服を身に纏うのと同じだ、と彼女は笑いながら言った。
「勿論身体にぺったりくっついてるもんとか、肉の柔らかさとか、今おまえが身を埋めたくて仕方がないと思ってる、股の内に広がってる袋とかは着脱出来ないけどな」
「…お下品ですよお嬢様」
「遊城家の一人娘にして次期当主という立場すら、だ。ヨハン」
 くすくすと微笑む。まったくそのようなものとはかけ離れているというのに、夢見るような、恋い焦がれるような、恍惚とした表情はただ只管にロマンチックな恋愛を思い描くだけの生娘のそれと酷似していた。俺はやれやれと首を振り肩を竦める。まるで御伽噺に聞く楽園のように果てしなく広がっているかのように思えるこの青い草原にも、きちんとした終わりはある。1本1本土の中に埋め込まれ整然と並んでいる幾つもの杭が、外界と内界を隔てる絶壁が、楽園の終わりを、自由を制限する範囲として定義している。色としてみるならただの一色しかない。一色だけの自由。与えられた庭園の草色。閉じた世界の女王様。彼女は一歩も此処を出ることは叶わない。
 ああこの人は可哀想な人なんだ。と今更ながらに思う。くつくつと微笑む彼女は魅惑的な女だった。しかしその内側に秘めているものは女性的なあれこれとは程遠い、驚くほど原始的で凶暴な欲望の数々だった。彼女はいつも溜息混じりに呟く。何故俺にはペニスがついてないんだろうと。屋敷に訪れる男たちをその温かくてみだらな袋に納めながらも、別の袋に己を埋めることを毎夜毎夜夢想している。
「あなたは此処から出られないでしょう。それに、男にもなれない」
「心は自由だ」
「あなたのお父上が許さない」
「知るかよ。あいつは、あいつの前で『わたくし』でいる女が愛おしいだけだ。『俺』になった娘に興味なんかない。逆に言えば、『わたくし』である女の言うことには逆らえない。おまえを俺の話し相手として引き抜いてくれと頼んだのも、俺だしな」
 扱いやすい相手だよ、と言ってにやにやする。しかしその実哀しんでいる。寂しがっている。彼女はどうしようもなく孤独な女だ。
「…俺はあなたのお父上には抗えません。一介の使用人…のようなものでしかありませんから」
 恐らく、彼女はここにこうして閉じ込めて女として生きさせるべき生き物ではないのだろうと思う。もっと、柵などで、崖などで終わらせられていない世界で、思うがまま駆け回らせてやるのが1番であるはずだ。だが、誰にも、どうにかしてやることは出来ない。園内に咲く一輪のうつくしい薔薇を持ちだそうとすれば、死罪は免れえない。
 彼女はにっこりと無垢な笑みを浮かべる。徐に薬指に填められていた銀の指輪を草むらに放り投げると、真っ赤なドレスを躊躇いもなく脱ぎ払い、薄い下着1枚のみの姿になり俺の首に腕を回した。俺はもう1度溜息をついてから、片腕を緩く彼女の背に腕を回し、もう片腕をカモシカのように細く長い足の膝の裏に回してその身体を掬い上げた。きゃいきゃいとはしゃぐ彼女は、最早、生娘ではなく幼子だ。
「遊ぶぜヨハン!今日は木登りだ!」
「はいはいわかってますよ…だけど頼むから暴れないでくれよな。大事な大事なお嬢様の肌に傷がつきでもしたら俺が怒られるんだからな」
「ああ!」
「言ってる傍から靴を脱ぐんじゃない!聞けよ馬鹿娘!」
 楽しそうに手を打って笑いながら無邪気な視線を俺に向ける。信頼しきった瞳で、先ほどまで吐露していたような荒んだところなどまったく無い、たとえば俺がこうだと言えば赤子のようにそうなのだと信じ込んでしまいそうな屈託の無い瞳で、「俺が傷つかないように、ヨハンが守ってくれるんだろうが。焦ることはなぁんにも無いぜ?」などと言う。まったく、なんという娘だ。
「ほら行けー!走れー!」
「はあ…ったく。しっかり掴まってろよな!」
 勢いよく走り出した俺の腕の中できゃー!と歓声を上げる娘を見て俺は少しだけ不思議な気分になる。大人の女。実の父親の妾。政治的道具。腐った欲望の捌け口。剥き出しの肌と、露になった素足のうつくしさ。伏せた睫の長さ。無邪気な笑顔。白い歯と、漲る生気。子供のようにはしゃぐ純粋さ。蠱惑的な肉体の中に潜んだ、硝子のような心と原始的な衝動。
 どれが本当の彼女の一面なのだろう。俺は彼女の、何を見ているのだろう。物語の中のお姫様の真実とは、いったい何なのだろう。



2009.5.12
(2009.10.17修正)




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