「血が、血が足りない…」
 そう言いながらテーブルの上に突っ伏した俺を見ても十代は新聞を捲る手を止めようとはしなかった。それどころか反応すら返そうとしない。ムッとしてもう1度同じことを呟いてみたのだが、「ふーん」などと明らかに無関心な応答しか得られなかった。がっくりと項垂れた俺の腹がぐきゅるるると鳴った。紙が擦れ合う音が連続する。時計の長針が何度回ったかわからない頃になって漸く顔を上げた十代は、面倒くさそうな眼を俺に向けて「で?」と言った。空腹感から半ば放心状態になっていた俺はがばっと上半身を起こすと、「血!血!血が足りないんだって!」と先ほどと同じことを彼に訴えた。フローリングに座り込んでいる俺と違い、豪奢な一人用ソファに腰掛け細い足を組み上げ偉そうにふんぞり返っていた十代が、ハンッと鼻を鳴らしこちらを見下ろしてくる。
「それが人に物を頼む態度か?」
「お願いしますってば!血を、血を吸わせてください…!」
 きゅくうううとまた腹が鳴った。我ながら、なんとも力の抜ける音だと思う。顔の前で手を合わせ「お願い」をした俺を冷たく見下ろしたまま十代は呆れたように首を振った。
 そしてこう言った。
「お願いしますご主人様、この憐れな下等生物に血をお恵みください、…だろ?」
 相変わらず俺の「ご主人様」はドがつくほどにサディストだ。

 というより、俺と十代は普通に親友だった。少し前までは。気の置けない仲同士としてお互いを認め合っていた。それが、ちょっとしたドジから俺が死に掛けてしまったせいで、こんな変な事態になってしまったのだ。今の俺は、人間ではない。所謂半分吸血鬼、といったような中途半端な存在になってしまった。人間でも吸血鬼でもない半端者。とはいえ外見的には人間と変わりないし、吸血鬼の特別な能力を引き継いでいるというわけでもないので日光に浴びても平気だしにんにくがたっぷり入ったラーメンは大好物だしおまけに言うならホラー映画は大の苦手だ。ただ唯一、ラーメンを食べて美味いと感じた時の満足感とは別に、きちんとした食事による満足感を得なければいけなくなってしまったという点だけが、今までと異なっている。吸血鬼の食事といったら、人間の血液を吸うことに決まっている。実のところ俺は、これは単なる迷信か何かで、吸血鬼も血以外にもちゃんとしたものを食べてんだろーとか思っていたんだけど、そういうことは無いらしい(「吸血」鬼が血を吸わなくてどうする、と最初十代に呆れられたものだ)。というわけで俺も、定期的に人間の血を吸わなくてはならない身体になってしまったというわけだ。もっとも、ちゃんとした吸血鬼ではないから、2週間に1度とかで構わないのだが。
 そしてこの場合の吸血行為の対象は、俺を半人半吸血鬼という存在にすることで命を救ってくれた純血の吸血鬼・ユベルとの契約者にあたる、十代になる。いや別に十代の血でなければいけないというわけではないのだが、他の人間の血もといきちんと吸血鬼と契約を交わしていない人間との血では渇きがあまり満たされないのだという。2週間に1度でいい吸血行為を3日に1度しなければなくなるのだと。そんな頻繁に人の血なんて吸いたくないし、第一に、理解をしている人間から血を分け与えてもらうのとまったく無知な人間から血を奪うのとでは全然意味合いが異なってくる。俺の心と身体…の半分は人間なのだから、同じ人間を襲うなんて真似はしたくない。となればやはり、十代から血を分けてもらうより他無くなる。十代自身も、己のパートナーに俺の命を救わせた以上そのことは承知していた。
 だが。俺の立場は、彼のパートナーであるユベルの、下僕、ということになっている。つまりユベルは俺の主人。更に言うならその番のような立場である十代も、俺の主人ということになってしまうのだ。昨日まで親友として接していた人間を突然主人として敬わなくてはならなくなる。まさかそのようなことになるとは思ってもいなかったのだが、今までどおりでいいぜと言ってくれるものだと思っていた十代が面白がってしまい、時折こうして俺を娯楽半分に屈服させようとしてくる。元よりそういう気のある親友であったので想像出来ないことではなかったのだが、流石にちょっと虚しい。しかし抗うことが出来ない俺は、ぐすぐすと鼻を啜りながら「ご主人様」の爪先にくちづけを落とし、「お願いしますご主人様ぁ、この憐れな、ううっ…下等生物に、血をお恵みくださいいいぃ〜〜!!」と懇願せざるを得ないのだ。十代は弾かれたように腹を抱えて大笑いし、俺の額を踵で蹴り飛ばした。愛が痛い。

