ふと見えた。首の付け根のほど近く、鎖骨と筋肉の間の窪みに赤い筋が走っていた。ちょうど影になる部位であったため目を凝らしでもしない限り見えにくいものではあったが、そうと気づいてしまえばはっきりと傷であると断言してしまえる。そのようなものだった。1度目についてしまったものは気になってしまうのも当然だろう、「十代さん、」煙草を奥歯で噛み潰しながら新聞を読んでいた彼に声をかけると、彼は素早く顔をあげ小首を傾げた。なに?と視線が訴えてきている。首元を指さし、「鎖骨あたりに傷が出来ていますよ」と言うと、驚いたように目を見開き、次いで慌てて指さされた部位へと視線を落とした。口端から煙草がぽとりと落ちる。煙草を噛み潰す代わりに、苦虫を噛み潰したような顔になった。新聞を投げ出し、隠すように傷を掌で隠した彼の挙動の不審さ。そもそも、彼が視線を逸らすときは疾しいことがあったときのみだ。ひとつ溜息を吐くと、彼の肩がびくりと震えた。わざと音を立てて椅子から立ち上がる。彼が泣きそうな眼をして改めてこちらを見遣ってきた。
「ま、待てよ遊星、これは…!」
「これは…何です?」
「ちょ、来るなって、やめ、」
 一歩歩み寄ると一歩後退される。可愛らしい抵抗だ。しかしそのような抵抗は長く続かない、とうとう壁際にまで追い詰められてしまった彼がソファを迂回して逃げ出すより前にその細腕を掴み、元々彼が座っていたソファへと引き摺り戻した。力で言うならひとつ年上のこの人は自分に敵わない。彼は猫のように足を踏ん張らせて抗っていたが、もう片方の腕を腰にまわしぐいと引き寄せたことによって呆気なく体勢を崩してしまう。「わわわっ、!」暴れる身体をソファへと押し倒し下腹部の上へと乗り上げてやる。組み敷いた彼はやはり泣きそうな顔をしてこちらを見上げてきていた。小動物が「おねだり」をしているかのようで、何とも、身体の芯の部分を熱くさせてくれるような視線を送ってくるものだと思う。自然と乾いていく咥内を潤わせるように唾液を呑み込み唇を舌で舐めると、彼の身体が再びびくりとした。
 改めて、彼の首元の傷へと指先を滑らせる。2センチほどの幅がある、切り傷というほど深いものではない、だが自然に出来るようなものでは決してないそれ。まるで爪か何かに引っ掻かれて出来たかのような。それが、彼の白い肌を赤く彩っている。自分ではない何か…だれか、が…によってつけられた傷。
「違うんだよ、今回は別に俺から誘ったわけじゃなくて、友達と酒を飲んでたらいつのまにか傍に知らない女の人がいていつのまにかベッドルームに連れ込まれててそれで意識が朦朧としているうちに服を剥かれて勝手にいろいろ弄られて流石に酒がまわってる状態だったから何が何だかわからないうちにこう、ッいぃっ!」
 そっと唇をそこに寄せ、上の前歯を、思い切り、突き立てた。ごり、と口の中で鎖骨が動くが構わない。傷口を開くように、ぎりぎりと前歯を擦りつけた。彼の手が止めさせようとして髪の毛を掴んで引っ張ってきたので、序でに下の歯を鎖骨の下側へと宛がい力を籠めてやった。途端、抵抗がぴたりとやむ。彼の口から漏れる苦痛の声がますます色めき立ってくる。いたっいてぇよ遊星やめっあっ、とうわ言のように呟いていたはずが次第に、あっ…うぁ、や、いた、アアッ、だめだ、って、ぇ…っ、と恍惚を含んだ喘ぎのようになってくる。実際喘いでいるのだろう、何故なら彼は痛くされるのが好きなのだ。そしてそのような、苦痛の滲んだ気持ちよさそうな声を聞いていると、こちらも段々と自制が利かなくなってくる。
 完全に火が付いてしまう前に顔を離し、くっきりと歯形が残ってしまったそこをひと舐めすると、「あっ、ゆうせ…」すっかり蕩けてしまった彼の声が頭上から降ってきた。
「何ですか十代さん」
「おまえ、ひっでぇよ…!…痛いし」
「痛いの、お好きでしょう?」
 くしゃりと顔を歪めた彼はもごもごと何事かを呟いている。「聞こえません」と冷たく突き放すと、彼は悔しそうに鼻頭に皺を寄せ、耳まで真っ赤にしながら言った。
「おまえにされるんじゃなきゃ、痛いのなんて御免だっつったんだよ!」
「そうですか」
「そうですか、っておまえなぁ…」
「それで?」
 頬に掌を滑らせる。耳の後ろ側を人差し指で軽く叩くと、彼は一度唇を噛みしめ、きつくこちらを睨みつけてきた。しかし不意に口端を釣り上げると、両腕をこちらの首に回してきた。引き寄せられるがままに顔を近づけると、唇の端にちゅ、と口づけられる。これでも年上ととしてのプライドをいつまでも捨てきれないでいる彼からの、精一杯の「おねだり」に相違ない。応じるように彼の腰に腕をまわした。
「次に、俺以外の人にあなたの肌に傷を残させたら、許さない」
「そりゃー怖い怖い。いいからさ、続きしよーぜ?」
 くすくすと微笑みながら「意外と遊星は独占欲が強いんだよなあ〜」などと呑気に言う年上の恋人を黙らせるべく、その口を本気のキスで塞いだ。



2010.5.24




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