だって本当にうつくしい | ナノ

馬鹿だと思った。小春先輩の前で、それはもうだれきった笑顔で最近付き合い始めたらしい彼女のはなしをするユウジ先輩を、俺は心底馬鹿だと思った。本当はそのだらしなく笑う顔面に拳のひとつくらいは入れてやりたい思いだったが、隣に座る小春先輩がなにも言わないから俺もなにも言わなかった。そんな怒りにも似た感情が段々と心配に変わり、ちらりと小春先輩のほうを見やると、小春先輩は顔いっぱいに柔らかな微笑みを湛えながらユウジ先輩のはなしにうんうんと頷いている。このひとは本当に大人だ。そこらへんのやつらとは、考えていることも教えてくれることも全然違う。しかし大人だからこそ、その本当の自分を殺して一生懸命に笑う姿が俺の目にはとても痛々しいふうに映るのだった。
ユウジ先輩が彼女について話すだけ話して屋上から教室へと帰ってしまうと、小春先輩はとうとう俺に背を向けて泣き始めた。顔を手で覆いなるべく声を零さないように泣く小春先輩を見るのは初めてではなかったので戸惑ったりはしなかったけれど、やはり何度その姿を見ても苦しい思いになるのは変わりなかった。俺は、初めてユウジ先輩と小春先輩が喧嘩をしたときもユウジ先輩が小春先輩との約束をすっぽかしたときも同じように震えていた背中に言葉をかける。

「泣くくらいなら、ビンタのひとつやふたつ、食らわせたったらええのに」
「そんなこと、出来るわけないやん。それに、女は惚れた男の前では最後まで、可愛くいたいもんなんよ」

先輩、女ちゃうやん。いつもならそう言ってちゃらけてみせることも容易に出来たことだろう。しかしいまはそんなことが言えるような雰囲気ではないし、なにより、小春先輩の言葉や表情からはユウジ先輩に対する特別な感情が滲み出ていて、ああ、このひとは本当にあのひとのことがすきなんやなあと思った。だけど思っているだけじゃだめだということくらいは、俺にだってわかる。すきならすきやと口で伝えなければいけない。相手がユウジ先輩みたいな馬鹿だったら余計に、だ。

「すきならすきって、ちゃんと言わなあかんのやないですか」
「ユウくんには、言わんよ」
「…どうしてですか」
「ユウくんは男しかすきになれんのやと思っとった。でも、これでやっと普通の幸せが手に入るようになったんやから、それでええやん。ユウくんから、普通の幸せを奪うことなんて、わたしには出来ひん」

小春先輩はそう言い終えると一度だけ大きく息を吐き出して立ち上がった。やっぱりこのひとは大人やなあと思うと同時に、心のどこかでこのひとも馬鹿やと思っている自分がいた。小春先輩にはきっと煩悩というものがない。純粋なやさしさとユウジ先輩への思いだけで成り立っている。いつだって一番にユウジ先輩の幸せを考えていて、当たり前のように自分のことは二の次だ。自分の幸せを犠牲にしてまで惚れたやつの幸せを願うなんて、俺の周りは馬鹿ばっかりだとそんなふうに思う。俺は小春先輩のそういうところがすきだったはずなのに、どうしてかいまは小春先輩のそういうところが堪らなくきらいだった。ユウジ先輩だって小春先輩と同じくらいすきだけれど、そういう変なところで鈍かったり無神経だったりするところがきらいだ。
涙の跡をセーターの袖で拭う小春先輩を追うようにして階段へと続く出口に向かう。その途中、ふとグラウンドに目をやるとユウジ先輩の彼女が次の体育の授業の準備をしているのが見える。小春先輩は気づいているのかいないのか立ち止まろうとはしなかった。ここからではその女の顔までは見えないけれど、俺はきゃあきゃあと友達と楽しげに騒ぐそんな女よりも小春先輩のほうが余程いい女のように感じた。ユウジ先輩は今日もその彼女と一緒に帰路に着くのだろうか。手なんか繋いじゃってキスなんかしちゃって、それでまたそのはなしに頷く小春先輩を泣かせるんだろうか。堂々巡り。いまの俺たちを表すにはそんな言葉がぴったりだと思った。

「…堂々巡り」

俺はもう一度、その言葉を反芻するように呟いて外と内を隔てる重い扉を開けた。いつかユウジ先輩の馬鹿が治ればいい。そうしていつか、小春先輩の思いが報われればいい。少し下では小春先輩が階段の踊り場から俺を見上げている。今日はどうしてかいつもより、グラウンドの水溜まりに映った空と俺の少し先を歩く小春先輩ばっかりが、きらきらとうつくしいものに見えた。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -