あなたが置いて行った恋が、明日死ぬ | ナノ

その日は特に砂埃がひどかった。それでももう何度も戦場には実習へと出ていたし、なにがあっても絶対に留三郎の背中を見失わない強い自信があった。しかしいまは、戦場に出る前、ぼくの肩を叩いてへまするなよと笑った留三郎とのやり取りがもうずっと昔のことのように感じる。誰よりも強かったはずの留三郎は、脇腹の傷を抱えるようにぼくの膝に頭を乗せて苦しそうな表情を見せている。ひとは死を前にすると強くなると、以前なにかの本で読んだことがあるがそんなのはきっと嘘だ。はっはっと短く不規則なスパンで肩で息をする留三郎が鋭気に満ちているようには、とてもじゃないが思うことが出来ない。そしてぼくも、友人の命が助かるか助からないかの五分五分の状態で武器を持ち続けられるような強い人間ではないから、きっと留三郎以上にひどい顔をしているに違いなかった。

「…くそ…俺は、まだ、戦えたんだ…」
「うん、うん、わかってる、だからもう喋っちゃだめだよ!」

確かに、ぼくはこの砂埃がひどいなかでも留三郎の背中を見失わなかった。それがよかったのか悪かったのかはわからないが、だから留三郎はぼくの前で斬られ倒れることになったのだ。知らないところで死なれるよりましだと思えたならどんなによかっただろう。留三郎が倒れる瞬間はあんなにスローモーションで見えたのに、いざ思い出そうとしてみると断片的にしか思い出すことが出来ない。人間の脳は本当に都合よく出来ていると思う。自分にとって辛い出来事はすぐに忘れるように、そういうふうに出来ているのだ。

「俺は、まだ、戦えるのに…お前の、不運が、俺にも」

留三郎がその先を言うことはなかった。正しくは、言えなかったのだ。ごほごほと激しく咳込んだと思うと赤黒い血が留三郎の薄い唇の端を伝って顎へと一本の線を作っていく。どうせならこんな無力なぼくを、留三郎が斬られるのを防げなかったぼくを、お前のせいだと責め立ててくれたほうが幾らか気持ちが楽だったように思う。留三郎の呼吸は相変わらず切るように短いままだったが、今度はそのなかに風の通り抜けるようなひゅうひゅうという音が混ざるようになった。先程巻いたばかりの包帯ももう血に濡れ、傷口と同化し、まるで本来の意味を果たしていない。当たり前だ。武器と申し訳程度の医療道具しか持っていない戦場でそんな大掛かりな止血処置が出来るはずもなく、ましてや抉られたように深い留三郎の傷をどうにか出来るほどの力量を、生憎ぼくは持ち合わせていなかった。

「…伊作…俺は、死ぬのか」
「ぼくが、責任持って治すから、だって、保健委員長だもん、だから死ぬなんて言わないで…」
「…そうか…伊作、俺はまだ、死にたくねえよぉ」

弱々しい声でそう言って、留三郎はぼくの前で初めて泣き顔を見せた。傷口近くの制服を握り締めたまま、顔も隠さずに泣く留三郎からは死にたくないという思いが痛いほどひしひしと伝わってくる。しかし傷の深さや出血量からも、たかが保健委員のぼくがどう頑張ったって留三郎を助けることが出来ないのは誰の目から見ても明らかだった。そんな絶望的な思いを押し殺して、悔しそうに泣く留三郎にもう少しで助かるからね、大丈夫だよなどと笑いかけるのはぼくにはあまりに辛すぎて横たわる留三郎と同じようにぼろぼろと涙が頬を伝って落ちた。思えばぼくのせいで留三郎まで穴に落ちたときも、ぼくのせいで留三郎にまで怪我をさせてしまったときも、留三郎は絶対にぼくを責めたりはしなかった。いつだってぼくをやさしく包んでくれた留三郎の名を、ぼくは何度も呼びながら彼の命の灯火が少しでも長く続くことをただただ願うことしか出来なかった。
次第にひゅうひゅうと音を立てていた留三郎の呼吸音が弱くなり始め、血で染まった制服を握り締めた手からも徐々に力が抜けていくのがわかった。留三郎と呼ぶぼくの声が大きくなるにつれて、伊作とぼくを呼ぶ留三郎の声が小さくなっていく。最期に伊作、と唇だけでぼくを呼ぶとそこで留三郎は目を閉じたままぴくりとも動かなくなった。制服を握り締めていた真っ赤な両手がずるりと地面に投げ出される。ぼくの膝の上でひとりの命の灯火が、まるで誰かに吹き消されたかのように簡単に、そして呆気なく消え入った。これが外の世界なのだと知る。そうして相変わらず砂埃が舞うなかでこれが死というものであると、もうこの世にはいない彼が残していった躯を見つめて、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたままのぼくはそう思ったのである。

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