になる。傍目から見てもわかるほどに震えている指先に触れ、するりと手首を、肘を辿り腕の付け根にまで触れる。ちょうど肩のあたりだ。掌に収まってしまうほどに細いその肩を掴み、思い切り爪を立てる。彼の咽喉がまたびくんと波打った。五指の腹を食い込ませるように、毎日切り揃えている爪が、その皮膚を突き破るように、力を籠める、強く強く。鳶色の瞳が見開かれる。こちらに向けられているその瞳は焦点が合っておらず、それでもこちらを見ており、どうしてこんなことをするんだ、と切に訴えかけてきていた。彼の考えていることなど、手に取るようにわかる。安心させるように微笑みかけ、そっと唇を、痙攣する顎の下へと触れさせ、そのまますうっと細い咽喉の線を辿った。彼の急所。のど笛に、喰らいつく。今度は、彼は叫ぶことさえ出来なかったようだった。
 本能というものを知った。自分がいかに自制心の脆弱な人間であるかを知った。曝け出された白いうなじ、熱に塗れた吐息とそれを吐き出すあかい唇、しとどに濡れた瞳。それだけで駄目だった。大切にしたいと思っていた。お互いに了承しあい、確認しあいながらゆっくりとことを進めていこうと思っていた。すべては生温い幻想でしかなかった。原始より繰り返されてきた、もっとも人が素のままになり、裸になり、すべてを曝け出しあう行為は、いとも容易く隠されていた欲望を引きずり出した。それは愛欲というよりは狂気に近かっただろう。愛する人を傷つけたい、衝動、傷つき涙を流す顔を見て膨れ上がる愛おしさと支配欲。すべてを理解して欲しい。受け入れて欲しい。同時に、すべてを飲み込みたい。彼を喰らい尽くしたい。堰を切ったかのように溢れ出してくるものを止めることが出来なかった。この両手は彼の首を絞め、逃げ出そうとした彼の頬を張り、押さえつけ、今こうして、嗚咽を漏らす彼の上に圧し掛かり思うが侭にしようとしている。
「たのむ、やめ、やめてくれっゆうせ…!」
「…っ舌を、噛まないように、歯を喰いしばっていてください」
「やめっ…っつぐあああぁ!!」
 まったく、非合理的だ。濡れない器に無理矢理に挿入をするなど、不毛、でしかない。だというのに、自分は全力疾走をした後よりも息を切らし、両眼を見開き、無我夢中にことを押し進めている。蛙が潰れたような体勢でそれを受け入れた彼は何度も首を横に振り、必死に目の前のティッシュケースにしがみついていた。きりきりと、肉の壁が異物を拒絶するように収縮する。もっとも敏感な部分を締めつけられて痛みを覚えないはずがない。だというのに、あろうことか、自分は笑っていた。苦痛の共有。今、泣いている彼と、笑っている自分。触れ合う部分から同じものを感じ取っていると思うと、たまらなく胸が躍った。自分がここまで自己中心的な人物であったとは、正直想像していなかった。嬉しくて仕方が無くて、項垂れる彼の背中へと覆い被さり、そっとその襟足のあたりに噛みついた。
 内臓を串刺しにする勢いで抽挿を続けた。ぎちぎちに狭かった穴はなかなかほぐれなかった。濡れないセックスはどうしようもなく痛かった。しかしその痛みこそが、不毛の齎す痛みだと思うと、仕方の無いものなのだなと納得するのと同時に、まったくの不毛ではなくなったように思えてなかなか気分がよくなった。不毛であっても無意味ではない。何故ならこの胸は満たされている。そこで知った。感情というものは、単なる判断の最終的な道具なのではなくて、物事の価値転換をするのにも充分に役立つものなのだと。
 痛みも、愛だろうか。触れ合った証拠ならばそうなのではないだろうか。彼はひどく哀しそうな顔で時折こちらを振り仰いだが、念願のものを手に入れた喜びで感無量になっていた俺はそれに気付くことは出来なかった。



2010.6.29



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