朝の光はとてもわかりやすい。ものすごく透き通っていて、薄くて、柔らかい。人間の本能的な部分を包み込むような優しさを持っている。そう思う。
 瞼の上に落ちた陽射しに誘われるようにして薄っすらと目を開く。真っ先に視界に飛び込んできたのは高い天井の白で、部屋の右側の壁を大きく切り取って作られた窓から差し込んでいる光がくっきりとそこに陰影を作っていた。細く窓が開けられているのか、涼やかな風に混じって濡れた土のにおいが入り込んできていた。鼻腔いっぱいにそれを吸い込んで、一度溜息をつく。吐き出した吐息は震えていて、否が応でもヨハンに昨夜のことを思い出させた。ゆっくりと上半身を起こす。体内のありとあらゆる関節がぎちぎちと軋んでいるような気がする。特に下半身の痺れは、笑ってしまいたくなるほどひどかった。腰から下、膝から上の感覚がまるでない。腕の力だけで引きずるようにして身体を移動させ、ベッドヘッドに背中を凭せ掛けた。それから慌ててタオルケットを手繰り寄せる。女々しいことだとは思ったが、剥き出しの自分の下半身をずっと直視していられるほど恥知らずでもない。
 さらさらとしたシーツの感触と肌の上を撫でていく風の感触がひどく無垢で、自然のままで、自分の存在だけがどこまでも硬質であるような気がした。息を詰める。ふと気になり、恐る恐るタオルケットを捲って自分自身が横たわっていたシーツの上を覗き見てみたが、そこも清潔な白が広がるばかりで然程乱れてはいなかった。後始末をさせてしまったのだな、と思うとどうしようもなく居た堪れない気分になった。身動ぎをすれば無機質にベッドがぎちりと撓る。周囲に広がっているあらゆるもの、物体のひとつひとつが要因となって、ヨハンの意識を昨日の夜の時間へと引きずり込んでいく。罪悪感にも似た後悔が胸を塞ぎかけたが、清浄な空気の中に身を沈めているせいか、もやもやとしたものたちは確かな像を結ぶことなく強い光の中に溶けて消えた。
「起きたのかい?」
 その時、部屋の扉がガチャリと開いた。顔を上げてみれば、清潔な白いシャツとジーンズを身に纏ったジムが、両手にマグカップを持ちながら足のみで器用に扉を開いたところだった。目が合うと曖昧な笑みを浮かべる。嬉しそうではあるが、気恥ずかしそうな笑み。普段は人懐こい無邪気な笑みばかりを浮かべる彼がそのような微妙に含みのあるような笑みを浮かべた原因に気付いて、ヨハンは赤面した。咄嗟にタオルケットで顔面まで隠しかけて、しかし引っ張り上げ過ぎたせいで両足がタオルケットからはみ出してしまったため慌てて身を縮こまらせる。ジムは軽く笑って、ベッドサイドにまで歩み寄ってきた。そっと、傍らに腰を下ろす。極力振動が生じないように気遣われながら座られた。相変わらず、些細な部分まで抜け目がない男だ。差し出されたマグカップを受け取り、湯気が立っている水面をちょんちょんと舌でつつきつつ上目遣いで彼を見やると、彼は一度目を逸らしてから、「Ah〜…、調子はどうだい?」と緊張した様子で訊ねてきた。やはり感想は気になるらしい。ヨハンはちょっと笑ってから、大丈夫だ、と答えた。
「腰は死ぬほど痛いけどな。痛い、っていうか、感覚自体無いや」
「そうか。それは…その、」
「気にすんなよ。仕方ないだろ、もともと無い部分に無理矢理突っ込んでるんだからこういうことになるのは当然なんだ。寧ろ弊害が無いほうが引くぜ」
「漢前だなヨハン」
「そうだろ?今更気付いたのか?」
 そう言ってヨハンも一度目を逸らした。ジムは、「そうだったな、ヨハンは元々Coolで格好いいよ」などと言いながらもおかしそうにくすくす微笑んでいる。何も気まずさなど感じていないといった様子で、自然に会話が出来ている。そのことにヨハンは内心で安堵していた。初めて男同士で夜を明かした次の日になどは、もっと、ぎこちなくて、後戻りが出来なくなったことを悔いるような、重苦しい空気が漂うものだとばかり思っていた。しかし杞憂だったようだ。流石に、ことが終わってからも、この全身を隈なく愛撫した男の前に裸体でいることに恥ずかしさは覚えているが、それだけだ。普段通りの、ジムとヨハンといった関係に戻っている。正常で穢れなどないふたりの人間同士だ。
 きっと朝のせいだ、と思った。夜の濃密な空気をすべて払拭するさっぱりとした朝の空気が、部屋にふたりきりでいてしかも一方が裸のままだといういやらしい状況を、もっと澄んだものへと変えてしまっている。確かに昨晩この部屋には熱と精液のにおいとみだらな体臭が充満していたというのに、そういった閉塞感は最早まったく残されていない。ちらりと目をやった窓辺ではレースのカーテンがさわさわと音もなく揺らめいている。ひどく穏やかな心境で、しかしどこか浮ついたような気分で、じいとそれを見詰める。ジムも口を閉ざし、無言のままただただ朝の静けさにふたりして身を沈めた。そこには、荒れ狂う夜の余韻も、指の先まで絡ませ合って誰よりも近い位置にまで招き入れた肉体の感触も、ありとあらゆる体液を垂れ流して行った行為の残像も、何も無かった。ひたひたと心の水際に打ち寄せては引いていく、心音と同じリズムで脈打つ幸福感だけが、ふたりを薄く果敢無く厚く強く繋いでいた。
「breakfastを用意してみたんだが」
「食べる。でも動けないから持ってきてくれよ」
「OK。服はどうする?」
「着たいんだけど…どうにも俺ひとりじゃ今動けない気がするんだよなあ」
「Can I help you?」
「No,thanks。流石に俺の男としての沽券に関わるから遠慮しておく。だけど…ちょっと肩だけ貸してもらってもいいか?」
「Of course」
 だがその前に、とジムは悪戯っぽくウィンクをした。ヨハンは意表を突かれて一瞬きょとんとしてしまったが、すぐに彼の意図するところを察して苦笑した。仕方ないなあとブツブツ言いながらゆっくり顔の向きを傾けると、ジムはにこりと満足そうに微笑んでヨハンの目の下と口の両端にちょんちょんちょんとキスをした。いやらしいところなど何もない、あくまでも挨拶代わりとしてのそれを受けてから、にやりと笑いヨハンはジムの腕を引いた。そして、まだ触れてもらっていなかった唇の先を、自ら彼の唇へと押し当てた。
「Good morning、ヨハン」
「おはようジム、今日もいい天気だな」



2009.7.2





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