どしゃ、と音を立てて地面に崩れ落ちた。全身を駆け巡るすさまじい痛みに呻き声を漏らしながら、マットの上に膝をつく。左のこめかみあたりがずきんずきんと意識を吹き飛ばしそうな勢いで激しく脈打っている。痛みのあまり眼をあけることさえままならない。八角檻の周囲に設えられた特別製のライトたちが、白いマットを更に白く白く染め上げる強烈な光を降り注がせている。檻の外で上がり続けている歓声たちは、いつの間にか莫大な音量のひとつの轟音となって檻へと流れ込む。立て!立て!いいぞ!やれ!犯せ!犯せ!犯せ!犯せ!犯せ!!下卑た野次が飛ぶ。赤い手袋が嵌められた両拳をマットにつく。青あざが目立つ腕は震えており、まともに体重をかければすぐにくず折れてしまいそうになる。ぜえはあと息を切らし、襲い来る痛みに抗うように首を振り、顔をあげた。真夜中の太陽の如きスポットライトの光が眼球を焼く。だが、図上遥か彼方にあるそれと自分の間には落ちる影がひとつだけあった。狂気の具現のように聳え立つ八角檻の中で、ショーとしての格闘を強いられる男たちの非現実的な現実の中の、更なるリアル。剥き出しになった上半身の上を滑り落ちる汗がそうさせるのか、まるで肉体から湯気が立っているかのように、ごわごわと身体の輪郭を膨張させている。両腕は、過剰すぎるほどの装飾が施された豪奢なズボンのポケットの中に仕舞いこまれている。肩の位置を落とした自然体で、地に伏した相手を見下ろす瞳は楽しげだった。ぎらぎらと、狂気を孕んで輝いている。普段は理性に抑制されている本能のすべてが曝け出されている。獰猛な肉食獣のそれと相違ない瞳で、獲物を見下ろしている。その男の背後には闇が広がっている。闇の中から怒号のような歓声が続く。犯せ!犯せ!犯せ!立て!犯せ!やれ!犯せ!犯せ!!何もかもが狂っている。男が口端を凶悪な形に釣り上げさせる。瞬間、瞬きをする時間にも満たないほんの一瞬で振り上げられた男の足が、ギロチンのように、こちらの意識を切り落とさんとして振り落とされた。ごう、と空気を切る音。視覚だけでは追いつかない、咄嗟に無理矢理身体を動かして僅かに体勢をずらすが、鉛玉のような男の踵が思いきり左肩を砕いた。わっと歓声が上がる。ずべしゃ、と左腕から地面に完全に倒れ伏したところに追撃が加わる。下から腹部を蹴り上げられ、面白いほど容易く吹き飛ばされた。がしゃん!とものすごい音をたてて八角檻の一面に叩きつけられる。すかさず、檻のすぐ外で野次を飛ばしていた男たちの手が伸ばされる。脱力してマットにへたり込んだ身体にべたべたと触られ、耳元で立て!と叫ばれた。立てるものならとっくに立ってる、と胸中で毒づいていると、誰か一人がまた耳元で大声で怒鳴った。十代!十代!!名を呼ばれる。あまりに乱暴な声援はだがすぐさま周囲を巻き込んで膨らんでいく。十代!十代!十代!十代!十代!!がしゃがしゃと檻が鳴らされる。そんなに白熱すんなよ、と諦めたように思いながら――十代は顔を上げる。十代!十代!十代!十代!十代!!狂った歓声は止まらない。ぴくりとも動けない十代のすぐ傍らにまで歩み寄ってきていた男は、驚いたように周囲を見渡してから一度大袈裟に肩を竦めて見せた。そして、試合が始まってから一度もポケットから出していなかった、青い手袋が嵌められた右手を出すと、十代の首をがしっと鷲掴んだ。まるで鷹か何かの鳥獣の爪のように大きい掌が、いとも容易く十代の首を包み込んでしまった。引き摺り上げられる。檻の外から追い縋ってきていた観客たちに吠えてから、男は、十代の鼻先に己の鼻先を寄せ、凶悪な笑みを浮かべてみせた。尖った犬歯を剥き出しにして、一喝する。
「今日も俺の勝ちだ!餌は餌らしく、惨たらしい末路を迎えなァ!!」
 勝者の咆哮に呼応したかのように、場は一瞬にして沸き立った。ヨハン!ヨハン!!ひとりが声を張り上げると、すぐさま歓声は場全体に伝播していく。ヨハン!ヨハン!ヨハン!ヨハン!!十代は力なく項垂れ、敗者としての無様な姿を晒した。悔しげに顔を歪め男を見遣れば、男は優越感に満ち溢れた表情をして十代を突き放した。だが、顔を離す瞬間にウィンクをすることだけは忘れなかったようだ。ヨハン!ヨハン!ヨハン!ヨハン!!檻の扉が開放される。勝者である男は威風堂々とした姿で檻を出るが、敗者である十代にそれは許されない。檻の外からすぐさま黒服の男たちが十代に近づき、両腕を取り立ち上がらせた。そして、檻の外で息巻いて成り行きを見守っていた観客たちの中に餌を撒くような仕草で十代を放り投げる。と同時に身体の上に覆い被さってきた観客たちに揉みくちゃにされる。学ランを剥ぎ取られ全裸に剥かれ四つん這いにさせられた。獣のような体勢で、尻の穴に名前も知らない男の昂りを押しあてられながら、十代は密やかに溜息を漏らした。
(あーー…腹減ったなーー)
 どちらにしても、当分は解放されそうにない。乱暴な男の抽挿に為されるがままに喘ぎつつ、今頃控え室に戻り牛丼を美味そうにかっ喰らっているであろう親友の姿を夢想してくうと腹を鳴らした。



