かつて、とある魔術師がかけた魔法があった。それは、愛する人と2度と離れ離れにならずにすむように、と永遠の輪廻を願って優しく施された愛の魔法であった。果たして、魔法は魔術師と彼が愛する人を包み込み、2人の絆を永遠のものへと変化させた。
 また、魔術師は同時にもうひとつの魔法をかけていた。それは、愛する人が永遠の時の中で自分以外の者に目移りをすることがないように、と、ちょっとした悪戯心のようなものを滲ませて施した魔法であった。果たして、魔法は魔術師と彼の愛する人の身体に染み渡り、2人の眼がお互いの魂の色のみを映し出すようにと変化させた。
 魔法は未だ解けないまま、魔法を使えなくなった魔術師と、彼が変わることなく愛し続ける愛しい人を繋ぎ止め続けている。



「チェック」
 十代は仰向けで地面に転がった男の肩を踏みつけながら、右手に持った拳銃を男の額に押し付けた。鉛が仕込まれたブーツの靴底でぐりぐりと肩を抉ると男は苦悶の表情を浮かべたが、相対する十代の表情は微塵も変化しない。左手に持った煙草を口元に近づけ、祈るようにすうと息を吸う。先端の火が茫々と輝く。男は、十代が恍惚とした表情で煙草に口付ける様を見てギリッと奥歯を噛み締めたが、十代の細い指先に操られていたそれが不意に己の首筋に押し当てられた瞬間には我を忘れたように絶叫していた。先程バイクによって轢かれた際に念入りに磨り潰された両足をじたばたさせるが、既に足としての機能を失っているそれを幾ら動かしてみたところで、抵抗になどならなかった。十代は、己の下で何をすることも出来ない男の様子を見て、初めて表情を動かした。くつくつと喉奥で笑い、楽しげに口端を歪める。しかしその瞳にはつめたく蒼い焔が宿っている。底が見えないほど深い憎悪と、狂った悦楽で冴え渡る双眸は背筋が凍りつくほどうつくしかった。男は息も絶え絶えになりながら、うっそりと瞳を細める。
「そんなに、僕を殺せることが、嬉しいのかい、十代…?」
 再度煙草に口をつけた十代は、プハァ、と灰色の空気を口から漏らしながら空を見上げた。雑居ビルと廃ビルの隙間、随分と昔に放置されてしまったらしい一軒家の壁を行き止まりとした袋小路から見上げる空は細長い長方形に切り取られている。その色は、薄暗くどんよりとした灰色。否、空だけではなかった。暗鬱とした雰囲気を纏っているビル群も、そこの裏口から出た先の表通りに出ていた屋台に並んでいた新鮮そうな野菜たちも、信号も、ネオンの光、時計の針、何もかもが色褪せたような灰色をしていた。気が狂ってしまいそうな灰色のみの世界で、十代は生き続けてきた。生まれてきた時からそうだった。身体自体に異常があるわけではない。異常がみつかるとしたら、精神にだろう。両親は、自分たちの息子が色覚異常を抱えていることに取り乱し涙していたが、当の十代はまるで最初からすべてを理解していたかのように、落ち着き払って事実を受け入れていた。内心で、激しい憎悪の焔を燃やしながら。
 たったひとつだけ色を認識出来るものがある。十代は視線を己の右腕に落とす。手首の内側、静脈が集まる部分にそれはある。蒼く輝き続ける小さな石。生まれた時から十代の身体に埋め込まれていた石。
 それは、十代に掛けられた呪いの存在を示す石。
 今は、この石が直接身体に埋め込まれているということを隠すためにブレスレットをつけている。しかし光は、どのような物質で遮ったとしても灰色の霧を払い当然のように唯一の輝きを放ち続けている。まるで、十代の世界にはこの石しか存在していないのだと、言わんばかりに。そして最近思い出したことがある。最近、もとい、この男と今生の中で回り逢ってから、思い出したのだ。十代の眼は、青い石の色のみを認識しているわけではない。彼を呪った男と関連したものだけを、見分けているのだ。その証拠に、今十代の目の前で倒れ伏しこれから冥土に向かうであろう男がどのような色を纏っているのかを、はっきりと、認識することが出来ている。忌々しいことだ。翠がかったサファイアの髪、妖しい満月のような橙色の瞳、滑らかな肌色、厭らしく笑みを模る赤い唇。灰色の中で鮮明に浮かび上がる男の姿。それがこの男がかつてかけた呪い、「お互い以外を認識出来なくなるようになる魔法」とやらだ。
 しかし、灰色の呪いは今日ここで、一先ず解ける。解放の喜びに十代は全身を震わせた。だが、心が躍る想いである十代に釘を刺すように、男は「でもね、」と言った。
「十代は僕からは、逃げられないよ。すぐに生まれ変わって、今度は僕が君を、追い詰めてあげる。君がどんなによぼよぼのお爺さんになっていても、僕は君を愛するから。それで、今度こそ一緒に死のう?一緒に死んで、一緒に生まれ変わって、兄弟として生まれ変わろう?ああ、兄妹でもいいね…そうしたら僕が君を孕ませてあげる。僕が女だったら、君が僕を孕ませてね?大丈夫だよ、誰かに何かを言われても僕が君を守ってあげるから。人生の中で一番君がうつくしくなる季節が来たら、その時に僕が君の息の根を止めてあげる。君の身体だけでも僕は君のことを愛せるよ、安心してね、腐らないように処置をして、永遠に、永遠に、愛し続けてあげ―――」
「ほら、死ねよ」
 パアアァン!
 高い音が鳴り響くのと同時に十代の眼に飛び込んできたのは、男の後頭部から飛び出した真っ赤なものや、ぐちゃぐちゃとしたあらゆるものの生々しい色だった。それらが何か、ということよりも、グロテスクなかんじの色合いをしたものをこの両目が認識出来た、という事実が十代の中に飛び込んできた。力を失った身体が倒れ伏した先の地面は湿っぽい黒。もう一度見上げた先の空は生憎話に聞いたような爽やかな色合いはしていなかったが、薄く翳んだ水色をしていた。初めて目にする外界の本当の色。飛び込んでくる様々な情報を処理しきれずに眩暈を起こす。額に宛がった掌もきちんとした、人間の皮膚の色をしている。どうにも信じきれずに、確かめるように右手のブレスレットを外した。つい先頬まではそこに存在していた蒼い石は、跡形もなく消え去っている。そこで漸く、十代は安堵した。
 解放された。しかしこれで終わりではない。十代は一度足元を見下ろした。額に真っ赤な穴を開けて死んだ男は最後まで笑っていた。見開かれた両目の死んだ橙色が不気味で、苛立たしくて、疎ましくて仕方がなかったので、もう2発弾を消費して眼球を潰した。びくんびくんと痙攣する身体から視線を外し素早く踵を返すと、傍らに停めていたバイクに跨りヘルメットを被り、袋小路を元来た道側へと引き返し始めた。どこからか、サイレンの音が聞こえてくる。身を屈めて大通りに飛び出した十代の身体を、太陽の柔らかな白い日差しが包み込んだ。
 呪いを解く方法を探さなければならない。猶予は大凡短くて5年、長くて20年ほどだろう。いったいどれくらいの間隔であの男が生まれ変わっているのか、正確に数えたことはない。しかし必ずあの男は生まれ変わり、再び十代の目の前に姿を現す。何故なら、そういう呪いがかかっているからだ。「永遠に回り逢う輪廻を繰り返す魔法」。肉体を変えて蓄積されていくお互いの記憶を消すことは出来ない。新しい肉の器で蘇っても、中に宿る魂は変質しない。必ず狂おしいほどにお互いのことを想い合ってしまう呪い。また、男が生まれ変わるのと同時に十代の色覚は再び失われるだろう。現世というフィールドにふたつの魂が存在する限り、お互いはお互いの色彩しか認識することが出来ない。永遠に廻り合い、お互いを求め合うように仕組まれている。
 十代には「魔法」というものがどういったものなのかはわからない。いったいこの呪いが、何時掛けられたのかは、もう昔のこと過ぎて思い出すことが出来ない。ただひとつ確かなのは、十代は、あの男のことを、愛してなどいなかったということだ。だが、あの男が現れると十代は平静ではいられなくなってしまう。それは恐らく、男が十代に愛という感情を向けるように、十代が男に憎悪という感情を向け続けているからに他ならなかった。紙一重の感情がお互いを引き合わせている。どれほど無視しようとしても身体が疼く。あの男を消し去れないと気がすまないという、ひどく暴力的な衝動が全身を支配するのがわかる。
 自分が自分でなくなる感覚。この感覚を与えているのがあの男だと思うと、たまらない気分になる。
 これから十代は、あの男が生まれ変わってくるまでの間、魔法という名の呪いを解く方法を探す旅に出ることになる。もう、何十年も、何百年も続けている旅だ。しかし一向に呪いを解く方法は見つからず、何度でも生まれ変わってくるあの男と、終わらないいたぢごっこを繰り返している。



***



2009.10.17
(企画物その2)





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -