2/13 daisy side
 休み時間、わたしはやっぱりレシピ本と格闘している。コーヒー風味のトリュフ。今日の夜に、レシピ本に載っている、このチョコに挑戦してみるつもり。
 必要な材料をメモに取っておいた方がいいよね。今日の放課後に材料を買いに行くつもりだし……。

「お、チョコか?」

 横から、よく通る声が響いてきた。振り向くと赤みがかったツンツン頭が見えた。

「あ、ハリー、オッス」
「オッス。ファンらしく明日の準備してんだな。感心感心」

 ハリーは一人で言って一人で、うんうん、と頷いている。

「ハリーにあげるなんて、一言も言ってないよ?」

 わたしの軽口にハリーは「何だと!」と言って、でもすぐに、ニヤリと悪戯っぽく笑う。

「何てな」

 そう言いながら、わたしの手元のレシピ本を覗き込む。

「何作るんだよ。……コーヒー風味のトリュフ?」

 ハリーが「ははーん」と何かを納得したような顔で笑う。

「な、何?」
「ま、頑張れよ?」
「……言われなくても、頑張るよ!」

 ぽん、と軽く肩を叩かれる。

「じゃあな。義理くらいなら、もらってやらなくもないぜ?」
「もう、ハリー!」

 弾けるような笑い声を残してハリーが帰って行く。もう、ホント何なんだろう……。
 またレシピ本に意識を戻す。コーヒー風味のトリュフ。コーヒーが好きな佐伯くんにあげるなら、と思って選んだチョコレート。去年は失敗しちゃったけど、今年はちゃんとした手作りチョコを渡したい。
 残りの休み時間を使って、お店で確認しやすいように、小さなメモに材料を書きうつす作業に没頭した。


* * *


 ――さて、帰ろうかな。
 鞄を持って、下駄箱で靴をはきかえる。いつもの放課後だけど、今日は少し違う。今日はこれから……。

「あかり」

 玄関を出ようとしたところで声をかけられた。振り向くと、瑛くんだった。
 瑛くんが下駄箱の影から、ちょいちょい、と手招きをしてくるから、わたしも下駄箱の影に身を隠すように近寄った。

「今日、バイトだろ。一緒に帰らないか。どうせ行き先いっしょなんだし」

 こそこそと、周りに聞こえないように小声で瑛くんが囁いた。そうだ、今日は水曜日。珊瑚礁でアルバイトがある日。

「あのね、瑛くん……今日のアルバイト、ちょっとだけ遅刻してもいい?」
「……なんで?」
「ちょっと、寄り道したいとこがあって……」

 ムッと押し黙ってしまった瑛くんの前で手を合わせる。

「お願い! どうしても今日じゃないとダメなの!」

 ちら、と合わせた手のひら越しに見上げると、瑛くんは怯んだような顔をして目を逸らしてしまった。さっきと変わらずムッとしたような表情。これは……望み薄、かな?

「……どうしても?」
「そう、どうしても」
「理由は?」
「それは……まだ、言えないけど……」

 瑛くんのため息が降ってきた。

「ごめんね。明日には言えると思うから……」
「明日?」
「うん、明日」
「……分かった」
「ありがとう、瑛くん!」

 瑛くんはもう一度ため息をつくと、仕方なさそうに笑った。

「あんま遅れるなよ?」
「うん! 用事が済んだら、すぐ行くね」
「ただし、急ぎ過ぎて走ったりして、こけんなよ」
「そんなことしないよ!」
「どうだか」

 そう言うと瑛くんは手を手刀の形にして、わたしに向けて軽くチョップをする仕草をした。ニヤリ、と悪戯っぽい笑顔が手のひら越しに覗く。

「またあとでな?」
「うん!」

 軽くチョップされた頭をさすりつつ、瑛くんの背中を見送った。
 早く買い物を済ませて珊瑚礁に行こう。鞄にレシピを書きうつしたメモが入っているのを確認して、頷いた。早くチョコレートの材料、買いに行かなくちゃ。


* * *


 向かったデパートの地下は女の子たちで賑わっていた。さすがバレンタイン前日。混んでるなあ……。
 メモを確認する。ええと、必要なのは、ミルクチョコとコーヒーリキュール……生クリームは食品コーナーじゃないと買えないよね。必要な物をカゴに入れていく。あまり迷っていられない。本当ならアルバイト中の時間なんだから。
 ふと、豪華なラッピングのチョコに目が止まった。高級チョコだ。どうしようかな……。
 去年のバレンタインの記憶が脳裏をよぎる。大失敗してしまった手作りチョコ。瑛くんは喜んでくれたけど、出来れば、あんなチョコはもう渡したくない。
 もし、今年も失敗してしまったら……そのときは高級チョコを渡そう。きっと、失敗チョコよりはいいよね? 高級チョコを一つ、手に取った。


* * *


「何、その大荷物」
「えっ? ひ、秘密!」

 アルバイトの後。
 支度を済ませて、お店の外に出ると、瑛くんが呆れたような声で言った。放課後に買い込んだものをショッピングバッグ代わりの手提げ袋に詰めこんで、中身が見えないようにしていた。慌てて手に持った荷物を後ろ手に隠すと、瑛くんの片眉が、ぴくりと跳ね上がった。ぼそり、と呟くように瑛くんが言う。

「……また、秘密かよ」
「えっ?」
「何でもない」

 ふい、と瑛くんは視線を逸らして歩き出してしまった。……瑛くん、もしかして、すねちゃったのかな? 追いかけるように後を追って歩き出した。
 海沿いの帰り道を並んで歩く。もう二月。春が近いけど、まだ夜風は冷たい。
 珊瑚礁の前を出てからずっと会話がない。道路側を歩いている瑛くんの横顔をこっそりと覗き見ると、何か考え事をしているような顔をしていた。

「あのさ……」
「なっ、何?」

 急に声をかけられて、びっくりして声が裏返ってしまった。瑛くんもわたしの声にびっくりしたみたいだった。少し眉を顰めてわたしの顔を見た。
「……何、動揺してんだよ」
「何でもないの。瑛くんこそ、何?」
「ああ、うん……おまえさ、最近、こそこそしてるよな?」
「う、うん……」
「で、俺には理由、教えてくれないよな?」
「うん……ごめんね」
「約束、したよな? 昨日」

 瑛くんの目がまっすぐにわたしを見つめていた。夜の暗い灯りの下でも分かる、真摯な目だった。その目に引き込まれるように、頷いていた。

「うん。約束、した」

 昨日の帰り道。お昼休みに隠したレシピ本のことを訊ねられて、まだそのことについては話せないと瑛くんに言った。そのとき、あとでちゃんと話すから、と約束した。
 わたしの返事を聞いて、瑛くんが少しだけ安心したように笑ってくれた。

「なら、いいんだ」

 いつの間にか、もう家の前に着いていた。玄関の前で立ち止まって、瑛くんにお礼を言う。

「瑛くん、送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

 いつものやり取り。つけ加えるように瑛くんが言った。

「あんま無理すんなよ? じゃあな」

 それから、夜の街灯の下を歩いて行く瑛くんの後ろ姿を見送った。手提げ袋を抱え直す。中には手作りチョコの材料が入っている。
 ……瑛くんはあんまり無理するなって言ってくれたけど……でも、やっぱり頑張ってちゃんとしたチョコを渡したい。
 うん、頑張ろう。
 言い聞かせるように胸の中で呟いて、家に入った。


* * *







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