 ◇ ◆ ◇



 何が理由でこのまっとうでない世界に足を踏み入れたのかなど、とうの昔に忘れてしまった。ただ、ある日そういった催し物があるということを人伝に聞き、意外と近場であるということに興味を覚えて覗きに行ってみて、そのあまりに非日常な光景に魅せられてしまったのかも知れなかった。人と戦いたい願望など無いと思っていた。正確には、自覚したことなど無かった。勝ったとしても特別何か褒賞が与えられるわけでもないが、負ければ男どもに掘られまくらなければならないというハイリスクローリターンの状況に、何故自ら飛び込んでいこうと考えてしまったのか。
 幾ら考えてみても理由など見つからなかったので、何時からか考えること自体を止めてしまった。

「ちぃーっす」
 ところどころ鍍金が禿げかけた鉛の扉は、だが見た目に反してそう重たくない。ごろごろと音をたてて引き戸を開けて室内を見渡していると、既に来ていた他のメンバーたちが気づいてちらりほらりと挨拶を返してくれた。元々は従業員の休憩室として使われていたこの一室の中央にはどでかい机がそのまま残されている。部屋の隅でその机に上半身を預けて無防備に眠っている親友の姿を見つけて、十代はほくそ笑んだ。入口から室内を横断し、そろりそろりと背後に歩み寄る。十代が何をする気なのか察したのか、他のメンバーたちはにやにやしながらふたりの動向を見守っている。忍び寄る悪意にも気付かずに、親友はすーすーと寝息を立てて気持ち良さそうに眠っている。ひとつ舌なめずりをしてから、昨日の恨みを晴らすかのように、十代は思い切り右肘を振りかぶり、
「おーーーはようございまーーす!!」
爽やかな挨拶とは裏腹に全身の体重をこめて肩甲骨の間に鋭角となった肘を沈み込ませた。ごっ!と物凄い打撃音が鳴るのと同時に机に思い切り額を強打したらしい親友…ヨハンが、次いで弾かれたように上半身を起こす。バッ、バッ、と周囲を見渡して、背後で満面の笑みを浮かべていた十代と視線が合うと思いきり苦虫を噛み潰したかのような表情になった。そのままずるずると再び机に懐く。口端から「おま……いってええぇ………」呻き声を漏らしながらもまだ眠そうにしているヨハンの首に背後からしがみつき、十代は晴れ晴れとした気分で「目ぇ覚めたか?」と囁いてやった。肩をぶるぶると震わせ十代から離れていこうとするヨハンの上半身の下からは、何やら教科書らしきものが垣間見えた。よく見てみると、他にもノートやシャープペンシルなどといったものが机の上に転がされている。背中に圧し掛かりながら「勉強してたのか?」と言うと、ヨハンはぽそぽそとした声で「明日、小テスト…」と答えた。それから十代を肘で撥ね退けて身体を起こすと、「何しやがるんだこの野郎」不機嫌さを隠そうともせずに睨みつけてきた。今度は大人しく離れてやりながら、十代はヨハンの隣の席にどっかりと腰掛けた。
「昨日の仕返し」
「あ?それって試合でのことだろ?試合で返せよなー」
「ちっげーよ。俺の分まで牛丼喰っただろうが」
「あー…」
 今にもやり返さんといったぎらついた眼で十代を睨み据えてきていたヨハンが、掌を返したかのように態度を改めた。視線を泳がせながら「あ、あれはだな…その、十代が帰ってくるのが遅かったから、腹減ってたし、並盛じゃ満足出来なくってだな…」情けない言い訳を連ねるヨハンに溜息を吐きながら「俺も腹減ってたんだけど」と言うと、ぐっと押し黙った。食べざかりの自分たちにとって食料は肉体的苦痛とは比較にならないほど大きいものであったりする。それを奪ってしまった罪は重い、ということをヨハンも自覚していたのだろう。苦笑して後頭部を掻きながら「悪かったって思ってるよ。だから、ほら」徐に机の下からビニル袋を取り出した。目を丸くしている十代に袋の中から取り出した四角いパックを渡し、残っていたもう片方は机の上に置いた。パックの温度は多少温くなってしまっているが、食欲をそそる匂いはぴったりと閉じられた蓋の隙間から既に香ってきている。最後にビニル袋から割り箸を二膳取り出す。笑顔でそれを受け取り早速食べようとしたが、ヨハンがじいとこちらを見つめてきているのに気づきにやりと口端を持ち上げた。
