ふと見えた。首の付け根のほど近く、鎖骨と筋肉の間の窪みに赤い筋が走っていた。ちょうど影になる部位であったため目を凝らしでもしない限り見えにくいものではあったが、そうと気づいてしまえばはっきりと傷であると断言してしまえる。そのようなものだった。何の処置もされないまま放置されていたようだったので、何の他意もなく「なあ」と話しかけた。「そこ、傷が出来てるぞ」指差しそう言うと、新聞に目を落としていた十代は顔を上げ、こちらと視線を合わせてからニヤリとした。うわっ嫌な予感、言うんじゃなかった。そう思ってみたところでもう遅い。
「なぁんだよヨハン、気になるのか?」
 こ・い・つ。と言いながら尖った指先で傷を軽く叩く。あ、爪が伸びてやがる後で切らせないと。と冷静に考えようとしてみても、挑発するように…いや、実際に挑発しているのだろう…こてんと首を倒して細い喉元をさらけ出した十代は男だてらに奇妙な色気を纏っており、視線を合わせてにんまりするだけで相手の動きを忽ち止めてしまう妖気のようなものを放っているのだ、これに絡めとられた者はそう簡単に平静に戻ることは出来ない。やっぱりなんでもない、と言いかけてやめた。溜息をひとつ吐く。前髪をぐしゃぐしゃと掻きまくりながら、「ああ」憮然として答える。十代は至極嬉しそうにけたけたと笑った。
「爪立てられちまってさあー。なあ?」
 誰に、などと訊いてはやらない。訊かずとも十代は自ら、何か重たげなものを下から抱えあげるような素振りを見せ徐に腰を前後に動かすことで比喩的に状況を演出して見せる。思い出したのか、舌なめずりをしながら、あぁ…と吐息を漏らす様は、何とも言えず、エロティックだった。この、決して男らしい男とは言い得ぬ遊城十代という人物が時折浮かべる肉食獣の雄のような表情を見て、女性たちはころりとこの男の手に落ちてしまうのだろうなあと思う。普段浮かべる笑みは無邪気と言っても過言ではないほど可愛らしいものだというのに。そのギャップ?…否、違う。ギャップなどではない。それは演出だ。この「無邪気な男の子のような笑み」の仮面を被った男にみんな騙されてしまっているのだ。なんという詐欺。最低な詐欺師。けれど、その裏表差がまた女性には受けてしまうのだから、女というのは不思議なものだ。
 しかし女性のことを不思議がるのなら、自分自身のことも確実に不思議がらなければならなくなるのだろう。不思議というか、いっそ不気味だ。自分キモい。そう思えど、どうしてもこの男のことを嫌いになれないのだから、相当な酔狂でもあるのだろう(同級生の少女には「あなたたちの関係性は本当にわからないわ」と一刀両断されたこともある)。
 それにしても。
「結構くっきり痕残っちまったなぁー?流石に見せびらかして歩くのもあれだし、いっそ、見せつけるかのように、絆創膏でも貼るかぁ?」
 くすくす笑いながらそのようなことを言っている十代の視線は、ひたりとこちらに向けられたきり動かない。誘っている。この誘いに乗ってしまえば相手の思うがままだということを理解している。この男を調子づかせないためにも、ここはつんとすました顔を見せて取り合わないようにするのが一番である。わかっているのだ。それはもう、嫌というほどわかっている。しかし、理解するのと、実際に決断するのとは、また別のことなのであって。
「なあー?」
 不意に、頬に冷たい感触が触れた。そろりと頬骨のあたりをなぞったそれが耳元にまで延ばされ、そっぽを向けていた顔の向きをやんわりと変えさせられる。ゆっくりと首を90度ほど回転させた先には、極めて間近に、しっとりと濡れた鳶色の輝きがあった。爛々と光るそれが何を求めているかなど、言われるまでもない。片手を首に回され、もう片方の指先で唇をなぞられる。そして、とんとん、と、改めて傷口に触れる。唇と、傷を交互する指。熱視線に相違ないそれ。
「ああもうっ!」
 頬をすり寄せてきた相手に耐えかねて、とうとう、理性は敗北へと追いやられてしまった。細い手首を掴み動きを止めさせると、迷わず傷口へと唇を寄せた。2センチほどの幅があるその傷を、上から吸い上げる。ちゅ、と音が鳴り、傷のくすんだ紅は鮮やかな赤で塗り潰されていった。きつく吸う度掻き抱いた身体がびくんびくんと震える。よくもまあこんなにも敏感であるくせに女など抱けるものだと以前尋ねたことがあったっけか。その時は、確か、女を抱くのと男に抱かれるのとでは都合が違うと、そう言って、
「最初からそうすればいいんだよ。ヨハンが俺に逆らえるはずなんてないんだか…ンッ」
「ちょっと黙っとけ。抱いてやるから」
嬉しそうに微笑んで目尻のあたりを蕩けさせていたのだったか。今眼前で頬を紅潮させ与えられる刺激に息も絶え絶えになっている恋人を見ながら、なんとなくそのようなことを思い出していた。



2010.5.20


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