最近やけに身体が重いと感じるようになったのは、常時ふたり分の重力(体重、という意味ではなく、存在しての重み、というものらしい)を引きずって歩いているせいであって決して気のせいではないという話を聞いた。そんな話聞いてないぜ!?と抗議してみたところ、冷静に、今初めて言ったからな、と返された。なんだそりゃ。俺は頭を抱えたくなったが、覚醒者の宿命だ諦めろと素気無く突き放されさも当然であるかのように振る舞われてしまっては大人しく落ち込んでいるのも馬鹿馬鹿しく思えてきてしまった。そもそもこれは俺が悪いのではない。俺は巻き込まれただけなんだ。ったくなんで俺がおまえの重さを背負って歩かなくちゃいけないんだよ、とぶつぶつ文句を言ってみたが、それに対しての反応は返ってこなかった。都合のいい時だけ「陰」になりきって話を聞こうともしない。そんな態度で夜の世界の覇者が務まるのだろうか、と怪訝に思ったが、まあ務まってしまっているのだから不思議なものだと思う。尤も、覇者といっても表面上は引退済みで、今は自由気儘な一般人として平穏に暮らしているということになっているのだが(あくまで表面上の話。裏ではまだバリバリの現役覇王として活躍している、だからこそ、「実体」の世界で普通に生きていた俺が巻き込まれる羽目になってしまった。非常に迷惑なことだ)。
 背中を丸めて、校舎の壁に手をつきながら歩く俺は何処からどう見ても体調不良者そのものだった。勿論、身体が重いせいで必然的にこういう歩き方になってしまうだけで、体調が悪いというわけではない。だが今の俺たちには、装いもせずに体調不良と見て取ってもらえるのはありがたいことだった。今日もこうして、保健室に行くフリをして教室を抜け出してきている。そして真昼間の校舎内を徘徊している。俺としては、大人しく教室でみんなと授業を受けたいのだが、この黒々とした陰に潜むもうひとりの自分が「臭うな」と一言呟いた時点で昼間の遊城十代である俺が動かなくてはいけないことが決定してしまったわけだ。どうして俺がこんな、隠密調査員のような真似をしなければならないのだろうと泣きたい気分になるが、陰の中に潜む冷やかな金色に睨めつけられながら、おまえが動かなければまた罪もない一般人が巻き添えになる可能性があるな、と言葉を続けられてしまえば俺の拒否権はその時点で消滅してしまう。元々そこまで正義感が強い人間というわけではないけれど、目の前に「あと1日後には確実に死ぬ」とされた人がいて、その人を助けることが出来るのが俺しかいないとわかっているのに、見て見ぬフリをすることが出来るほど精神的に強い人間ではない。ましてやそれが同じ学校に通っている生徒だというのなら尚更だ。目の前にいる人だけ助けたい、なんて、偽善かも知れないとは思う。しかしもうひとりの自分は俺に言う。これは病気や自然災害といったどうしようもない事象によって齎される寿命ではない。誰かの悪意によって引き起こされる殺人である。そして、悪意が人を害すまでの間に悪意の根源を断つことが出来れば、殺人は阻止される…と。まったくもってSFな話だった。言い換えれば、まったくもって信じろという方が無理な話だ。しかし俺は陰がいう言葉が真実であることを知っているし、実際に死んでしまった、否、殺されてしまった人がいることも知っている。食い止めることが出来るのが俺だけ、というその意味も。だから、わざわざ、ただでさえ無いとは言い切れない留年の可能性を引き上げてまで、授業を抜け出してきている。
「なあ…本当にこっちでいいのかよ?」
 俺はふうと息を吐いて一度立ち止まった。校舎の壁から離れ、傍に立っていた木の影に寄る。俺の陰と木の影が同化した瞬間、全身に圧し掛かっていた重さがふっと浮いたのを感じた。「陰」が、自分と同じ性質を持つ他の事物の影に身を移動させたのだ。ふたつの金色の輝きが、太陽とは逆側にある木の表皮にぽかりと浮かび上がったのを見て、俺はそちらに顔を向ける。ぱちぱちと瞬きをするふたつの輝きは、もうひとりの、「影」の世界の遊城十代の瞳だ。
「ああ。間違いない。異臭の源は、部活棟の中にいるようだ」
 ある、ではなく、いる。俺はこくりと頷き、木の影から自分の身体を引きずり出した。同時に、再びもうひとりの人間分の重みが俺に圧し掛かってくる。思わずうっと呻いて、そのまま溜息を吐いた。せめてこれが無くなればいいんだけどなあ。今まではまったく意識せずにひとりの人間として振る舞っていたというのに、影の世界に介入出来る、となった途端、隣り合った世界に存在しているもうひとりの自分分の負荷も背負わなければならなくなるだなんて、酷過ぎる。といっても、陰が昼間に覚醒していない時間には、ひとり分の重さに戻るのだけれど。曰く、眠っている間はそれぞれがそれぞれの世界の次元に戻るので、厳密な境界線によって重みを分けられるのだとか。よくわからない、と言った俺に、陰は呆れたように溜息を吐きながら、つまり俺(陰)が活動している間におまえ(俺)が覚醒している時には俺もふたり分の負荷を背負うような仕組みになっている、と言った。だけどそれは随分と不公平ではないかなあと思う。だって、陰が活動する時間、もとい、影たちの世界が実体の世界と逆転する時間は、ぴったりちょうど真夜中の12時から大凡朝の4時ほどまでだ。時間数がまず違うし、俺はそんな深夜にまで起きていられない。つまり寝ている可能性の方が高い。俺が寝ていれば陰はひとり分の重さしか背負わなくていいというのだから、変わりないということになる。そう文句を言ったら、ならば起きていたらどうだ?と皮肉を返された。影の世界の俺は、随分と性格が悪いのであった。
「いた」
 部活棟の中に足を踏み入れるのと同時に、俺は身構えた。陰に囁かれるまでもなくわかる。そいつは、ひんやりと湿った空気が流れる部活棟の廊下を、這うようにして歩きまわっていた。ほの白い輪郭に包まれた、人間の形をした影。実体も無いのに、動き回っている影。実体から切り離された影だ。
「十代、」
「わかってる!」
 俺は体勢を低くして走り出した。俺の足下から延びた俺の影が俺と一緒に走る。だがそれは奇妙な方向に伸びあがり、やがて壁をのぼりはじめた。最早人間の姿をしていない。俺は片手を、壁伝いに俺と並走している自分の影に伸ばし躊躇いもせずにその中に突っ込んだ。普通ならばつめたい壁の輪郭に阻まれるであろう片手は、ぬるりと、奇妙な感触とともに影の中に吸い込まれていく。それは粘度の高い水の中に手を突っ込んだかのような感触だった。この感触にも随分慣れてしまったなあと思いながら、俺は影の中に広がっている空虚な湖から、迷うことなく、ひとつの物体を探し当てる。掌に触れたものを、勢いよく引き抜いた。壁に埋没していた俺の腕が実体世界に回帰する。が、その掌の中には、今まで実体世界には有り得なかったものが握られている。柄の部分に金色の珠が埋め込まれた短い刀には、しかし刃といえるものが作られていなかった。いうなればリーチの短い鈍器のようなものだ。しかし実体を引き裂くために存在しているわけではない黒い武器に刃は必要ない。らしい。俺は1本目を左手に持ち替え、再度影の湖に手を伸ばし、2本目を右手に握った。2本目の刀の先端が影の世界から実体世界に引きずり出された瞬間、俺の足下から伸びていた影がぱっと消滅した。両腕にぐっと負荷がかかる。俺は歯を喰いしばってそれに耐え、逆に軽くなった足を動かした。
 俺の数十メートル前をふらふらとしていたとある人間の影は、自分を追ってくる存在があることに気付いたのか、慌てて逃げ出した。逃がさない、と強く思う。全力で走り、走り、走って、逃げ出した影まであと数メートルに追いついた時点で俺は左腕を思い切り振りかぶった。肩が死にかける。負けるか、と半ば自棄になりながら手に握っていた短刀を、影に向かって投げつける。俺の手の上ではあれほどの重量を誇っていた鈍器は、俺の掌から離れた途端重力を失ったかのような凄まじいスピードで宙を駆けて、逃げ惑う影を見事に刺し貫いた。まるで引き寄せられたかのように、的確に、影の人間の心臓の部分を、だ(実際は引き寄せられたのではなく、自分から貫きに行ったのだけれど)。俺は突然がくんと重量を増した右手の短刀を引きずるようにして走り、放たれた左手の短刀により地面に縫い付けられてもがき苦しんでいた影の傍に寄った。
「右足首だ」
 右手に握った短刀がぼそりと呟く。俺は影の右足首の位置を見た。そこには、真黒に塗りつぶされた影の中で何故か、真っ赤に輝いているものがあった。鎖だった。鎖が影の人間の足をぐるぐると巻きつけられている。まるで呪いのように…否、呪いそのものなのだこれは。これがあるから影が実体から乖離してしまうのだという。俺は右手に握った獲物を振りかぶり、影人間の右足に向けて振り下ろした。ザンッ!という鋭い音がして、赤い鎖が断ち切られる。と、断面からしゅうしゅうと煙を立てながら、鎖が急速に縮み始めた。俺が見下ろす前で、鎖は、やがて真っ赤な石ころになった。ことり、と音を立てて床に落ちたそれを拾い上げてポケットの中に捩じ込んでから、俺は影に突き刺さったままだった短刀をふたつとも引き抜いた。と、すっかり大人しくなっていた影は刀から解放されるのと同時に、色合いを薄らがせ、消えた。影の持主の元に戻ったのだろう。俺は大きく溜息を吐いてから、誰もいなくなった廊下に向けて短刀を落とした。
「完了だ。よくやった」
 地面に落されたはずの短刀はぶつかる直前に形を失い、俺の影に戻る。再び全身に圧し掛かってきた重さとともにかけられた満足げな声に、俺は「どうも」と返すことしか出来なかった。




2009.7.9






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