「十代、僕にも血を頂戴」
 床に転がって悶絶している俺の頭上をふわりと何かが過ぎっていった。慌てて身体を起こせば、俺のもうひとりの「ご主人様」であるユベルが、十代の腕の中に飛び込んでいったところだった。ユベルは正真正銘の吸血鬼であるため外見も少々人間離れしている。といっても、見た目だけでは吸血鬼というよりも悪魔にしか見えないだろうが。ユベルは十代の膝の上に横向きに腰を下ろすと首に両腕を回して「ねえ、いいだろう?」と言った。十代は一度肩を竦めてから、いつも身に纏っているインナーの中央の切れ込みに指を差し込んで、ぐいっと咽喉を曝け出させた。陽の光にあたらない、真っ白い咽喉。どくどくといろいろな血管が脈打っているに違いないであろうそこ。反射的に上半身を乗り出してそこを凝視してしまう。出来ることなら俺も、あそこから甘くて濃厚な血をいただきたいものだ。しかしそれは許されない。俺の視線に気づいたらしいユベルがキッと睨みつけ様に、「なに?君にこの位置は与えられないよ。いやらしい眼で僕の十代を見ないでよね」と吐き捨てるように言って人差し指を突きつけてきた。十代が笑いながらユベルの人差し指に左手の人差し指を絡ませる。そして指の先端にユベルの爪を重ね合わせ、そっとそこを貫いた。ぶわあと、濃厚な血の芳香が溢れ出す。
「ほれ」
 穴の開いた十代の人差し指が俺に向かって差し出される。俺は躊躇いもせずに、その手を恭しく取り傷口に口を近づけた。与え方はまるで犬や猫に餌をやるようであっても、この血には代えられない。咥内に広がっていくなんとも言えない甘美な味に恍惚とした気分になる。まるで媚薬のようだ、と思う。もっともっとと強請るようにそこを吸い続けていると、「アッ!」不意に十代の悲鳴が上がった。
「あぁ…あ、はあぁ、ゆべる…んんん、あっ、ああぁー…」
 上目遣いで見上げてみれば、十代の咽喉にユベルが犬歯をつきたてたところだった。ユベルは眼を伏せて、まるで愛しい人に愛撫を加えてでもいるかのような様子で十代の血を啜っている。ユベルの唇が蠢く度に十代の反り返った咽喉が、顎先がびくんびくんと震えた。十代の吐息が漏れる。なんとも艶めいた、妖しい吐息だ。今まで俺は十代のことを同性の親友としてしか見たことが無かったが、ユベルに血を吸われている十代の危うげな様子を見ていると身体の芯が熱くなっていくのを感じた。まさか男相手に欲情しているとは思いたくないのだが、ムスコの方はしっかりと反応を示しているあたり現金なものだと思う。内心で微妙な葛藤を続ける俺にはお構いなく、十代は官能的な喘ぎ声を垂れ流し続けている。天を仰いでいるせいで普段は横髪のせいで見ることが出来ない耳がちらりと垣間見えているのが、またなんともエロチシズムを漂わせていた。
「っ…ふう、…まったく、相変わらず十代は感じやすいんだから」
 漸くユベルが十代の咽喉から口を離した。と同時に、俺の手の中から十代の指先を奪い取って「もう充分だろうおまえには。吸いすぎだよ」と、先ほどまでごくごくとその甘露を飲み下していたとは思えないような台詞を吐き捨てる。十代は仰け反らせていた首を元に戻し、ゆっくりと細く息を吐きながらぐったりとソファに凭れかかった。両目の焦点は定まっておらず、頬は紅潮している。口端から唾液を垂れ流す様は、やはり淫靡といっても過言ではなかった。反射的に前屈みになった俺を見てユベルが不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。十代の膝の上に乗ったまま、彼の頬を両手で包み込んだ。
「君が女みたいにあんあん言うから、下僕が大変なことになったじゃないか」
「ふあ…よはん…?」
 とろんとした眼でこちらに視線を向けられる。咄嗟に愛想笑いを返したが、その流し目を受けて俺のムスコは更なる成長を果たしてしまった。これは、まずい。変に絡まれる前に2人の前から退散してしまった方が、恐らく、身のためだ。そう思い立ちあがった俺の服の袖を引っ張ったのは他ならぬ十代自身だった。大量に血を吸われて貧血状態に陥っているであろう十代は、それでも俺の様子がおかしいことには気づいたのか、片手で頭を抑えながらにやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。ヤバい。俺が口を開くよりも先に、「もしかして、勃ったのか?」一言で俺の状態を言い当ててくる。この鋭さ。否定しようにも真実であるため出来ず口篭もる俺を見てくつくつと笑った十代は、そのまま袖を引っ張り、拒めない俺を己の傍らへと引き寄せた。
 そして、こう言う。
「それならちょうどいいや。おまえので、ご主人様を満足させてみろよ。なあ、ヨハン?」
「ほんっと君って、マゾヒストだよね」
 呆れたような様子のユベルが視線で「早くしな」と命じてくるが、まったく俺には何がなんだかわかっていない。ただひとつだけ悟ったことがある。いつもユベルの吸血行為が2人きりの時に行われていたその理由ってやつだ。
 まさか、まさか十代にそういう趣味があったとは思いもしなかった。
 後にそう零した俺に十代はけろっとして「俺は気持ちよけりゃどっちだっていいんだよ」と返してきた。それはそれで問題だと思うのだが、どうなのだろう(十代が刹那主義者の快楽主義者だってことは、そりゃあ、知っていたけども!)。兎にも角にも、こうして俺はこの「ご主人様」に飼われている限りこういった特殊なことに巻き込まれざるをえないのであった。ちなみに今回は、ユベルに見られながらやった。十代には大笑いされながら、脱童貞おめでとう!と叫ばれた。男の、しかも親友相手に脱童貞しなければならなかったことにもだけれど、初めての行為が癖になってしまいそうなほど気持ちよかったことに、密やかに大ダメージを受けた。なんか人生ってあんまりだ。



2009.12.20


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