「まあ、許して進ぜようかねヨハン君」
「それはそれはありがたき幸せ。十代君が心の広い方でよかったですよ」
 俺だったら3倍にして返してもらってるところだからなー、と言いながら割り箸を割るヨハンに倣って十代も割り箸を割った。だがふと気になって顔をあげる。
「なあこの後浣腸するよな?今喰ったら出ていかないかな?」
「炭水化物と肉類の混合物が消化されて胃から腸に落ちるまでには8時間近くかかるし、その後の小腸でも同じくらい時間がかかるらしいからな。大丈夫だろ」
「さっすが留学生君は頭いいぜ〜」
「それほどでも、まああるけどー」
 もそもそと牛丼を胃の中に流し込んでいる間にも、続々と他のメンバーたちが集まってくる。10代後半から30代前半まで、幅広い年代の幅広い職についている人々が非日常を求めてこの部屋に集まってくる。今日も今日とてきっちりとした灰色のスーツを身に纏った最年少ファイターのエドが少しだけ羨ましそうな目をしながら嫌味を吐いていったり、こちらもスーツ姿だが裏の世界といってもマフィア系にでも所属していそうなアモンが「美味しそうですね」と不気味ににやにやしていたり、いたってフリーダムな様子だ。地層の調査現場から直行してきたというジムが顔面泥だらけのままで顔を出した時には笑ってしまったが、本人はまったく気にする様子なく豪快に手拭いで顔を拭くと十代の隣に腰掛けた。
「聞いた話では、tonightのfirst roundは俺と十代みたいだよ」
「えっまじで?!ジムとかぁ〜なんか久しぶりだな」
「そうだな。Sorry十代、君に3連敗させるのは忍びないんだがね」
「何言ってるんだよ。ジムこそ、しっかり尻の穴にオイル塗っておけよな?」
「なあ俺は〜?」
「ヨハンは確か、ヘルカイザー亮とだったはずだが」
「げっ!?ヘルカイザーかぁ…」
「嫌なのか?ヨハン」
「嫌ってわけじゃなくてさ…あの人痛めつけても痛めつけても気持ち良さそうな顔するからなんかあんまりテンション上がらないんだよなあー…」
「Oh…それはそれは」
「さすがどエス代表は違うぜ…」
 肩を竦めた十代とジムの前でヨハンは不服そうに「やっぱり抵抗された方がテンションあがるよなあー」などと呟いている。と、その時部屋の扉が開き、支配人である吹雪が大股で入ってきた。恐らく先ほどまでどこかしらかでドラマの撮影でもしていたのだろう、普段と少し異なる髪型の彼は室内をぐるりと見渡すと上機嫌そうににこりと微笑んだ。
「みんな揃ってるねー?じゃあ何時もの通り、浣腸するから全裸になるんだよ!」
「っていうかいつも思うんだけどさ、わざわざ全裸になる必要ないんじゃねえの?」
 ふと疑問に思い手をあげてそう問いかけると、吹雪はやはり笑顔のまま「何を言ってるんだ十代君!」と声を荒げ激しい身振り手振りとともにこう言った。
「屈強なファイターたちがこの時ばかりは全裸になって惜しげもなくお尻の穴を曝け出して為すがままになるところを見るのが、いいんじゃないか!ギャップもえ、ってやつだよ!」
 力説する吹雪をちらと横目で見てからヨハンが「どエス代表ってあの人のことだろ」と溜息交じりに呟いた。



2009.5.28(前半)
2009.6.4(後半)
基本的に一纏めにしてしまう人間ですみません…
某小説に感銘を受けてのことでした


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -