それはまるで故もなしに真夜中にふと目覚めるように(いや、実際に真夜中に「目覚めて」はいるのだが)、唐突に俺の意識は覚醒した。すっきり、とは言い難い。快感などない。あるのは、ああ起きてしまった…というちょっとした絶望感と憂鬱さだけだ。いつからそうしていたのかはわからないが俺の瞳はぱっちりと開いており、おどろおどろしい黒と赤と紫で彩られた世界を見下ろしている。いつも不思議に思うのだが、どうして瞼を閉じることが出来ないのだろう。目前で起きる出来事をすべて直視せよ、ということなのか。それとも、ただ単純に、閉じる瞼が無いからなのか。……肉体的な意味で。
「起きたのか」
 俺の意識が「ある」下から聞こえてきた声に、俺は、視界を下向けさせた。すると、金色のふたつの輝きと目が合う(尤も、今の俺に眼は無いのだけれど)。金色はぱちぱちと数度瞬きをしてから、不意に俺から視線を逸らした。くすりと冷静な笑みを洩らしながら、ぽつり、「成程、久々に2人分の重さを負うと、気が引き締まるものだな」確かめるように呟く。俺は内心でげんなりした。何が、気が引き締まる、だ。重たいなら重たいって言えばいいのに。俺も視線を下から横へと平行移動させ、相変わらず静かで、不気味で、でもどこか神秘的な街を見渡した。こんな、影で塗り潰された世界が、賑やかで、平和で、雑多な街のもうひとつの姿だとは未だに信じ難い。しかし何より信じ難いのは。
「まあいい。行くぞ」
 視界が動き始める。俺の「本体」が動き始めたからだ。俺は進行方向に眼を向けながら、有り得ないよなあ…とこっそり溜息を吐いた。
 ――何より信じ難いのは、俺と瓜二つの姿をした「陰」だという人格が、無愛想と無機質の代名詞のような、つめたい夜を具現化したような存在だということだ。


 夢のような夢でない現実の話。世界はどうやらふたつの姿を持っているらしいということ。世界だけではなく、人々はそれぞれ昼の姿と夜の姿と、ふたつの姿を持っている。ひとつの物質に、それぞれふたつの形質が宿っている。但し、お互いはお互いを認識することが出来ず、決して重なることはなく、太陽が昇れば月は地平線の彼方に沈み、月が輝き始めれば太陽がその輝きが届かない遠くへと落ち込んでいってしまうのと同じように、それぞれ別々の時間を生きている。光と影のように、交わることはない。そもそも肉体はひとつなのだから、ふたつの人格が同時に活動出来るはずもないのだ。その仕組みとやらについても最初に「覚醒」した次の日に散々教えてもらったような気がするのだが、いまいちよく覚えていない。
 ただ、真夜中の12時になると、昼に生きている人間(俺のような)の意識は強制的にシャットダウンされ、陰たちのための時間が始まるのだという。所謂「寝落ち」というやつだ。絶対に、そうなるらしい。昼の人間たちからしてみればたまったものではないだろう、まるで電気をパチンと消されたようにすべてが遮断されて眠りに落ちてしまうというのだから。でも人々は自分たちがふつんと意識を失うことに疑問を抱いていない。何故なら、それは、既に当然のことになってしまっている。ずっと昔から続いていたこと。ふたつの時間の共存。今更取り沙汰すべきことではないこと。生涯知らずに過ごすこと。知らなくてもいい、こと。
 それを何故俺が知っているのかというと、俺は、例外だからだという。俺の「陰」は言った。「おまえが、選ばれたからだ」と。
 何がいったいどういった基準で「選ばれた」のかはわからないが、ある日唐突に、昼の時間の人間であるはずの俺は夜の時間に「眼を覚まして」しまった。本来ならば有り得ないはずのことだった。昼の時間帯には昼の人間が活動し、夜の時間帯には夜の人間が活動する。その法則が乱された瞬間だった。俺は夜の時間に、意識だけを起こしてしまった。そして見た。俺の身体を使い、俺ではない誰かが、得体の知れない化け物のようなものと格闘している姿を。
 平穏に続いていくはずのふたつの時間の間で、異変が起こっている。昼の時間の住民が活動している間、夜の住民は、同じ身体に宿った人間の「影」になる。真っ黒く塗り潰された、その人の存在の証だ。同様に、夜の時間の住民が活動している間、昼の住民は、同じ身体に宿った人間の「光」になる。真っ白く塗り潰された、その人の存在の証だ。昼の住民には「影」が、夜の住民には「光」がそれぞれ付き纏う。それこそがひとつの肉体にふたつの人格が存在している証になる。絶対にふたつはひとつでなければならない。片方が欠落してしまうと、うまく時間と時間の境を越えることが出来ずに、存在を歪められてしまうという。存在を歪められた人間は、やがて、理性を欠いた化物へと変貌する。俺が初めて覚醒した日に俺の「陰」が格闘していたのは、その、理性を欠落させてしまった人間なのだということを後から知った。そして、今、故意にこの化物を生み出そうとしているらしい何者かが、いるらしいという話を、聞いた。
 化物の作り方は簡単だ。昼でも夜でもどちらでも構わない。どちらかの時間帯の時に、対になる「影」あるいは「光」を本体から切り離してしまえばいい。ふたつでひとつであるはずのものが分離された状態で時間の境目を越えると、まず最初に肉体が滅ぶ。昼の時間帯に「影」を切り離されたまま夜の時間に突入した時点で、昼の人格と、昼の人格が動かしていた肉体は、その肉体を受け渡すべき人格を欠いたことにより時間の狭間に落ちる。そして肉体を持たないまま人格だけで実体化をしようとした「影」は、ただ生存本能だけで動く化物へと身も心も変質させる。それを一般的に野生化と呼ぶらしいが、そんなことは知ったことではない。元に戻すためには野生化した化物を徹底的に打ちのめし、昏睡状態に陥らせている間に狭間から引き上げてきた肉体に人格を押し込むしかないらしい。理屈的にはそういうことになる。しかし、無理だ、と「陰」は語った。まず、狭間に落ちた肉体を見つけだすことが至難の業だという。時間の狭間というのは、「何処」に存在するものでもない。ただ気紛れに口を開いて、世界と入口を繋げるだけの場所だ。人が立ち入れる場所ではない。だから狭間は一般的に奈落とも呼ばれている。そのような奈落が、簡単に見つかるはずもない。前例は無い、と言う。そして思いつめたような表情をして、こう話を括った。
「俺たちに出来ることは、化物をなんとしてでも俺たちの時間のうちに仕留め、おまえたちの時間に奴を行かせないこと…それだけだ」
 つまり、殺す、ということ。俺には、まさか、と否定することも出来なかった。何故なら、「陰」が化物を仕留めたその日の昼の時間に目覚めた俺の耳に、同級生の死というニュースが飛び込んできたからである。「影」を殺されて世界から消滅してしまった同級生。奈落に落ちたはずの肉体は、こちらの世界に戻ってきていた。見るも無残な姿で。奈落に落ちるとはそういうことなのだと、悟った。
 俺の「陰」は、夜の世界では「覇王」と呼ばれているらしい。何故覇王なのかと訊ねると、彼はしれっとした表情で答えた。「この区画の主は俺だからな」。俺にはどういうことなのかまったく、まったく、わからなかったが、他の夜の住民とすれ違う度に頭を下げられたり握手を求められている「もうひとりの自分」を見て、なんとなく、知らないでいた方がいいような気分になった(まさか、俺が単なる平凡な一高校生だというのに、もうひとりの自分が所謂村長とか市長とか県知事だとかいったような役職に就いているとは、信じたくもない)。覇王は表では賢君として名を馳せていたが、裏では仲間たちと共に化物を討伐する仕事を一手に担っているようだった。そして俺も。
 化物を生み出さなくてすむ方法がひとつだけある。人格同士が切り離された際に、時間を越えないうちにもう一度繋ぎ直すことだ。元々、人格同士はそう簡単に繋がりを断たれるものではない。ただ、何者かが、「影」あるいは「光」となっている人格を肉体とは違う力で拘束し、強引に引き剥がしている。なので、本体から引き剥がそうとしている力の源を、主には「影」あるいは「光」のどこかを穿っている楔を砕けば、人格は本体の下に戻るというわけだ。簡単な作業だが、覇王たちだけでこれを進めるには問題があった。昼の時間帯に引き剥がされた場合はどうするか、だった。覇王はあくまで俺の「影」。したがって昼の時間に活動することは出来ない。もとい、事情を知っているのが夜の時間の中の極一部の人間だというのだから、昼の時間には誰にもどうすることも出来なかった。途方に暮れかけていたところで、唐突に覇王が、昼の時間の住民であるはずの俺の人格を夜の時間帯で覚醒させた。本来は有り得ないことなのだから重大事件として取り扱うべきなのであろうが、今はそれどころではなかった。覇王は俺にすべてを話し、あることを要請した。
 昼の時間帯に本体から乖離した「影」を繋ぎ直すという任務を、担って欲しい。覇王はそう言った。
 要請というよりは脅迫に近かった。おまえがやらないと死人は増える一方だ、と残酷なことを言った。しかしそれは事実だった。俺も実際に自分の眼で見て理解していた。断ることなど、出来るはずがなかった。幸いなことに、俺が夜の時間帯に眼を覚ますことが出来るようになったということは、即ち昼の時間帯に覇王が覚醒することが出来るようになったということでもあった。こうして俺は、昼の時間に唐突に襲い掛かってくるもう一人分の重さと『仕事だ』という絶対的な声に翻弄される日々を始めたわけである。
 いい加減に覚めてもいいことなんじゃないか?と思う、夢のような夢でない現実の話。


 覇王はなんでも出来る。驚くほどに万能だ。頭はいいし、運動神経はそれこそ化物を上回るし、昼の時間にはなにやら不思議な魔法のようなものを使って武器になったりもする。俺が何も出来ないというのに不公平だ、と思うが、夜の時間にも夜の時間なりの訳があるらしいので俺は口には出さず思うだけにとどめている。今日も覇王は、ひとりでやすやすと本体から切り離された「光」の居所を突き止め、あっという間に楔を断ち切ってしまった。彼が手にしていたえらく太い大剣が、ザシュ、と音を立てて地面に突き刺さる。「光」の腕に絡みついていた鎖が砕け散り、やがて真っ赤な石ころになる。覇王はそれを拾い上げると、「光」が無事に本体の下に戻ったどうかを確認することもなく踵を返した。次の目標の元に行くらしい。俺は黙って覇王の背中を見つめている。基本的に覇王は単独行動を取る。誰かと群れているところなど、見たことが無い。誰かと協力するまでも無く、覇王が最強だからだ。
 しかし覇王は、不意に足を止めると思い切り眉間に皺を寄せた。何事かと思い覇王が視線を向けたのと同じ方向を見ると、そこにはひとりの男がいた。
「やあ覇王」
「ユベルか」
 正面からやってきた男の顔をまじまじと見つめる。男は覇王の目前で立ち止まり、恭しく一礼した。ひどく他人を小馬鹿にした態度だが、この男の挑発的なこれは覇王の気を惹きたいがための演技だ。覇王もそれを知ってるので、いつも、馬鹿馬鹿しい、と呆れたような疲れたような表情をする。俺は、いつも、複雑な気分になる。この男は、昼の時間では俺の親友である男の夜の人格だという。昼間はあんなに爽やかで只管「良い奴」なのに、夜になるとこんなにもおちゃらけていい加減で時折すごくつめたい眼をする。このギャップ。俺と覇王が別人であるように、やはりヨハンとユベルも別人であるようだ。
「なんだい、えらくダルそうだね」
 もしかして、いるの?そう言いながらユベルは俺の方に視線を向けてきた。俺はどきりとする。ユベルに俺は見えていないと知っていても、ピンポイントで視線を向けられてニヤリと微笑まれては良い気分はしない。もし今俺に肉体があったなら、その心臓は早鐘のように脈打っているに違いない。しかし覇王はゆるりと頭を振り、気にするな、とだけ言った。
「それよりも、仕留めたのか」
「ああ。今日は2個ゲットだよ〜君の分と合わせると、…5つ、かい?大量だねぇ」
 ユベルが右手の掌を開き、閉じ、もう一度開いた。するとそこには、橙色、青色、紫色の石ころが乗せられていた。きらきらとしていて、一見宝石のように見えるが、その成分が何であるのかは判明していない。らしい。覇王はひとつ頷き、ユベルの手から石ころを取ろうとする。が、その前にさっとユベルは手を引っ込めた。怪訝な表情をする覇王に向かってにっこりとし、徐に自分の唇を指さす。
「ご褒美のキスは?」
 覇王が大きな溜息を吐いた。かと思えば、物凄い速さで繰り出した拳をユベルの腹部へと打ち込む。俺は、あーあと思いながらその場に蹲ったユベルを眺めていた。覇王は馬鹿みたいに堅物だから、そういう冗談があまり好きではない。いつものこととはいえ、よく懲りないなあと思う。耳を済ませると、「いたたたた…それが君の愛なんだね…!」などと呟いている。懲りていないどころか悦んでいる。こりゃー駄目だ、と思った。
 覇王は足に絡みついてきたユベルを蹴り飛ばし払うと、強引に石ころを奪い取りあとはもう用は無いとばかりに地面に転がるユベルを無視して歩き始めた。もうひとりの俺は鬼のような男だ。慌てて身を起こしたユベルが追い縋ってきても振り返りすらしない。だが、追い払わないあたり、隣に立つことは許しているのかも知れないなと思った。それこそ、昼の時間の俺とヨハンのように、ふたりはふたりなりの信頼関係を築いているに違いなかった。だが。それでも。
 鬼のような態度を取る覇王のことが俺は気になって仕方がなかった。理由があるということは分かっていた。しかしそれが何なのか、覇王はちっとも話そうとしない。仮にも、運命を共同している仲だというのに、冷徹に振る舞おうとしている覇王のことがわからなかった。どうして話してくれないのだろうか。尋ねたら、答えてくれるだろうか。今ではなくとも、いつか、答えてくれるだろうか。
(そんなわけ…ねえよなあ……)
 もうひとりの自分のことが俺は1番よくわからない。



( しかし、思えば、兆候は元からあったのかも知れない。それは、俺が気付かないうちに密やかに背後に忍び寄ってきて、ゆっくり時間をかけて耳元にとろとろと何かを流し込んでいった。耳元から浸食したものはやがて脳に達し、何時の間にか俺の脳は、それで染め上げられてしまっていたのだ。想像してみると恐ろしい図に違いないが、少しずつ、端から蝕まれてやがて俺の意識すべてがそいつでいっぱいになってしまった時に俺の視覚や聴覚といったさまざまな感覚を司る部分にまで異常が出るようになってしまったと考えれば、ある日突然「覚醒した」なんていうあまりに非現実的すぎる仮定を覆すことが出来るのではないか。もとい、目には見えない誰かが俺の耳元に声にならない呪詛を流し込んで俺に呪いをかけた〜なんていう考え方も、非現実的といえば非現実ではあるのだが、俺にはこちらの方がよほど現実味のある仮定のように思えたのだ。
 何故なら、俺は、ずっと夢を見続けていた。
 それが何の夢だったのかはわからない。だから、俺が夢として見ていたものが、実は陰の世界で暗躍を続けていた覇王の残像だったのか、それとも他の何かだったのかは判断しようがない。俺は、そのどちらでもないのではないかと思う。ただ、夢を見たというイメージだけがこびりついて離れてくれない。暗い色をしたものがするすると地面を這って、純粋や無垢といったものの象徴であるような白を一面黒く染め上げていくような。どうにも気分が悪い。夢見が悪い、というのはこういう時のことを言うのだろうな、と漠然と思っていた。
 多分、それが、兆候ってやつだったんじゃないかなーと、今になって思うのだ。ずっと前から巻き込まれていたってことだ。ほんと、傍迷惑な話だよな。
 だから、覇王が責任を感じることなんか、無いのにな。)



2009.10.21






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